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2007年12月30日 (日)

雨の六本木交差点

 本日は、法律とは、何の関係もない話をします(質問コーナー、浜辺教授への反論コーナーは、後ろの方にあります)。

 昨日、仕事納めの後、TMIの若い弁護士の皆さんと飲みにいきました。

 2次会のカラオケに行ったところまではよかったのですが、午前2時を回っても、皆さん、一向に解散する気配がない。
 それで、私は、参加者の一人に「何時までやるの」と聞いたところ
  「例年5時までです」
との答え。私は、気が遠くなり、一人でタクシーで帰ろうと、六本木の交差点に出ました。

 ところが、折からの大雨。しかも、空きタクシーはゼロ。六本木アマンド前のタクシー待ちで溢れる人並みを見ているうち
   自分がバブルの幻影の中に佇んでいる
ような錯覚に陥りました。

 ともあれ、雨の中をタクシー待ちはしたくなかったので、六本木ヒルズのタクシー乗り場に戻ったところ、これまた大行列。結局、2時間半ずっと行列に並んで、家に着いたのは、午前5時。
 あのままカラオケ屋にいて、始発を待った方が賢かったと、つくづく後悔。
 しかも、タクシー待ちの間、やることもなくボーッとしていたためか、20年前の悪夢のようなできごとを思い出しました。

 それは、択一試験の日の午前0時。私が、勉強を終えて、「明日に備えて、そろそろ寝よう。」と思っていたところに、ある女の子から電話がかかってきました。

 「葉玉さん、終電がなくなっちゃった。今、六本木のアマンド前にいるんだけど、迎えに来てくれない?」

 その女の子の名前を「A子」(仮名)としましょう。A子は、私が司法試験を目指すきっかけとなった女性ですが、私は、一言で言えば、A子のアッシー君だったのです。

 私は、アッシー君であるとはいえ、13時間後には、択一試験が始まるということもあり、そのときは、さすがに
  「今日は、昼から司法試験だから、無理。」
とお断りしました。A子は、千葉に住んでいたから、車で送るとなると、家に戻ってくるのは、午前2時過ぎになってしまうことが分かっていたのです。

 ところが、A子は、言いました。
 「なに言ってるの。私を家まで送って睡眠不足になっても、試験に合格するのが、葉玉さんらしいじゃん」
と。
 よくよく考えてみると、一体、何が「葉玉さんらしい」のか分かりませんが、そのときの私は、試験前の緊張感のせいか、なんとなく、「葉玉さんらしくしたほうがよいかな」と思ってしまったのです。それで、午前0時15分ころ、車でA子を迎えにいってしまいました。

 世はまだバブルのころ。六本木交差点は、黒服の男達と、ボディコンの女達で溢れかえっていました。
 A子は、私の車が、交差点で止まったとたん、駆け寄ってきて
   ありがとう。助かった。本当にありがとう。
とほほえんでくれました。
 私は、その笑顔を見て
    来てよかったな・・・・
とにんまりしたのですが、その瞬間、A子が
    ねえ、友達も帰れないの。一緒に送っていってくれない。
と言ったのです。
 ふと、A子の後ろを見ると、女の子が3人立っています。
 頭の血管が3本ほど切れる音がしました。

 私の理性は
   急いで送って、寝なければ、まずいぞ。
と叫びました。ところが、その女の子3人が、そろって、可愛い声で
    お願いします。
と頼んできたため、私は、つい
    わかった。みんな送ってあげるから、乗って。
と言ってしまったのです。

 なんということでしょう。時刻は午前1時ころ。択一試験は、12時間後に迫っています。それなのに、それなのに、男の本能(煩悩)が、車のドアを開けたのです。

 一刻を惜しむ私は、最短のルートで行くしかないと思いました。それで、女の子達に
   みんなの家は、どこ?
   近い順に送っていくから。
と聞きました。すると
  私、成城。
  私、横浜
  私、浦和
という声が・・・。
 千葉のA子を加えると、一都三県制覇。

 20年たった今でも、あの時の呆然とした気持ちがよみがえってきます。

 私は、A子に
  なんで、これから関東一周やねん。
と、面白くもないツッコミをいれずにはいられませんでしたが、A子からは
   えーがな。サービスしとき。
と、どうでもよいボケで返されてしまいました。

