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2007年12月22日 (土)

浜辺先生に対する再反論

うれしいことに「会社法はこれでいいのだ(1)」に対し
  浜辺陽一郎先生
が、反論してくださいました。
題して、「会社法は、やっぱりダメだこりゃ(1)」。
 当方は天才バカボン、浜辺先生はドリフの大爆笑というところが、なんとなく世代を感じさせますが、本当にありがとうございます。

では、さっそく反論に対する再反論といきましょう。

>浜辺先生 「相手方敵地に乗り込む「遠征」みたいなものになりますので、あんまり気持ちの良いものではありません。」
葉玉: お気持ちは、お察しいたします。もっとも、浜辺先生の書き込みを削除したり、変更したりすることはありませんので、その点はご安心ください。ブログ読者に双方の言い分を存分に見ていただき判断してもらいましょう。
 もちろん、浜辺先生が、私を、早稲田の授業に呼んでいただければ、喜んで、参上いたします。

>浜辺先生:(ダミー会社が)「増えていなければ良い」という話ではありません。私が指摘したかったのは、「そういう設立が可能になり、より容易になる」「だから皆さん、注意しましょう」と言いたかったのが一つ。」
葉玉: この点は、「株式会社のブランド価値」さんが、コメントで反対意見を述べられていますが、私も、「ダミー会社の設立が可能になり、より容易になる」という抽象的な危険性は、最低資本金を維持する理由にはなりえないと思います。最低資本金制度の維持がダミー会社の設立を抑制する具体的な効果がないのに、それを維持する必要はありません。

>浜辺先生「むしろ根本的に問題なのは、会社法全体を通して問題なのは、「多数派がよければそれで良し」という少数者、弱者切捨ての論理です。つまり、「そんなダミー会社が沢山できたら、問題だが、数が少なければいいじゃないか」という発想です。」
葉玉: この浜辺先生の反論は、論理的ではありません。私は、ダミー会社が違法な行為を行うのならば、たった1社であっても、1回の行為であっても、許されないと思いますし、また、「数が少なければいい」などとも思っていません。
 私は、その違法行為の抑止手段として、最低資本金制度を用いるのは間違っているといっているだけです。それは、最低資本金制度は、ダミー会社を抑止する実質的な効果はないからです。
 そもそも、浜辺先生の論理は、「会社の設立」という基礎的行為と、「会社を用いた違法行為」という具体的な行為を同列に取り扱っている点に難点があります。もし、本当に、会社を用いた違法行為を完全に0にしなければならないというのならば、「会社」という制度自体を否定する以外方法はありません。
 こういうと、おそらく「そんな極端なことは言っていない」と反論されるかもしれませんが、それはすなわち、浜辺先生は、会社によって「不都合な事態が起きたり、場合によっては不正がまかり通ったり、許されたり、野放しになったり、被害にあう人」は、出現することを一定数は許容しているということになります。要するに、浜辺先生と私の考え方は、程度の差でしかなく、質的な差はありません。
 
真に考えなければならないのは、そうした違法行為をどのような手段で抑止するかという点です。私は、最低資本金制度という効果のない制度で抑止するのはナンセンスであると思いますし、ダミー会社の問題は、会社法という枠組みだけではなく、刑法や警察行政との連携によって解決されるべき問題であると思います。

>浜辺先生:「「規制」は、具体的な効果を得られない限り、行うべきではない、との主張ですが、こんな方針でしか立法できないとなれば、社会的に必要な規制(とりわけ弱者保護とか、不公正の是正といった問題を克服するための政策課題)はいつまでたってもできないという弊害が生じるだろう」
葉玉: 現在、社会的に必要な弱者保護や不公正の是正などのための規制が沢山ありますが、どれも、具体的な効果があるという前提で立法されているはずです。
 実際に規制を実施してみて、具体的な効果が得られないものもあるでしょうが、具体的な効果が得られないことが明らかになれば、基本的には廃止するのが、(おおげさですが)憲法上の要請なのではないでしょうか。

>浜辺先生「かつての最低資本金制度が中途半端なものであったかどうかは難しい問題ですが、どんな規制もどこかで線引きする妥協が必要なことはあるわけで、それが経済社会の現実であったということは考慮する必要があるでしょう。」
葉玉: 立法に妥協が必要なのは、当然です。ただ、その論理を使えば、最低資本金制度そのものが、経済社会の現実にあわなかったため、今回の会社法改正で、これを維持したいという考え方をもつ人も、廃止について妥協せざるをえなかったというしかありません。

>浜辺先生「株式会社を名乗って、有限責任のメリットを享受するための基礎としてのあるべき姿として、何が必要なのかが明らかにされる必要はないのでしょうか。」
葉玉:この記述には、いくつかの問題があります。
 まず第一に、「有限責任のメリットを享受するための基礎」という考え方自体に違和感を覚えます。この考え方の基礎には、「会社は、出資者の道具に過ぎず、本来、出資者は、会社債権者に対しても、責任を負うべきだが、一定の基礎があった場合には、有限責任を認めてあげよう」という思想があるように思うのです。
 私は、会社は、法的な意味でも、実態としても、出資者とは切り離された存在であると思っています。出資者の責任が問題となるのは、主として
① 会社が適法な契約に基づいて負担した債務
② 会社の出資者が、会社の行為のひとつとして違法行為を行ったことによって生じた債務
の2つですが、②については、間接有限責任かどうかという問題ではなく、むしろ出資者が直接の不法行為者として責任を負う場面です。
 間接有限責任は、①の場合です。この場合、相手方は「会社」という法人と契約しているのですから、会社に対する権利を取得することは意思表示の内容となっていますが、その契約に名前もでてこないような背後の出資者の財産を当てにする意思は見受けられません。
 ですから、論理的には
 法人格を認めるということ=原則として、それ以外の者への責任追及はしないこと
なのです(このことは、合名会社と合資会社は母法では、組合と考えられていたのに、日本でうっかり法人として規定されたというエピソードからも読み取れるところです)。
その意味でいえば、「有限責任のメリットを享受するための基礎」というのは、「法人格を認めるための基礎」という以上の意味はあまりありません。

 もし、浜辺先生のおっしゃっているのが、「法人格を認めるための基礎」という意味であれば、それは、会社法そのものが強行法規であること、そして、取締役等の行為規制や責任、BSの公告、さらには、罰則を定めていることなど各種規制が存在していることが、その基礎となっています。これらの基礎を前提に株式会社とすることについては、株式会社と有限会社の一体化の議論の中で、法制審議会でも認められているところです。

第2に、「株式会社を名乗って・・」という部分について、反論いたします。
 浜辺先生は、「法令を遵守するのは大変であるし、株式会社を名乗りながら、現実に法令をクリアーしていない人々は後ろめたさもあったわけです。ところが、今回の会社法は、もう恥も外聞もなく、「どうだ、立派な株式会社だ。もう文句はないだろう」と誰でも言えるようになってしまって、「法人成り」を追認する立法でした。」と書かれていますが、この記述は、それ自体、あまり意味のない反論であると同時に、浜辺先生がブランド価値について「有限会社との間で逆転現象が生じて」いるという部分と論理的に整合していないと思います。

 旧商法の株式会社と、会社法の株式会社の主たる違いは、取締役1人でも株式会社と名乗れるようになったことや、配当制限について、いままでは1000万円の資本金がベースになっていたのが、純資産300万円というベースになったこと等です。
 このうち、配当制限は、法人成りを追認するという点とはあまり関係がないので、浜辺先生がおっしゃりたいのは、「旧商法の下では、取締役3人、監査役1人が必要で、登記はしているけど、実態としては、取締役1人しか経営にタッチしておらず、名前だけ借りているような状態でうしろめたさがあった。それを、会社法は、1人でも株式会社を適法に作れるようになり、恥も外聞もなく、立派な株式会社といえるようになった」ということなのでしょう。

 ところで、この法人成りの「株式会社」を追認することが本当に悪いことなのでしょうか?
 会社法成立前の時点ですら、日本の株式会社の99%以上は、実態としては、代表取締役が一人で切り盛りしているような会社だったと思います。このような立法事実がある場合に
① 株式会社というブランドを上場企業・大企業に限定し、弱者の株式会社に対する信頼を守るため、既存の99%の株式会社を有限会社にする法制度を採用する
② 実態に法制度を合わせる
のどちらかを選択するしかありません。もし法制度を改正せず放置するという選択肢をとれば、実質的違法状態(活動しない取締役や監査役がいる状態)を放置することになるからです。

 浜辺先生は「相対立する要請を、どのように調整をするのかが、本来、立法担当者が整理すべき作業であったのではなかったのではないのか。それをしないで、拙速にとりあえず何か壊して、何も残っていないじゃないか」と反論されていますが、株式会社と有限会社の一体化の問題は、法制審議会における最大のテーマのひとつとして活発に議論し、整理された問題です。
 浜辺先生は、「法的リテラシーの低い人」のことを考えよとおっしゃっていますが、今回の会社法の整理は、実態に法制度をあわせただけですから、法的リテラシーの高低にかかわらず、株式会社の内部者や株式会社と取引をする人を混乱させることはないと思います(そもそも、法的リテラシーの低い人が、取締役が3人以上であるとか、監査役がいることを重視して、株式会社と取引しているとは思えません。むしろ「株式会社」という認識すらなく、取引をしているのが実態なのではないでしょうか)。
 
また、浜辺先生は、ブランド価値について「有限会社との間での逆転現象」があるとおっしゃっていますが、ここでいうブランド価値は、浜辺先生がそれまで話題にしていた「規制によってもたらされるブランド価値」とは違っています。有限会社の方が、有限会社型株式会社よりも、基本的には規制が緩いので使いやすいという意味です。その意味では、有限会社にブランド価値がありますが、それならば、旧商法の株式会社よりも会社法の株式会社の方がブランド価値が高いということになるでしょう。

>浜辺先生「そうした悪い人間の餌食になる「法的弱者」が会社法の犠牲者となるわけですが、「お上の法律には間違いはない」という、(もちろん、そんなことは誤りなのですが)、現実にはそういうナイーブな考えの人たちも多いことを為政者は十分に踏まえて規制を構築していくことが必要だと思うのです。・・・そうした意味において、「そもそも、そのようなものを議論すること自体、意味がない」というのは、結局、エリート官僚による「弱者切り捨て」の横暴な論理にほかならない、というのが私の考えです。」
葉玉:レトリックとしては、面白いのですが、的外れな批判です。
 まず、浜辺先生が的を外している1点目は、会社法の位置づけです。
 会社法は、会社に関する基本法です。会社法だけで、会社を用いた違法行為を防止することができないのは当然ですし、実際に、具体的な法的弱者の救済を行う制度は、刑法や各種消費者保護立法によって用意されています。基本法で弱者救済をすべてまかなわなければならないというのならば、会社法ではなく、「民法」が一番「弱者切捨て」の横暴な法律ということになるでしょう。すべての法制度のバランスの中で会社法の果たす役割を考えた上で「弱者切捨て」なのかどうかを考えるべきです。そういう視点からみれば、会社法の改正においては、「ナイーブな考えの人たち」のことを配慮しながら作られています。
 
 浜辺先生の第二の的外れは、実効性のない最低資本金制度を廃止したり、取締役一人でも株式会社を設立するという実態を反映した立法をしたことを、「弱者切捨て」につなげているところです。
 最低資本金制度の導入の前までは、35万円あれば会社が設立できていたわけですが、そのときは弱者切捨て状態だったのでしょうか?
 昔から、有限会社という規制の緩い有限責任形態の会社も存在していたわけですが、それは、ダミー会社として、どんどん使われ、弱者切捨てがされていたのでしょうか?
 逆に、法的リテラシーの低い人は、「この会社は有限会社だから、だまされないようにしよう」と考えていたのでしょうか?
 
 どのテーマを切り取っても、私には、 NO という答えしか思い浮かびません。
 
 他方で、最低資本金制度のために、株式会社や有限会社を作るのに苦労し、見せ金で設立している会社も多数あるというのが現実です。そうした苦労を強いること、または、違法行為を誘発することを許容してまで守るべきものが、かつての最低資本金制度にはあったのでしょうか。私は、なかったと断言します。
 私には、浜辺先生が最低資本金制度の廃止を批判されること自体、中小企業の実態を見ない、弱者切捨ての論理にうつります。
 
 私は、最低資本金制度の廃止の悪影響について「そのようなものを議論すること自体、意味がない」とは、まったく思いませんし、実際に議論されてきました。しかし、法制審議会の議論やパブコメでも、多数の方が最低資本金制度の廃止を支持されていたという現実もあります。
 ですから、私は、むしろ、浜辺先生から「最低資本金制度は、こんなに意味があった。弱者救済のためにこんなに役にたっていた」という反論をお聞きしたいくらいです。
 議論は大いに行うべきであり、もし最低資本金制度に意味があるのならば、私も一市井人として、次の会社法改正のテーマに取り上げてもらえるよう陳情したいくらいです。
 ただ、今のところ、私には、平成2年の最低資本金制度は、百害あって一利なしの中途半端なものだったとしか、思えません。

 以上縷々再反論を試みましたが、次回は、浜辺先生の著書の別の部分について、批判をしたいと思います。
 浜辺先生は、お忙しいようですので、すぐに反論をしていただかなくても結構ですし、もちろん、私の言うことなど無視されてもかまわないのですが、お時間が許せば、また有益な議論をさせていただけたら、幸いです。

(質問コーナー)
Q1
森淳二朗・上村達男編「会社法における主要論点の評価」(日本経済社)などにおける上村達男教授の会社法に対するご批判にも反論なされることを期待しております。
投稿 rd | 2007年12月20日 (木) 05時30分
A1
もう2回ほど、浜辺先生の本について反論したいことがありますので、その後、読んでみます。

Q2
葉玉師匠、こんにちは。
「活躍した弁護士ランキング」へのランクイン、ホントにおめでとうございます。
師匠の熱気や活力(イキミ)をもらって、自分の仕事にも勉強にも「ハズミ」がつきます!
3年といわず、何10年でも是非続けてください。
いろんな先生方と、師匠との勝負の行方は・・・気になっております(笑)
投稿 至誠丸 | 2007年12月20日 (木) 11時15分
A2

ありがとうございます。もっとも、勝負をしているのではなく、議論をしているのですから、行方はよく分かりません。お互いの見解の弱点が分かれば、プラスと考えます。

Q3
一つ目は、葉玉先生が考えるローに入るまでにしておいた方がよい勉強はどのようなものでしょうか。要件事実を勉強すべきと漠然とした話は聞くのですが、具体的に何をすればよいのかうまく把握できなく困っています。
二つ目は、私は司法試験の受験経験が去年の一回のみで、加えてあまり勉強せずに受験しているので司法試験の勉強の仕方の知識の貯蔵がありません。
そこで、葉玉先生が考える新司法試験合格のための勉強方法・約二年間のタイムスケジュールを教えていただけないでしょうか。
以上二点、受験生へのお年玉代わりにでも答えていただければ幸いです。
長くなり申し訳ありません。
投稿 ブルー | 2007年12月21日 (金) 10時43分
A3
要件事実というのは、法律の要件となる事実という意味なので、民法などを普通に勉強すれば身につくはずですが、若干、技術的な側面があるため、要件事実第1巻とかを読んでみるのもひとつでしょう。
司法試験は実務家になるための試験ですから、その勉強の基本は、演習をして実際に答案を書くことです。また、択一試験の問題を解くことです。それが、試験のための勉強であると同時に、実務家としての能力を高めるための勉強でもあります(中教審の報告も、答練そのものが悪いのではなく、受験技術に焦点を合わせた指導がよくないと言っているだけです)。
 とにかく、自分の考え方を書くことによって整理するというのが法曹にもっとも必要とされる技術だと思います。