 とうことで、それから、私は、成城→横浜→浦和→千葉の順に、女の子達を送り届け、杉並のアパートに戻ってきたのは、午前5時。
 その6時間後、私は、択一試験の会場で、夢見心地のまま、試験に臨むことになりました。
 結果的に合格したので、こうしてブログで話すこともできますが、冷静に考えると、私は、バカ以外の何者でもありません。

 さて、こういう話をしたときは、何か教訓めいたことを言ったほうがいいのでょうが、
 「択一試験の日に、アッシー君になるのはやめよう」
というのは、当たり前すぎて、教訓としての価値がありません。

 あえて言えば
 「若い頃には、バカをやれ。、年をとったら、ネタになる。」
です。
 そういう教訓は、およびでないですか?
 そうですよね・・・。
 じゃあ、今日は、この辺で。

(質問コーナー)
Q1
私はいま司法修習中の者です。全部はまだ経験していないのですがJPBそれぞれの実務はとても楽しいもので,どの道に行ってもやりがいがあって充実感があるのだろうなと思っています。そのため,どれか一つに絞り込むことができず,JPBのいずれの道に進むべきか迷っています。
そこで,お聞きしたいのは,JPBそれぞれに合う適性はどのようなものなのでしょうか(好き嫌いでは決めれないので適性で決めようかと)。または,適性以外に,JPBを決める判断基準としてどのようなものがあると先生はお考えでしょうか。
投稿 悩む子羊 | 2007年12月22日 (土) 11時09分
A1
 JPBの間に「適性」というほどの違いがあるとも思えませんが
 裁判官・・・裁判官室で、裁判長を含め複数の人たちと黙々と仕事することを苦痛に感じない人
 検事・・・真実を追究するために、相手が言いたくないことを言わせることを苦痛に感じない人
 弁護士・・・手許にお金がなくても、正義に反するような仕事をしないことを苦痛に感じない人
というところでしょうか。
 就職と結婚はよく似ていて、どれだけ事前に悩んでも、どれだけ理屈を考えても、正解が見えることはありません。
 また、そのときは正解であっても、経験を積むに従って、正解が変わることもあります。

 私が、司法研修所に行かずに、LECの専任講師になったことを、他の司法試験合格者は、私にとってマイナスだと言っていました。しかし、今、振り返れば、専任講師の経験が、法律に対する多面的な理解と、法律を分かりやすく解説する技術の習得に繋がり、検事や弁護士の仕事に大変役立ちました。また、専任講師時代の教え子達が、いろいろなところで私を支えてくれており、あの経験がなければ、今の自分はいないと断言できるほど貴重な経験でした。
 私が検事になったとき、仲間達は「葉玉は、弁護士向きだ」と言っていました。しかし、検事の経験が、隠れた事実の発見や利害対立のある相手方の説得の技術の習得につながり、民事局の仕事や弁護士としての仕事に繋がっています。
 司法修習生として就職について悩むのは当然ですから、悩むなとは言いません。
 しかし、「適性」で決めるのではなく、「やりたい仕事をやる」というのが基本だと考えた方がよい結論になるでしょう。

Q2
葉玉先生、始めまして。最近このブログにたどり着きました。葉玉先生が検事を辞められた理由のひとつに司法試験受験生の力になりたいという事があるとのことですが、また司法試験予備校で講師をされる予定はありますでしょうか。もし先生が講師をされるのであれば是非受講したいと思っております。
投稿 不孤 | 2007年12月22日 (土) 21時43分
A2
残念ながら、予備校の先生になる予定はありません。

Q3
質問なのですが、「自己責任でブランドを調べてください」というよりも、「株式会社という制度自体にブランドなんかありません」というのが会社法の姿勢ということですよね?
一般庶民(法的リテラシーの低い人を含む)からしたら、そういう制度的なブランド力を言うなら、株式会社かどうかよりも、大企業かどうか、1部上場企業かどうか等の方を見ますよね?
投稿 素人 | 2007年12月23日 (日) 01時39分
A3
そのとおりです。
少なくとも、株式会社を、他の会社類型に比べて、良いブランドにしようという意識はないと思います。