Q4
年明けから択一までの学習計画を見直すにあたり、時間配分について悩んでいます。憲民刑に重心を移しつつも、知識状態を保つため、また商訴から離れていないという安心感を持つため、商訴の記憶喚起の時間をあらかじめ組み込んでしまいたいのです。習熟度や毎日の学習時間等で違ってくるとは思いますが、商訴への時間配分について、スパンや一日に振り分ける割合等の目安がもしあれば、アドバイスを頂けませんでしょうか(ちなみに択一合格経験なし、一日10時間前後の学習時間です)。どうぞよろしくお願い致します。
投稿 つき | 2007年12月21日 (金) 13時53分
A4
今、択一の過去問を解いてみて、何点取れるかによって、違います。
あまり取れないならば、商訴は1日1時間ですね。
8割確実に取れるならば、3時間くらいかな。

Q5
権利株についての質問なのですが、発起設立の場合は、35条と52条2項で、払込によって引受人となる地位と、成立時に株主となる地位のそれぞれについて規定があるのですが、募集設立の場合には、63条2項の払込によって引受人となる地位についての規定しかないと思うのですが、これは募集設立については、払込後はその地位を譲渡してもよいという趣旨でしょうか?そうであれば、その理由を教えていただきたいと思います。
投稿 ロースクール生 | 2007年12月21日 (金) 14時40分
A5
頻出論点ですが、譲渡不可です。

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コメント

自分の持論は,自ら忙しい忙しいとアピールする人間(企業法務の世界に腐るほどいる)に仕事ができる人がいたためしがない,というものですが,実証をみた気がしています。

投稿: 一弁護士 | 2007年12月22日 (土) 02時54分

葉玉先生

私はいま司法修習中の者です。全部はまだ経験していないのですがJPBそれぞれの実務はとても楽しいもので,どの道に行ってもやりがいがあって充実感があるのだろうなと思っています。そのため,どれか一つに絞り込むことができず,JPBのいずれの道に進むべきか迷っています。

そこで,お聞きしたいのは,JPBそれぞれに合う適性はどのようなものなのでしょうか(好き嫌いでは決めれないので適性で決めようかと)。または,適性以外に,JPBを決める判断基準としてどのようなものがあると先生はお考えでしょうか。

以上,ご教示お願いいたします。

投稿: 悩む子羊 | 2007年12月22日 (土) 11時09分

批判するだけで脚光を浴びる学者・弁護士勢(マスコミを含む。)と、批判を受け止めながら物事を現実的に前に進める役人・実務家勢が、冷静に平場で議論すれば理論の詰め方その他優劣は明らかであることを例証する理想的な議論と拝見しました。

投稿: とおりすがり | 2007年12月22日 (土) 11時33分

こんにちは。

葉玉先生の浜辺先生に対する反論は、当然ながらきわめて論理的でしたが、
なんというか、かすかな熱気さえ感じれました。
1本の法律が作成されるまでに、立法者がどれだけ情熱を傾けているのか、
いまさらですが、理解できたような気がいたします。

投稿: dizzy | 2007年12月22日 (土) 13時10分

葉玉先生、始めまして。最近このブログにたどり着きました。葉玉先生が検事を辞められた理由のひとつに司法試験受験生の力になりたいという事があるとのことですが、また司法試験予備校で講師をされる予定はありますでしょうか。もし先生が講師をされるのであれば是非受講したいと思っております。

既出でしたらすみませんが、宜しく御願いいたします。

投稿: 不孤 | 2007年12月22日 (土) 21時43分

最低資本金により会社が創りにくかったのは事実だと思います。
それが、会社という器を使った悪事への圧力となったか否かは立証しにくいでしょうが、
「会社という器を使った悪事には見せ金でもなんでも初期投資がかなりいる」
という心理的な圧迫はあったのではないでしょうか。

また、「会社という器はハリボテのようなものかも知れない」という感覚を社会が持つことも弊害が大きいと思います。

まぁ、これまでも「会社のブランド力」を利用する人はたくさんいたのでしょう。

「自己責任でブランドを見極めてください」ということなのでしょう か。

投稿: 知ろうと | 2007年12月22日 (土) 22時32分

先生も指摘されていますが、浜辺先生の反論は全く論理的でないですね。なんか朝のニュースに出てくる知識人が専門外のことにコメントを求められてだれでも言える中高生の感想文のようなコメントをするのに似てると思います。多数派の論理だのエリート官僚による弱者切捨てだの。テレビの前のおばちゃんの耳にやさしいコトバを使えばいいやみたいな。
ただ、浜辺先生が論理的に議論することのできない人であるというよりも、あまり論理的ないい反論をするだけの材料というか、そういうものがないからああいう反論になってしまうのかなとも思います。

投稿: ぽんきち | 2007年12月23日 (日) 01時19分

葉玉先生こんにちは。

質問なのですが、「自己責任でブランドを調べてください」というよりも、「株式会社という制度自体にブランドなんかありません」というのが会社法の姿勢ということですよね?

一般庶民(法的リテラシーの低い人を含む)からしたら、そういう制度的なブランド力を言うなら、株式会社かどうかよりも、大企業かどうか、1部上場企業かどうか等の方を見ますよね?

投稿: 素人 | 2007年12月23日 (日) 01時39分

葉玉師匠、こんにちは。
コメントありがとうございます。

駅伝ではないですけれど・・・全力で走れば走るほど、インターフェイスがどの正面を向いているべきかは、そして、正中線がぶれないかは、大切になると思うのです。

街の片隅で、会社制度のインターフェイスに関わっている自分としては・・・「会社」の「制度としてのエンドユーザー」は、あくまでも出資と融資と経営(投資)の3つの局面にある、出資者と、債権者と、経営者であって、消費者まで含めて、「会社制度のブランドを考えること」にはムリがある気がします。

会社法のインターフェイスが向いているエンドユーザーは、ヤッパリどうしても、企業に関わる出資と融資と経営の「三面(と有限責任と取締役責任の二臂)」ぐらいに、これらの3局面をシッカリとも見つめてぶれないことに妥当性があると思います。
「会社法はこれでいいのか」の浜辺先生のように、会社法が、「八面六臂」の働きが出来れば良いとは思いますが・・・それは、企業に関係する法律の正中線上に、会社法がキッチリと存在するから、企業法の全体として可能になるとも思いますし。

そして、出資者と、債権者と、経営者の三者からは、今の会社制度は、かつての制度よりも格段に使い勝手やブランド価値は確実に上がった気がします♪

投稿: 至誠丸 | 2007年12月23日 (日) 13時53分


先日の反論への「再々抗弁」

早速、メインで取り上げていただきまして、ありがとうございました。
 昨日、早稲田大学でのシンポジウムでの「国際M&Aをめぐる模擬契約交渉のシミュレーション―早稲田大学と外国ロースクールの連携と先端ITの活用―」との報告が終わって、とりあえず一息ついたところです。

来年、春までには、「執行役員制度第4版」(東洋経済)が出るほか、労務行政研究所から、「個人情報・営業秘密・公益通報」の本が出ますので、現在ゲラと格闘中ですので、出版されたら、皆様、是非宜しくお願いします(などと、宣伝を先に。せっかく書くんだから。)