Q4
IHIがプラント事業の採算悪化により、決算の過年度修正を行うとのことですが、この場合株主総会における事業報告も修正するひつようがあるのでしょうか。
会社法では、取締役会および監査役会設置会社でそれぞれの承認をうければ事業報告は株主総会での報告で足りるとなっていると思いますが、ぞの前提となる決算内容の修正があった場合には、何らかの措置が会社法上も必要になるのでしょうか。
金商法上では有価証券報告書の訂正になるのかと思いますが。。
投稿 MAX | 2007年12月24日 (月) 21時39分
A4
 事業報告は、何かを決定するものではないので、既に承認済みの過年度の事業報告について内容を修正した上で、再承認する必要はないと思います。
 問題は、今年度の事業報告について、過去分のBS・PL等を過年度修正を反映したものにすることができるかということです。この点、施行規則120条3項は、「当該事業年度における過年度事項が会計方針の変更その他の正当な理由により当該事業年度より前の事業年度に係る定時株主総会において承認又は報告をしたものと異なっているときは、修正後の過年度事項を反映した事項とすることを妨げない。」と規定しています。
 この規定を「正当な理由がある場合には、同項によって、修正後の過年度事項を反映した事項にすることができるが、正当な理由がない場合は、できない」と読むべきではありあません。
 同項は、内容に「誤りのある」BS等を修正することができるのを前提として、内容に「誤りのない」BS等であっても、会計方針の変更等によって過年度修正をすべきときは、その後の事業報告には、かつて承認されたときの数字とは違う数字のものを記載することができることを明らかにしたに過ぎません。
 とすると、結論としては、次の事業報告に、過年度修正後のBS等を記載すれば足りるものと思います。

Q5
会社法には、株式会社と株主との間で、株式の売買が行われる際の価格について記述された条文があり、
・116条1項、469条1項・・・「公正な価格」
・144条3項、177条3項・・・「資産状態その他一切の事情を考慮」
と2通りがありますが、どういう基準で区分けされたものなのでしょうか?
例えば、116条1項一号の公開会社から非公開会社への定款変更であれば、時価純資産での株価評価が妥当だと思われるので、「資産状態その他一切の事情を考慮」の方がしっくりくる様に思えます。
投稿 まろ | 2007年12月25日 (火) 09時37分
A5
 公正な価格は、あるコーポレートアクションについて、意見の対立がある場合に、反対株主が離脱するときの株式の価格です。ですから、株主間の公平、流通性が減少すること、支配プレミアムを多数派株主が取得すること等、あまり数字化できない部分を含めて「公正」と表現しているのだと思います。
 「公正な価格」と「資産状態その他一切の事情を考慮」は、言葉は違いますが、裁判所の判断基準としては、ほとんど同じような場合も多いでしょう。

Q6
私の場合、会社法で、変だと思っている条文は446条です。
446条1号のみを読むと、なんとなく自己株式の帳簿価額まで含めて剰余金として定義したのだと思ってしまいます。ところが1号ホで参照している法務省令である計算書規則177条を読むと天と地がひっくり返ってしまう思いです。
一  法第446条第1号 イ及びロに掲げる額の合計額
二  法第446条第1号 ハ及びニに掲げる額の合計額
ということで、会社法446条1号のイからニが否定されて、残るのは
三  その他資本剰余金の額
四  その他利益剰余金の額
ということになりますから。
自己株式の帳簿価額は446条第1号 ニでありましたので、常識通り剰余金の額には含めず、貸借対照表を安心して読むことができる。
と言うことで、私は、446条については改正すべき条文であると思っています。
投稿 ある経営コンサルタント | 2007年12月25日 (火) 14時13分
A6
 そうですね。446条を改正して、資本金を分配可能額算定の数式から除外するのは、よいことだと思います。
 ただ、そうすると、資本金の機能が、会社法からまた一つ消え去ることになりますから、反対者も沢山出てくるかもしれません。