さて、葉玉先生の主張に私の反論が抗弁であったとすると、先日の反論は再抗弁で、今回は、その再々抗弁ということになりますが、こうなると堂々巡りが始まり、文章も異常に長くなってしまいましたが、反論の必要から仕方ありません。簡単に反論できるところが多いので、言わせていただきます。

 その細かい議論の前に、いくつか確認しておきたいと思います。

まず読者の皆様へ。葉玉先生のメインの部分だけ読むと、もっともらしく書いてあるので、完全にその通りの世界に引きずり込まれてしまいます。判断される際には、元の本「会社法はこれで良いのか」(平凡社新書)全体と、トラックバックに投稿した全体の主張とを比較して頂かないと、葉玉先生の引用がかなり恣意的で、都合よく改ざんされておりますので、その改ざんを前提に読まないで頂きたいのです。残念ながら、12月22日の葉玉先生の議論は、いつもと違って少しアンフェアな議論が目立ちます。どう改ざんされているかは、これから説明しますが、全部を比較してご判断ください。
最初、今回の葉玉先生の反論は、私とは別人に対して反論しているのかと思えるほど、少し違う理解だったので、そのあたりもできるだけ明らかにできればと思います。

総じて言えば、葉玉先生の反論の内容が、曲解、誤解、アンフェアな立論が多い上に、葉玉先生のお弟子さんたち(匿名で投稿する人々)も、随分きつい物言いをする人たちが多いようで・・・。これも有名税みたいなものなのでしょう。私もできるだけ感情的にならないようにしたいと思いますが、多少のオーバーな表現、不適切と思われる表現なども議論をスリリングなものにして、このサイトのアクセスアップに役立つと思って、お許しください。

なお、この論争は最後に何か述べて終わった側が一見すると有利のような、「最後に言った者勝ち」のような印象になるかもしれません。その意味で、チキンゲーム的色彩を帯びてくる恐れがありますが、一部だけ読んでこれで終わりなんだと思わないでほしいですね。
まあ議論が出尽くしたところで収束するものですが。

そんなこといっても、みなさん忙しいでしょうから、私もトラックバックまで開いて読むことは、めったにありませんでした。メインの部分しか読まれていない方からすると、12月22日の葉玉先生の反論で、「決着ついた。これで終わり」みたいに読まれる方が多いのでしょうね。こんなこと書いていても、半分無駄だと知りつつ。これが相手方ブログに投稿する方式でやる場合の難点で、仕方ないですかね。

もう一つ。これは現行法という権威に対する異議申立であるという性質から来る、「立法担当者が本来は正しくて当然」の議論なのです。基本的に会社法は既に施行されて、もう1年半以上たっているので、お上優先、切り捨て御免、官尊民卑の日本の風土では、「いくら法律を批判しても批判にすぎず、批判するヤツは仕事ができないか、バカなんじゃないか」といった考え方がありがちです。とりわけ会社法は、何をいっても与党、実務中心ですから、私も仕事のときは現行の会社法を前提にしか致しませんし、その際には、立法担当者の議論を一つのよりどころ(全部ではない)としています。
 現行法を前提とすれば、それは自由化・柔軟化がされたので、実務の知恵でいろいろできるのは当たり前で、そんなことは百も承知です。

それなのに、何故、こんな議論を、何のためにするのか。それは、単に「最低資本金廃止の是非」という小さな論点を巡っての白黒をつけようというのではありません。これに対する両者の考え方の違いは、それぞれの議論をご覧頂ければ分かりますが、私の立場は、次の通りです。
第一に、この議論を通して、最近の立法が一体誰のために、役人たちが、どういう姿勢で法律を作っているかを浮き彫りにできるかもしれないと思うから。
第二に、今後の立法の方向性はどうあるべきか、を考える参考になるかもしれないと思うから、
そして、これらの議論を通じて「エリート官僚支配」を打破するための議論のために小さな一石でも投じることができればという思いからです。

 私の再々抗弁の総論を述べれば、葉玉先生と私の違いは、
「ミクロ的・分断的思考、マクロ的には大ざっぱ」(ややもすれば、供給者論理のみに偏った財界エリート中心主義)

「巨視的、統合的思考」(庶民・在野の立場から、消費者・生活者主権に立脚した経験・歴史・文化尊重主義)
の違いがあるために、両者の考え方に開きが出てきているのだろうと思われます。

なお、一部、「論理的な見解」と「論理的ではない見解」といった読み方をしているむきがあるようですが、論理はそれぞれの立場で成立しており、「論理的ではない」という言辞があるからといって、それを文字通り受け止めてしまうのは正しい読み方ではありません。

前口上が異常に長すぎて申し訳ありません。あまりにも言うべきことが多くて。

それでは、12月22日の反論について、一つ一つ説明しましょう。

まず、(最低資本金制度廃止によって)「ダミー会社の設立が可能になり、より容易になる」という抽象的な危険性は、最低資本金を維持する理由にはなりえないという点ですが、これは本当に「抽象的な危険性」なのでしょうか?何をもってそんなことが言えるのでしょうか?現実には、資金繰りや事業計画を詰めなくても、会社が簡単にできるようになったというのは、「論理的な結論」です。

かつては1000万円の資本金を調達するためには、それなりの事業計画を作って、出資者を説得し、はじめて出資を得て事業が開始できるが、その計画が十分ではないために、会社設立が見送られたといったことは、現実にあります(実際の例として、私の関与した某ケース)。ちなみに、こうしたケースでは、計画に難があったわけで、会社ができなくて、正解でした。つまり、最低資本金制度の維持は、無理な会社の設立を抑制する具体的な効果がある場合もあるわけです。

一方、既に企業経営をしている人たちからも、「かつては、それなりに苦労して会社を作ったけれども、これからの会社法は安易に会社を設立して心配だ」といった意見を耳にすることが少なからずあります。
つまり、この点の私の意見は、ビジネスに携わっている人たちの現実の声を根拠としているものです。(ただ、既に会社を作った人たちは、昔は良かったという懐古趣味か、既得権益を守るために、新規参入者を快く思っていないからじゃないかという疑惑の目で見られるかもしれませんが、上記のようなビジネスマンの声は、経験に根ざした誠実な先輩による傾聴すべき意見のように思います。)
確かに、旧法でも悪人はおりました。しかし、旧法では、善人は善人なりに振る舞う中で、最低資本金制度は一定の事業をスクリーニングにかけていた面があるわけです。それに対して、会社法では、そうした資金繰りや事業計画を促すスクリーニングが弱くなるわけで、安易に会社を作れる雰囲気があり、そのために、「善人をも悪人にしてしまう危険性をはらんでいる」という形になりました。しかも安いコストで、容易になったわけです。
上記の、先輩経営者の人たちの不安は、まさにその点にあるわけで、こうした問題を、どのように抑制または克服するかを考える必要があったと思うのです。

ところで、「最低資本金廃止の問題」とは、正確に表現すれば、「会社法のような弊害予防・抑制・克服策を備えていない最低資本金の廃止」が問題ということです。つまり、最低資本金だけを取り出して、それだけで議論すると、葉玉先生のような議論もわかるのですが、問題にすべきは、この全体のコンテクストの中での最低資本金制度なのです。この点は、後の論点でも関係してきますので、ここであらかじめ確認しておきたいと思います。

次に、葉玉先生の<私は、ダミー会社が違法な行為を行うのならば、たった1社であっても、1回の行為であっても、許されないと思いますし、また、「数が少なければいい」などとも思っていません>という、くだりは、元々の、「ダミー会社が沢山設立されていたのでしょうか。」「さらに、会社法が成立した後、そのようなダミー会社が増えたのでしょうか。 おそらく、どれも実証的な研究がされていないため、浜辺教授も私も正確に答えをもっていないというのが現実ではないでしょうか。」という問いかけと、論理的にどのように整合するのでしょうか?これって、論理のすり替えではないのでしょうか。これは役人が国民を騙すために使う常套手段です。