Q7
葉玉師匠、こんにちは。

Q8
 実定法を研究する者は、改正法について、特定の制度・条文がおかしいという立法論的批判はしても、改正作業がおかしかったという批判は、普通はしません。私もそうありたいと思っています。それを前提として、今回の会社法については、改正のやり方自体に異論が出ていることを、頭が古いなどと拒絶せずに、元立案担当者として謙虚に受け止めるべきです。浜辺教授の議論は、規制緩和=弱者切捨てというもので、このような議論自体は従来からあるものです。論理的に否定しても、そのような議論が世の中からなくなることはありません。規制緩和にそのような側面があることは、否定できないからです。
 その意味で、立法過程に対する批判への反論で、「「権力者の意向が働いていた」などというのは、何を言おうとしているか意味すら理解できません。」ととぼけていらっしゃるのは感心しません。郡谷氏は経産省で「経産商法」を作った人ですし、「会社法は郡谷氏が8割作った」「彼は経産省からの刺客」という発言も良く耳にしました(真実そうだと言っている訳ではありません)。そして、当時の経産大臣は、買収防衛策についても経営者側の発言を繰り返していました。何をもって権力者というかは問題ですが、「意味すら理解できない」なんてことはないでしょう?
投稿 法学徒 | 2007年12月26日 (水) 01時42分
A8
 私は、「改正のやり方自体に異論」があるのならば、どんどん異論を唱えるべきだと思いますし、その異論については、謙虚に耳を傾けているつもりです。端から拒絶しているわけではありません。
 ただし、その「異論」が正しいかどうかは、別の問題です。
 「異論」の内容が不合理であるならば、私は、その異論が不合理であると思う点を指摘し、その異論を唱えるものからの、反論を待ちます。
 「異論=正しい」のではなく、そうした議論のプロセスをたどって、なおかつ、合理性をもって受け止められる「異論」こそが、会社法の本当の誤りを正す良い「異論」であると思います。
 また、私は、「規制緩和=弱者切り捨て」という議論を、世の中からなくすなどという大それたことを考えているわけではありません。しかし、「規制緩和」「弱者」の内容を具体化しないまま、そうした議論をすることの無意味さと危険性を指摘することは、当然だと思います。
 それから、「権力者の意向が働いていた」という意味が、経産省が郡谷さんを派遣したという意味であるのならば、事実をそのまま言っただけのことで、あえて議論するようなことではありません。経産省が、経産省の政策を反映させるために出向させたこと自体は、別段、不思議ではなく、裁判所も、検察庁も、弁護士事務所も、監査法人も、学会も、多かれ少なかれ、一定の影響力を立法に与えたいから、そこに人員を送り込んでいるのでしょう。民事局参事官室は、生粋の法務省職員が少ない外人部隊なので、ほとんどの者が別のバックボーンを持っています。ただ、そのことは、多様な意見を集約するという点では、法務省キャリアだけで何でも決めるより、意見が偏らずによいことなのではないでしょうか。
 法制審議会だって、経済団体、会計士、税理士、学者等が、それぞれの立場から意見を反映させるために参加しているのであって、各界の意見を立法に反映させるという構造は、基本的には同じです。
 多様な意見を吸い上げること自体を批判されているというのならばともかく、その多様な意見の中に、経産省の意見が一部存在することを捉えて「権力者の意向が働いていた」というのは、現実から乖離しすぎていて、意味が分からないのです。
 なお、立場の違いかもしれませんが、霞ヶ関のほとんどの役人は、経産省を「権力者」とは感じていないと思います。それとも、経営者が「権力者」なのですか?本当に意味がよく分かりません。

Q9
葉玉先生は、三輪芳朗教授の一連の著作、特に「規制緩和は悪夢ですか」を読んでいませんか。もっとも、三輪教授が強調するように、レッテル貼りやあいまいな概念に基づく通念に囚われることなく、証拠に基づいてきちんと考えれば、同じような論旨になるのだとは思いますが。
投稿 驚き | 2007年12月26日 (水) 22時46分
A9
残念ながら、読んでいません。機会があれば、拝読させていただきます。

Q10
「ちなみに、執筆について、書いた本の印税は全部国庫に入れているんですか?」といった、葉玉氏個人に対する追求はきわめて生々しく具体的で、微に入り、細を穿ち、迫真の説得力があると感服いたしました。自分のような無学文盲の輩でも即座に納得させられる、大変結構な論旨の展開で、欣快の至りです。やれやれ、もっとやれ。
投稿 法的リテラシーの低い、いち個人 | 2007年12月26日 (水) 23時06分
A10
 私達が、公務外で書いた本の印税は、私達がもらっています。他方、私達が公務で書いた文書には、印税はありません。
 世の中には、公務員が本を書いて印税をもらうことに対する批判があることは分かっていますが、個人的には、もっとどんどん批判して、「公務員は、本を書いてはならない。雑誌で解説をしてもならない」という法律があればいいなあ、と思います。そうすると、立案担当者は、「プライベートタイムの時間を削って、無茶苦茶手間をかけているのに、非常に実入りの少ない作業」である執筆作業をお断りできるので、楽になると思います。
 もしくは、公務員の数を増やして、執筆作業を公務に格上げするのでもいいです。
 「ホームレス中学生」くらい売れるならば儲かるでしょうが、法律の本の印税がどれだけ少ないか、法律本を出してみるとすぐに分かります。

Q11
葉玉先生:「会社と関係者が、意思表示によって権利義務を設定することは、本来自由なのだから、立案担当者の狭い常識の中で、しかも、立案当時に存在するニーズ以外に対応できないというような規制をすることは、基本法としてふさわしくない。
 将来、どのようなニーズが生じても会社法が対応できるように、不都合が生じない限り、理論的にありうる制度設計をできるかぎり広く許容しよう」
と考えて、立案しています。」 
これは、会社法29条に関する立案担当者の解説と矛盾しないでしょうか。
投稿 会社法の任意法規性 | 2007年12月27日 (木) 01時26分
A11
 私は、会社法の基本的な発想を述べたものであり、「どんな場面でも当事者の意思に委ねる」ということではありません。会社法は、必要な規制を行うために強行法規としての側面を持っており、その強行法規性に反する定款の定めは無効とするのが29条の趣旨です。

Q12
今回の立法に対して多くの評価と同時にこれだけ多くの批判もあることについて、元立法担当官としてもう少し謙虚な姿勢を前面に出していただきたいところです。企業クライアントは少々引いてしまいます。だって相談している弁護士が大物学者から嫌われてしまったら、いざというときに学者の意見書がもらえないじゃないですか。
投稿 見物客 | 2007年12月28日 (金) 01時19分
A12
すいません。根が謙虚ではないので、謙虚な姿勢が前面に出るとわざとらしくなってしまいます。私は、批判を無視するのではなく、批判が批判として成り立つのかを誠実に検証することこそ、本当の意味での「謙虚さ」だと思いますが。
 なお、企業クライアント様に引かれるのは、ちょっと困りますが、「学者の意見書をもらえるのか、もらえないのか」を気にして議論を控えるのは、私らしくないので、ご勘弁ください。

Q13
今回の「論争」は、浜辺憎しではなく稲葉憎しから書いたという発言を伝え聞いたのですが、本当でしょうか?
投稿 非論理的な質問 | 2007年12月29日 (土) 01時35分
A13
 私は、浜辺先生も、稲葉先生も、「憎む」理由はありませんから、稲葉憎しという気持ちは、ありません。むしろ、私は、結構、マゾなので、少々、過激に批判していただいた方が心地よいです。
 そもそも、論争は、「憎い」という感情ではなく、議論を通じて、より合理的なルールを策定するために行うものです。
 稲葉先生による会社法の批判は、正しい点もあれば、間違っている点(もしくは、不合理な点)もあります。会社法の間違いを指摘してくれるのは、ありがたいことであり、間違っていれば、どこかで改正すればよいだけのことです。
 逆に、批判の方が間違っているのならば、立案時の背景や考え方をベースに「その批判は間違ってますよ」と反論すればよいだけで、そこに余計な感情を持ち込む必要は何もありません。

Q14
 法律の中身は別として少なくとも立法過程については多くの問題があった、ということについてはコンセンサスが得られているのではないでしょうか。債権法改正に向けて、有力な学者が中心となって動き出している事実、そして内田先生が法務省へ乗り込んで行った事実は、今回の会社法制定の反省があってのことではないでしょうか?
 葉玉先生をはじめとして立法担当官の方を非難するつもりはまったくなく、むしろ神田先生が仰るように大変な仕事だったと思うのですが、それとは別に、立法のプロセスにもう一度しっかりと考えるべき部分があるように思います。
投稿 年の瀬ですね | 2007年12月29日 (土) 14時56分
A14
 立法過程に多くの問題があったことについて、どの範囲でコンセンサスが得られているのでしょうか。学者の間でコンセンサスが得られているというのであれば、これを機会に、もっと沢山の学者の方が、民事局の中に入っていただければ、これほど素晴らしいことはありません。内田先生が法務省にいらっしゃったことも、民事局構成員の多様性が、一段と増するという点において、画期的なできごとであり、これでよりよい立法が可能になると思います。
 