最低資本金制度は、「健全な会社を作っていくため」の制度であって、「違法行為の抑止手段」という目的は、「健全な会社を作るため」という目的よりも小さい位置づけ、ないし副次的目的だったと思います。副次的な目的にすぎない「違法行為の抑止手段」として、「最低資本金制度を用いるのは間違っているといっているだけ」で、だから、「最低資本金制度は、ダミー会社を抑止する実質的な効果はないから」廃止したというのは、最低資本金制度の趣旨を矮小化して批判しているもので、不適切です。

そもそも、葉玉先生の論理は、「最低資本金制度」を「会社を用いた違法行為の抑止手段」と決めつけ、その範囲でしか論じていない点に難点があるとともに、視野の狭さを感じます。確かに、「最低資本金制度=違法行為の抑止オンリー」ならば、仰るとおりでしょうが、そうではない。最低資本金制度による違法行為の抑止は、副次的作用の一つにすぎません。

なお、どんな制度でも、違法行為は生じるわけで、問題は、「どういう制度がより健全な行為に親和性があるか」であるべきです。
「違法行為の抑止」を中心に置いて考えるというのは、多分、検察官だったから、そういう考え方になるのかもしれませんが、私は、最低資本金制度という制度趣旨について、違法行為抑制を「中心」目的と考えるのは、むしろナンセンスであり、そんな考えでは、木を見て森を見ずの政策論に陥ってしまうだろうと思います。(ちなみに、前回の反論で、私は「違法行為」の「抑制」という表現はなかったはずです)

なお、「ダミー会社の問題は、会社法という枠組みだけではなく、刑法や警察行政との連携によって解決されるべき問題である」というのは、その通りですが、その辺は他の役所にお任せで「俺は知らん」というのも、ちょっと無責任ではないか、という感じがします。(お役所の縦割りですか)

次に、「具体的な効果」を巡るご意見ですが、葉玉先生のいう「具体的な効果」とは、どの程度を言っているかが不明です。先に述べたように、不健全な起業をふるいにかける効果はある程度はあったわけです。

しかも、葉玉先生は「現在、社会的に必要な弱者保護や不公正の是正などのための規制が沢山ある」といいますが、現実には社会保険庁の問題をはじめとして、各種偽装問題でも露見してきたように、日本には不公正がまかり通るものだったのではないのですか?各種の社会問題やら、病理現象に目をつぶった、お気楽な、世間を知らないエリート官僚の意見のように聞こえました。
「憲法上の要請」まで持ち出して、程度不明な「具体的な効果」を基準にして、制度の採否を決めるのは、やはり役人的な発想にすぎません。

「最低資本金制度そのものが、経済社会の現実にあわなかった」のではなく、現実には、少しでも多くの起業を図ろうという狙いでした。論理よりも、経済的・政治的な要請によるものだったのではないですか? つまり、日本の企業社会ではなじみのある株式会社と有限会社というのは、経済社会の現実をある意味では反映していて、適合していた面もありました。ところが、無計画でも、何でも良いから、とりあえず設立される「株式会社」を増やして経済が良くなったように見える数字を偽装でもしようと思ったのか、さまざまな思惑の人たちの圧力があって、官僚が「最低資本金制度」の立法趣旨などを無視して、安易に飛び乗ったというのが、実際なのではないですか?

 今回の会社法は、要するに「規制される側」の要望ばかりを聞いて、「規制によって守られる人たち」の意見をどれだけ聞いたのか極めて疑問です。
 何のことはない。「株式会社の数が増えれば、経済が良くなったように見える数字が作れる」(有限会社が増えてもあんまり意味がないのか?)というのが本音だったように思われます。

次に、「株式会社を名乗って、有限責任のメリットを享受するための基礎としてのあるべき姿」という点に関して、この考え方自体をいろいろと批判しています。
しかし、まず理解すべきは、事業を行うためには、何も会社を設立する必要はない点です。多くは個人事業者として、できるビジネスはいくらでもあるのです。しかし、あるレベルになると、会社形態が必要となったり、会社にしたいという場合があり、多くの人々は有限責任の会社を選択します。その場合には、それなりのルールが必要だから、会社法があるのでしょう。

葉玉先生こそ「会社は、出資者の道具に過ぎない」もののように捉えているようですが、これは、そうではありません。伝統的な「株式会社」の歴史的意義とか、現代における社会的重要性、社会的責任、公共性なんて、もうここに書くまでもないでしょう。
これに対して、「本来、出資者は、会社債権者に対しても、責任を負うべきだが、一定の基礎があった場合には、有限責任を認めてあげよう」という思想は、間違っているのでしょうか?
「会社は、法的な意味でも、実態としても、出資者とは切り離された存在である」というのは、それを切り離すべき根拠が必要であるはずで、むやみに切り離すのはおかしいと思います。

また、出資者の責任が問題となる場合として、「会社が適法な契約に基づいて負担した債務」について、「相手方は「会社」という法人と契約しているのですから、会社に対する権利を取得することは意思表示の内容となっていますが、その契約に名前もでてこないような背後の出資者の財産を当てにする意思は見受けられません」と葉玉先生は述べますが、これは誤りです。公開会社ならば別ですが、小さな会社は、誰がオーナーの会社であるのかは大問題で、彼の会社ならば信頼して取引するというのが実態です。つまり、葉玉先生の議論は所有と経営が分離した会社では当てはまるが、現実には所有と経営が分離していない企業は多いのです。

「法人格を認める」ということと、有限責任は別の次元で、「法人格=有限責任」ではありません。従って、明らかに「有限責任のメリットを享受するための基礎」というのは、「法人格を認めるための基礎」とは異なります。
従って、「もし、浜辺先生のおっしゃっているのが、「法人格を認めるための基礎」という意味であれば、・・・」などという議論をするわけがなく、当方も全然想定外の議論を勝手にして批判を加えており、かなりアンフェアな記述です。しかも、これがまるで深く考えて反論しているような表現になっているので、読者の人たちが騙されやすいところです。

むしろ、当局も、会社法によって法人格の濫用が増えるだろうということは認めているのです。すなわち、平成18年税制改正で、税務専門家の間で評判が悪かった同族会社の行為計算否認の制度の適用範囲が逆に拡大されました。当局の説明によれば、「同族会社は、オーナーと役員がほとんど同じで、個人的色彩が強く、経営においても税負担の回避を目的とした恣意的な行為が行なわれやすい。そこで、法人税法には同族会社に対して特別の行為計算否認の規定(法人税法132条1項)があった。平成18年度改正では、こうした行為計算の否認権限の規定を、所得税法157条、相続税法64条又は地価税法第32条の否認規定の「適用があったときについて準用する」との定めを追加した(法人税法132条3項))というもので、その背景として、会社法の下では従前よりも会社が設立しやすくない、会社形態の濫用が増える懸念があるからということがあります。
同じく、特殊同族会社役員給与規定についても、当局の説明では、「会社法の下では最低資本金規制が撤廃され、株式会社がかなり設立しやすくなっていることから、法人形態の濫用による法人経費と給与所得控除との二重控除といったことが増えることが考えられる。そこで、税負担の公平の観点から、特殊支配同族会社に該当する法人が業務主宰役員に対して支給する給与の額のうち、給与所得控除額に相当する部分の金額は、原則として損金の額に算入されない」ということになったのです。