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ここから先は、浜辺教授との論争の続きなので、興味のある人だけ読んでください。

「葉玉先生に対する反論 第3弾」に対する反論

1 浜辺教授「どのようなニーズが生じても対応できるようにしてほしい」というのは、企業経営者のニーズにほかなりません。」
【葉玉】
 それを企業経営者のニーズというのならば、そのとおりです。
 ただ、そうすると、浜辺教授のいう「ニーズがないのに、立法している」という批判は当たっていないことになりますね。会社法は、「経営者のニーズによって、立法した」ということになりますから。

2 浜辺教授「結局、「ニーズ」を隠して、本当は持っていたという「ポリシー」の妥当性を議論させないような格好になったのではないですか?」
【葉玉】
 立案担当者が、具体的なニーズを想定して立法するのではなく、会社法のユーザーである経営者や株主が自分のニーズに合わせて会社制度を利用することができるようにするという点は、私たちが、ずっと言い続けてきたことです。隠してはいません。

3 浜辺教授「葉玉先生は、「種類株式の設計でも、原則は禁止で、特定のニーズがある場合のみ、これを例外的に認めるという発想」はダメだというようですが、会社法でさえ、種類株式は原則自由で、会社法で禁止している種類株式のみ発行できないという形にはなっていないですね。」
【葉玉】
 会社法の基本的ポリシーと、そのポリシーを実現するために、どのような条文構造をとるべきかという点は、次元の異なる問題です。

4 浜辺教授「(社債か金銭消費貸借かという)形式の違いで区別する考え方の経済的合理性が、いまひとつ理解できません。できれば、その点を教えてくれませんか。」
【葉玉】
 私も、あまり合理性はないと思いますが、経済合理性のないのルールであっても、それが現実に存在する以上、そうした制度を有限会社が使えるようにすることを認めてもよいでしょう。

5 浜辺教授「有限会社の社債発行について、「会社法は、弊害が生じるような場面まで許容するようなことはしていません。」とは、具体的に何を述べているのですか?民法の一般法理で救済するのではなく、会社法で何か小規模閉鎖的で株式会社のように開示も緩やかな特例有限会社について、何かあるのであれば、この際、教えてください。」
【葉玉】
全会の本文で述べているとおり、株式会社と同じ規制がかかり、かつ、それで十分です。

6 有限会社に社債を発行させることにより、将来、いつか何か問題が起きることはあるだろうという予言はできます。
【葉玉】
 有限会社が社債をめぐる不祥事を生じさせたとしても、それが有限会社であるがゆえの不祥事ではなく、株式会社でも同じ不祥事が起こりうるという予言はできます。

7 浜辺教授「「法律実務家は人並み以上に法律の立案ができる」という奢り」などという指摘をするところに、「奢り」があると私は言いたい。
【葉玉】
 私は、法律実務家よりも、霞ヶ関の官僚の方が優秀だと言っているわけではないので、奢りはありません。

8 浜辺教授「税金で育てた優秀な人材が外部に流出してしまうのはもったいないし、残念なことであると。今でも判事一筋、検事一筋で、定年してから、という生き方のほうが清々しいと感じるのは、時代遅れだということで片付けられるのでしょうか? 」
【葉玉】
 判事一筋、検事一筋で、定年してから、という生き方も一つの人生。
 そうじゃないのも、一つの人生。
 どんな人生でも、その人が一生懸命生きていれば、すがすがしいと思います。

9 会社法154条1項で「金銭」について
【葉玉】
 浜辺教授に誤解がないのであれば、私がとやかく言うことではありません。
 申し訳ありませんでした。

10 浜辺教授「どんな法律でも二面性があるから、「批判的に見てみよう」というところが出発点でした。それが、本当に「会社法で遊ぼう」ということになると思います。ですから、「浜辺教授が、そういう偏った目で会社法を読むのを止め」ろ、といっていたのは驚きでした。」
【葉玉】
 批判的に見るのを「偏った」と言っているのではありません。
 「立案担当者が故意に条文を難しくして、自分たちが弁護士となって優位に立とうとしている」という点を「偏った目」と表現しています。

11 浜辺教授「官僚に対しては、在野の立場からすると常に疑惑の目を持って監視しなければならないのです。それとも、葉玉先生は、「監視をやめろ」「一切批判するな」というのでしょうか。」
【葉玉】
 監視はよいことです。批判もどんどんやりましょう。私は、浜辺教授のコメントを削除していませんから「批判するな」と言っているのではないことは明らかです。
 私が、行っているのは、「批判に対する反論」です。
 浜辺教授は、「自分は批判するが、この批判に対する反論は許さない」ということではありませんよね?
 なぜ「批判に対する反論」を「一切批判するな」と受け取るのか、よく分かりません。

12 浜辺教授「今回の会社法は本当に財界寄りじゃなかったと断言できるのですか?この点は、先に触れた倫理の問題も関係しております。」
【葉玉】
 財界の意見も反映していますが、「財界寄り」ではなかったと断言できます。
 
13 私は、「民事局の立法姿勢」ではなくて、会社法の方向性がどこへ行くのかを議論しています。会社法と、金商法の関係その他もろもろありますよね。全部整理ついていないでしょう。
【葉玉】
 私は、民事局の立法姿勢のことを聞かれたのかと思っていました。どうもすいません。
会社法の方向性については「まずければ、改正すればよい。まずくなければ、そのままでよい」と思っています。

14 個人事業から始めさせると、何か芽をつまれてしまう事業があるのでしょうか?また、「個人事業から株式会社に移行するときに、事業用資産の譲渡のために無用なコストを生じさせるという問題」などというのがありますか?
【葉玉】
 規制を原則に考えるため、個人事業から始め「させる」という発想になるのです。
 自由を原則にすれば、「株式会社で起業させてはならないのか」ということを検討し、特に問題がなけれれば、それを認めるという結論になると思います。

15 浜辺教授「最初の資金というのは、ある意味で重要でしょう。旧商法は、その点が形式的に判断しやすいから、それを一つの基準としていたわけでしょう。それは、全部捨てなければいけない理由として十分ですか?日本よりは先進的・合理的ではないかと思われるヨーロッパの国々もそこまで行っていないのでは。」
【葉玉】
 会社法は、国々の企業の実態と密接に結びついているので、他の国の会社法と比較して、「どちらが先進的・合理的か」を論ずるのは、おかしいです。
 特に、「明治は遠くなりにけり」なので、「ヨーロッパの国々の会社法=先進的・合理的」という発想は止めた方がよいと思います。

16 浜辺教授「実質的には、平成2年改正の前に戻るというだけ」というのは、少し言い過ぎで、35万円あるのと、ゼロ円の違いは大きいように思います。35万円の資本金を残すことを考えると、それなりに真面目に考えるチャンスは、ゼロよりはかなりありそうです。」
【葉玉】
 会社法でも、1円の出資金だけで株式会社が作れるわけではないです。定款の認証費用や登記費用などを考えてください。そうすると、「真面目に考えるチャンス」という点では、35万円の差を問題にするほどの違いはありません。

17 浜辺教授「私の理論が「株式会社のみにフォーカスされすぎている」から理論が浅いと、断じておりますが、株式会社の伝統的なイメージを基礎に論じているわけで、「古い理論は浅い」「新しい理論は深い」ということなのでしょうか?どうも、考え方に融通性がないというか、昔の理論は理解する必要もないという立場なのでしょうか。」
【葉玉】
 「古い理論は浅い」「新しい理論は深い」ということを言っているのではありません。
 私は、昔の理論の存在を否定することもありませんし、むしろ、会社法の多くの部分では昔からの理論が生きていると思っています。
 ただ、浜辺教授が、株式会社のみにフォーカスして理由付けをしている部分については、持分会社、特例有限会社、その他の法人法制で、同じ考え方を適用しようとすると、うまく説明できていないところがあるため、それらの法人を意識すれば、理論が深まると言っているだけです。