このように、「法人格を認める」ということと、有限責任は別の次元ではありますが、葉玉先生が混同したように、「法人格=有限責任」という捉え方をされることもあり、とりわけ税務当局は上記のような説明で、運用上は問題のあった制度を拡大しているわけです。
このように見ると、葉玉先生の議論は「黒を白と言いくるめる」類の議論であって、また、当局さえ認めてきたことを隠して民間人を批判する、極めてアンフェアなものだと思います。

なお、「有限責任」「法人格」の問題点に関連しては、このほかにも、合同会社をめぐる問題もありますが、それを議論すると、論点が拡散するので、敢えて争点を拡大しません。

次に、葉玉先生は、(私)「法令を遵守するのは大変であるし、株式会社を名乗りながら、現実に法令をクリアーしていない人々は後ろめたさもあったわけです。ところが、今回の会社法は、もう恥も外聞もなく、「どうだ、立派な株式会社だ。もう文句はないだろう」と誰でも言えるようになってしまって、「法人成り」を追認する立法でした。」という点と、(私)「有限会社との間で逆転現象が生じて」いるという部分と論理的に整合していないと指摘しています。しかし、「株式会社」は、株式を発行し、将来的には公開会社を目指せるような器であって、それに対して有限会社は小規模閉鎖会社というブランドであったという両者の区別があったことを前提にしたものであって、十分に整合的な議論です。恐らく、ここは、「有限会社廃止ありき」でしか考えていないことによる読み間違いの批判と思われます。

どうして全部「株式会社」にしてくれ、という話になっているのでしょうか?株式会社と有限会社とあることで、不都合がありましたか?会社法は、株式会社と合同会社がある形になって、こちらの方が弊害がありそうに思いますが、それは措くとしても、どうも節操もなく、「株式会社」を解放して、いったいどういう意味があるのか、その辺りが立法政策として問題があり、結局、論理よりも、経済政策・政治的妥協にすぎないものを、葉玉先生が一部利益団体のために理論武装をされているだけのことのように思います。
従って、そうした利益団体から支持を受けるのは当然ですよね。もっとも、官界から民間に天下りしても、官界での経験を利用して「活躍」している分だけ、何もしないで金だけ取っている天下りと同列にする趣旨ではなく、葉玉先生は立派であり、貴重な存在です。

「会社法成立前の時点ですら、日本の株式会社の99%以上は、実態としては、代表取締役が一人で切り盛りしているような会社」であるとの立法事実がある場合に
① 株式会社というブランドを上場企業・大企業に限定し、弱者の株式会社に対する信頼を守るため、既存の99%の株式会社を有限会社にする法制度を採用する
② 実態に法制度を合わせる
のどちらかを選択するしかない」と断言するのですが、どうして「有限会社」がなくならなければならないのでしょうか?
「有限会社」は、廃止しなければならないような悪い制度だったのでしょうか?有限会社を株式会社にする必要性が、本当にあったのでしょうか?
選択肢としては、有限会社のみ最低資本金を廃止して、利用者からみて、有限会社は資本的裏付けがない会社、株式会社は少なくともある程度の資金的裏付けからスタートして、それなりの企業を目指す会社といった棲み分けを志向するということは、そんなに悪いことでしょうか?
この辺りのバリエーションはいくらでもあるはずで、それは、それぞれの国の会社法制の歴史も関係しているのではないですか。
 こんな「2つの選択肢しかない」という前提からなされる説明のどこが論理的なのでしょうか?きわめて視野の狭い範囲内での「閉じられた論理」性にすぎません。

また、「法制度を改正せず放置するという選択肢をとれば、実質的違法状態(活動しない取締役や監査役がいる状態)を放置することになる」などといいますが、立法趣旨が正しければ、違法状態は是正する方向で、いろいろと調整したり、新しい知恵を出したりすべきなのであって、それを単に放り出して、全部「株式会社にするしかない」というのは、あまりに短絡的です。

結局、「株式会社と有限会社の一体化の問題は、法制審議会における最大のテーマのひとつとして活発に議論し、整理された」と、ここでも「お上の権威」を持ち出しますが、①結局「特例有限会社」は残っている、②上記の疑問について、どう考えているのか明らかではない、③とにかく起業促進という目的のために理論が政治に負けただけのことではなかったのか、という疑問が残ります。
つまり、最低資本金廃止が株式会社全体に及んで、その株式会社はいろいろなタイプがあって、それぞれの使い方は、民間に丸投げで「自由にどうぞ」という形で、ソフトロー的な規律自体は良い面もありますが、方向性はもう少し明らかにする必要があったのではないかということなのです。まあ、法制審議会が決めたから「仕方ないじゃないか」というのであれば、それこそ仕方ありませんが。

そこで、「法的リテラシーの低い人」たちのために、どうすべきかですが、有限会社と株式会社という二つの分かりやすい区別がなくなって、会社法では、基本的なところから見えにくくしてしまったのです。今回の会社法は、明らかに強者に有利なのであって、弱者のためのことを考えたとは思えません。それは今後、取り上げられる論点にもなってくるでしょうが、「むしろ「株式会社」という認識すらなく、取引をしているのが実態なのではないでしょうか」などというのは、庶民を愚弄するものではないでしょうか。
 誰だって、有限会社と株式会社の区別くらいは、つきますよ。私が主張しているのは、もっと分かりやすい法律を作れということであり、徒に難しい法律を作ったことに対する批判もあるのです。
 昔も分からなかったから、分かりにくくても良いのだということにもなりません。
葉玉先生、「分かりやすい法律を作ろうという意識はなかった」くらいは自白してもらえませんかね。

また、葉玉先生は、「有限会社との間での逆転現象」(本書18頁)でブランド価値は、それまで話題にしていた「規制によってもたらされるブランド価値」とは違っていると述べますが、別に違ってはおりません。一貫して、「ブランドとは、他の銘柄と異なる明確な差別性があることとか、ある銘柄に対して社会や消費者が抱いている印象」であって、株式会社のブランドと、有限会社のブランドとがあったところ、「株式会社のブランド価値とは、最低資本金制度導入前から形作られてきた規制を受けている総体であって、もともと公開会社のイメージの「株式会社」ブランドです」と説明しておりました。

葉玉先生のこの辺りの論理操作は正しくなく、結論として「旧商法の株式会社よりも会社法の株式会社の方がブランド価値が高いということになる」ことはなく、私の議論では、会社法の株式会社にはブランド価値がなくなったため、当然のことながら、旧商法の株式会社、有限会社よりもブランド価値が低くなったということになります。これを図式化すると、こうなります。

①旧商法の株式会社
> ②旧・有限会社(特例有限会社)(使いやすさと、最低資本金300万円の規制の下に設立されたこと等を含む)
> ③会社法の株式会社

こうした関係で、一貫して議論しているはずで、葉玉先生は私の議論を曲解しているか、誤解しております。

(前回)「そうした悪い人間の餌食になる「法的弱者」が会社法の犠牲者となるわけですが、「お上の法律には間違いはない」という、(もちろん、そんなことは誤りなのですが)、現実にはそういうナイーブな考えの人たちも多いことを為政者は十分に踏まえて規制を構築していくことが必要だと思うのです。・・・そうした意味において、「そもそも、そのようなものを議論すること自体、意味がない」というのは、結局、エリート官僚による「弱者切り捨て」の横暴な論理にほかならない、というのが私の考えです。」

この点について、葉玉先生にもレトリックとしては、「面白い」ことは認めてもらえましたが、的外れな批判だと説明する中身が、おかしいです。
まず、的を外している1点目として、「会社法の位置づけ」について、「実際に、具体的な法的弱者の救済を行う制度は、刑法や各種消費者保護立法によって用意されています」と葉玉先生は主張します。しかし、それで本当に十分な状態になっている前提で言っているのでしょうか、また、会社法でやることが本当になかったのか、ということです。私は、会社法では会社の最低限度の健全性を確保するくらいのことや、不祥事が発生した場合に、いたずらに一般法理に頼るのではなく、会社法に、株式会社の健全性確保のための十分な具体的方策(まあ、これは内部統制が一部ある点は評価しています)やら、救済方法をビルトインしておくべきだったのではないかということです。
「民法」は、一般法ですから、最後の砦で、まったく「弱者切捨て」ではなく、他の法律で救えなかったものをフォローするものですから、葉玉先生のこの辺の説明は、民法の位置づけも誤解させるような記載になっています。それを、まるで、私が誤解しているように書いているので、始末が悪い書き方で、これまたアンフェアな記載です。

「すべての法制度のバランスの中で会社法の果たす役割を考えた上で「弱者切捨て」なのかどうかを考えるべきです」というのが、その通りですが、会社法のどこが、「会社法の改正においては、「ナイーブな考えの人たち」のことを配慮しながら作られている」というのか、具体例が何も記載されていないので、理解できません。
多分、この点は、重要なポイントなので、これから説明してくれるのでしょう。

次に、「第二の的外れ」として、今回の規制緩和立法を「弱者切捨て」につなげている点だとして、いろいろと論じております。この点は、規制緩和が各種の弱者切り捨てをしている一般論を確認した上で、葉玉先生の理由付けを見てみましょう。
 
「最低資本金制度の導入の前までは、35万円あれば会社が設立できていたわけですが、そのときは弱者切捨て状態だったのでしょうか?」この点については、その時代は、格差社会でもなく、グローバル競争も今ほどではなかったのです。社会が構造的に変化して、弱者切り捨ての風潮を後押しする形になっているということです。

規制緩和前には、いまほど弱者と強者の格差が社会問題化するほどではない社会だったわけですから、「ダミー会社として、どんどん使われ、弱者切捨てがされていた」わけがありません。それに、「ダミー会社の問題」副次的な問題なのですが、論理的帰結として、ダミー会社を作るコストが安くなることは間違いないわけです。つまり、違法行為がするのが楽になるわけで、違法行為に手を貸すような話であるという側面があることを指摘しているのです。

ただ、ここのところは本質を外した議論なので、本来の資本金制度は「健全な企業」のために、事業計画と資金繰りなどをきちんと考えてこそ「会社」であって、個人商店とは区別すべきだというのが、一次的な議論です。
私の前の反論では、「違法行為の抑制」という表現を使っておらず、むしろ葉玉先生が好んで用いる言い方なのですが、「健全な企業」のための制度趣旨という議論と、「違法行為抑制」という議論は、関係はしていますが、全部が表裏の関係にあるわけでもありません。これは前に既に述べていることです。

「最低資本金制度のために、株式会社や有限会社を作るのに苦労している」という現実はご存じのようですが、その場合に、きちんとした事業計画なり、成功しそうなビジネスであれば、出資者が現れたり、借金をしたりできるのです。それを「見せ金」で無理している人もいるわけで、そんな株式会社も本当に認めなければならないものですか?個人事業者ではだめなのでしょうか?とにかく「株式会社」にしないと、ビジネスできないというのであれば、それはむしろ、そういう資金くらい集めるべきだという要請があったからではないですか。
これからは、この辺りが、何だかワケが分からない世界になり、それこそ企業社会における秩序が分かりにくくなってしまうのです。

過去の最低資本金規制の下で会社を設立した、まじめな経営者は、みな「苦労を強いる」最低資本金は悪い制度だったという評価なのでしょうか?また、「違法行為を誘発する」というのは、どういう違法行為を想定しているかが問題で、会社法のほうが、より大きな違法行為を誘発する構造になってはいないか、という趣旨のことは前に述べたので繰り返しません。

とはいえ、「最低資本金制度の廃止」そのものだけを批判しているわけではなく、中小企業の実態だけでいえば、経営者とすれば「有限会社のみの最低資本金規制廃止」という選択肢もありえたはずで、ここで「弱者切捨て」とは、前の反論でも説明していた通り、その取引先、消費者など、会社と取引する「法的弱者」であって、「中小企業経営者が株式会社を手に入れやすくなった」ことは当然の前提にして論じているからで、読解不足か、故意の歪曲か定かではありませんが、ちょっと納得できない断じ方です。

法制審議会の議論やパブコメでも、多数の人々が「最低資本金制度の廃止」を支持し、また先に解説したような政治情勢・経済情勢もあったところが問題で、論理的には一部それを廃止すること自体について限れば、私も許容範囲だったろうと思います。
問題は、その廃止方法が極めて政策論として杜撰で、説明も粗っぽく、そのため、巷では「会社がゼロ円でできる」といった妙な誤解が流布したところが問題で、それを会社法批判本で多少の警鐘を鳴らすことにより、弊害を少しでも減らそうとしているわけなのです。

既に、「最低資本金制度」の意義は、これまで述べてきたところから明らかだと思います。別にこれが積極的に「弱者救済のため」に役に立たなくても、せめて健全な企業社会になる方向で考えて欲しかったということなのです。

つまり、現行法の最低資本金制度廃止は、
①有限会社と株式会社の区別がなくなり
②病理現象、弊害があった場合のフォローが会社法に乏しく、他の法律(民法の一般法理などに丸投げ)、ない
③健全化を図る機能が弱まった
等の問題があったように思います。

以上、縷々再々反論を試みましたが、少し量が多すぎますね。できれば、もうちょっと手短かに、ポイントを絞ってもらえるといいのですが。
それと、今回の葉玉先生の反論は、笑えるところが少なくて、あまり面白くなかったのでは。

立法担当者だったけれども、民間人になったのですから、もう少し正直に、自分に不利な事情も開示して、深い議論を展開してくれればとまで期待するのは無理ですかね。でも、葉玉先生のあの程度の議論に「なるほど」と思って、私の本も読まず、トラックバックも読まないで、葉玉先生を単純に信じる人々が多いと思うと(まあ、これは葉玉宗信者がブログ読者・投稿者の中心を占めている面は差し引くとしても)、今の社会がどんどん悪くなっていくのも仕方がないのかな、という感じがして少し残念です。(いや、全部、読んで冷静に分析して葉玉先生のほうが正しいと思うのであれば、それは全然問題ありませんからね。ここは、結論にこだわっているのではなく、プロセスを気にしているだけです)

まあ、私のこの長い反論の中には、一部不適切な表現もありましたが、その点はお詫びします。これもすべて、読者の方々に面白く読んでもらうための、パフォーマンスとして、受け流してくださいね。葉玉先生のことだから、それだけ大人物で、不適切なところが気づかないくらいではないかと思っています。

あと2回ほど、新たな論点提示があるそうですが、大きな予想論点としては、「立法担当者が怠けている」という点か、「徒に日本語がおかしい」という点か、それとも大穴論点として、「疑似外国会社」関係か、それとも、これらは反論できないから、別の小論点を取り上げるのか、まあ楽しみに待っております。

いずれにせよ、揚げ足取り的な議論よりも、本質的な議論を期待する次第です。それと、葉玉先生のみならず、取り巻きの方々も一つお手柔らかにお願いしますね。

投稿: 浜辺陽一郎 | 2007年12月23日 (日) 17時27分

偶然にも、浜辺先生の「再々反論」を見つけて、読む機会がありました。
確かに、葉玉先生の今回の「再反論」は、議論の運び方から受ける印象に過ぎませんが、引用が断片的で、かつ相手方に対する敬意のようなものが感じられなかったので(いつもそうというわけではありません)、浜辺先生の「再々反論」を読みことができてよかったと思います。
議論自体にどちらが軍配があるか、ということについては、コメントする能力もありませんが、浜辺先生の再反論にはなるほどと思う面があるように思います。
実証的な研究が待たれるところなのでしょうね。

投稿: 読者 | 2007年12月23日 (日) 18時35分

葉玉師匠、こんにちは。

「資本金ゼロ円でも株式会社の社長になれるんだって?」と聞かれた場合に、
自分のクライアントに助言するときには、
「300万は最低稼がないと、配当受けられないぞ~」
と言うと、ホトンドの場合に諦めてくれます(爆)
計算規則186条⑥の額を、分配可能額から控除しなければならないので。

「最低資本金というからには、設立時にハードルを設けるだけではなく、それを維持してこそ、意味があるはずです。」

「会社法はこれでいいのだ(1)」における、葉玉師匠のこの記述は、ナンの気負いもない、自然体のコメントだと自分には読むことが出来ます。
今回の株式会社制度は、かつての有限会社の資本金額だった300万円から、実質的に出発している制度であるハズですし。

会社法の株式会社制度は、会社財産の維持について、資金の「循環面」を強調した制度であり、変に「社長のブランド」を強調しない、企業の関係者の「判断力を奪うような関わり方」が非常に少ない良い制度だと思います♪

投稿: 至誠丸 | 2007年12月23日 (日) 21時03分

返答ありがとうございました。アドバイスを参考にして、演習中心のスケジュールを作成し実行してみようと思います。

投稿: ブルー | 2007年12月24日 (月) 00時19分

>浜辺先生
「お上優先、切り捨て御免、官尊民卑」
「エリート官僚支配」「天下り」
のフレーズを随所にちりばめられているようですが、これらは制度の良し悪しの議論とは関係なく、レッテル貼りをするものであって、やめた方がいいと思います。相当にアンフェアな議論の方法ではないでしょうか。それとも浜辺先生の考える議論の本質はそこにあるのでしょうか?「官僚=悪」にたちむかう庶民の味方というような演出をしたいのかもしれませんが、逆効果です。
例えば、
「これって、論理のすり替えではないのでしょうか。これは役人が国民を騙すために使う常套手段です。」
の部分では、最後の
「これは役人が国民を騙すために使う常套手段です。」
は必要ではありません。
このような手法は「マスコミが国民を騙すために使う常套手段」だと思ってましたが「学者が国民を騙すために使う常套手段」でもあるのですか?それとも浜辺先生だけ例外的にマスコミレベルの議論しかできないのですか?

また、
「葉玉先生のあの程度の議論に「なるほど」と思って、私の本も読まず、トラックバックも読まないで、葉玉先生を単純に信じる人々が多いと思うと(まあ、これは葉玉宗信者がブログ読者・投稿者の中心を占めている面は差し引くとしても)、今の社会がどんどん悪くなっていくのも仕方がないのかな、という感じがして少し残念です。」
や、
「取り巻きの方々」
といった発言のように、このブログを読んでいる人たちを上から目線でバカにするのもやめていただきたいです。浜辺先生は偉い学者さんかも知れませんが、普通の人たちをバカにするべきではないと思いますよ。

最後に、上記のような発言に関し、
「これもすべて、読者の方々に面白く読んでもらうための、パフォーマンスとして、受け流してくださいね」
などと、「あたかも受け流せないヤツが子供なんだ、大人なら受け流せよ」といいたげな、いちいち反論する人が悪者となってしまうような伏線を張るのも卑怯なやりかたです。「学者が国民の批判をかわすために使う常套手段」ですか?
これから先、もし、自分の議論の相手等から中傷まじりの痛烈な批判文章を書かれたときに、
「これもすべて、読者の方々に面白く読んでもらうための、パフォーマンスとして、受け流してくださいね」
「私もできるだけ感情的にならないようにしたいと思いますが、多少のオーバーな表現、不適切と思われる表現なども議論をスリリングなものにして、このサイトのアクセスアップに役立つと思って、お許しください。」
といわれたらどうするんでしょうか。

投稿: 受験生 | 2007年12月24日 (月) 09時42分

>「取り巻きの方々」
といった発言のように、このブログを読んでいる人たちを上から目線でバカにするのもやめていただきたいです。浜辺先生は偉い学者さんかも知れませんが、普通の人たちをバカにするべきではないと思いますよ。

うーん・・・本論じゃなくあえてそういうところにからんじゃうのが、「揚げ足取り的」「取り巻き」に見えるんじゃないか?やっぱり。

あと、浜辺「先生」ってのは、学者じゃなく、弁護士です。

投稿: 修習生 | 2007年12月24日 (月) 11時30分

>受験生さん

 議論の仕方の良し悪しは読者が勝手に評価すればいい話で、あなたのお説教など他の読者は期待していません。
 それからコメントをするなら余計な方向に議論がいかないようにするためにも、せめて最低限の下調べ位はするのがマナーではないでしょうか?
 浜辺サンはワセダの客員教授だけど、実務家教員であって「研究者」ではありません。
 多くの人は、葉玉サンと浜辺サンの議論を楽しみにしているのですから、有益なコメントは別として、余計な乱入は控えませんかね?

投稿: お呼び出ないよ | 2007年12月24日 (月) 11時33分

なんか、炎上しそうですね。
アルファブロガーの宿命でしょうか。

投稿: dizzy | 2007年12月24日 (月) 17時12分

はじめまして。いつも楽しみにして読ませていただいております。
質問させていただきます。

IHIがプラント事業の採算悪化により、決算の過年度修正を行うとのことですが、この場合株主総会における事業報告も修正するひつようがあるのでしょうか。
会社法では、取締役会および監査役会設置会社でそれぞれの承認をうければ事業報告は株主総会での報告で足りるとなっていると思いますが、ぞの前提となる決算内容の修正があった場合には、何らかの措置が会社法上も必要になるのでしょうか。
金商法上では有価証券報告書の訂正になるのかと思いますが。。

お願いいたします。

投稿: MAX | 2007年12月24日 (月) 21時39分

再々「反論」でなくて、「抗弁」といってしまうところにセンスの悪さが感じられますね。

投稿: | 2007年12月25日 (火) 00時36分

一読者としての意見を言わせていただくと
 

両者共に文章が細切れになり
投稿された文章が長くなりすぎて
読む気がしません(^^; 
 
一読者としては、このブログが一刻も早く通常営業に
戻られることを希望します^^

投稿: ポップン | 2007年12月29日 (土) 01時05分

いつも関心をもって読ませていただいています。会社で読むには余りにも楽しそうなページデザインなのが、周りに勘違いされそうな気がしていつもドキドキしています。
役員退職慰労金制度の廃止について教えていただけないでしょうか。
私の勤務する会社でも役員退職慰労金制度の制度廃止及びそれに伴う打ち切り支給をしようということになったのですが、ものの本によると役員退職慰労金制度の廃止は取締役会と監査役会の決議が必要でその後株主総会決議となると書いてあったのですが、そうあっさりと書いてあるだけで、なぜそれが必要になるのかさっぱり分からず、おまけに取締役会決議は不要で株主総会決議だけなのではないかというの意見も聞こえてきて、すっかり混乱しています。
まず、株主総会開催の前に取締役会決議をすべき内容は株主総会開催の決議を除くと
(1)役員退職慰労金制度の制度廃止
(2)制度廃止に伴う打ち切り支給
の両方になるのでしょうか、それとも(1)、(2)のいずれかになるのでしょうか。またそれはどの条文等が論拠になるのでしょうか。
また監査役会、株主総会で決議すべきものはどれになるのでしょうか。
本当に素人な質問でごめんなさい。多分当たり前すぎるのか余り書いてないのです。

投稿: わたしも会社法で遊びたい | 2008年2月23日 (土) 20時11分

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