18 浜辺教授「「最低資本金制度」の主たる根拠であった「区分立法の考え方ももやは維持すべき必要がない」と述べるのですが、大会社とそうでない会社の「区分」はあるわけですね。これも葉玉先生は廃止すべきものが残っているというのでしょうか?」
【葉玉】
 大会社を資本金で区別するのがよいかどうかは、大杉先生も問題提起されたとおり、本当に合理的かどうかは、検討した方がよいと思います。
 もっとも、これは、まさに政治的な問題で、手をつけがたい部分のひとつです。

19 浜辺教授「警察が、こうした問題をどれだけやっているのか。民事不介入の考え方も根強く、限界も大きくて、問題があるのではないかという認識ではあります。葉玉先生は、この点は全く問題がないという見解なのでしょうか?」
【葉玉】
 問題がないとは思いません。ただ、会社法という実体法をどうするかとは、次元が異なる問題です。

20 浜辺教授「今回の会社法でも、株式会社であれば、決算公告の義務があり、100万円の過料の制裁がありますが、この運用はどうなっているのでしょう?」
【葉玉】
 決算公告の調査機関を設けて、裁判所への過料の申立てをさせれば、実効性は高いでしょうが、それが政治的に可能ならば、とっくの昔にやっているはずです。

21 浜辺教授「「病理現象が起こることを前提にどう対処するかが立法のあり方ではある」というのはOK。ただ、「病理現象が起こるという具体的危険」だけではなく、論理的な帰結、人々の心理、社会的文脈、社会的構造、歴史などをも考える必要を主張しているのであって、こうした考え方自体のどこが病理なのでしょうか?」
【葉玉】
 論理的な帰結、人々の心理、社会的文脈、社会的構造、歴史などを踏まえた上で、具体的危険の有無を判断するのです。そうした諸要素を踏まえて具体的危険がないと判断しているのに、規制をするのは、病理です。

22 浜辺教授「昨今の商法の規制緩和が、ライブドア・ショックを起こした後遺症が、今なお、新興市場に残っていることを忘れるべきではないでしょう。あの株式分割を厳しく批判していたのは早稲田の上村先生ですが、その辺はお忘れですか。」
【葉玉】
 上村先生が批判されていたのは、もちろん覚えています。
 ただ、株式分割による株価つり上げは、実務の運用によって起こらなくなりました。
 規制緩和自体が問題であったのか、規制緩和に、従来の実務が十分ついてきていなかったのか、を区別する必要はあります。

23 浜辺教授「個人事業でもやれるような事業を、株式会社でやらなければならないのですか?事業を禁止してはいません。」
【葉玉】
 「個人事業でやれるものでも、必ず株式会社でやれ」と言っているのではありません。「個人でもいいし、株式会社でもいい」でしょうと主張しているのです。

24 浜辺教授「形式・名称レベルの違いからくる問題ですが、葉玉先生は、「「有限会社」は、小規模閉鎖会社というラベルを貼られること自体に不都合があったわけです。有限会社でも資本金が5億円を超えるところもありますし、従業員数も何百人も存在する会社もあります」と述べており、それが是正すべき不都合だというのであれば、なぜ「特例有限会社」がそのままなのでしょうか?」
【葉玉】
 有限会社自体が、有限会社という商号をかえたくないと思っている場合には、そのままの商号でも不都合はありません。むしろ、商号を無理矢理変更すること自体が規制になってしまいます。

25 浜辺教授「今回、新たに設立した会社を「有限会社」と名乗ることを禁止したわけでしょう。これは、冒頭にあった「具体的な規制を行うニーズがある場合に限り、規制することができるという」正しい考え方からして、有限会社という名称を禁止する必要があったのですか?葉玉先生が正しいという、その考え方からして、これをどう説明していただけるんでしょうか?」
【葉玉】
 「有限会社」という名称を禁止するのは、特例有限会社が残っているため、仕方ありません。特例有限会社がなくなれば、商号に「有限会社」とつけてもよくなるのですが。たとえば「株式会社 有限会社会社法であそぼ」とか。

26 浜辺教授「葉玉先生はこう述べます。「無意味なラベリングをすることにより、特に法的リテラシーの低い人に対し、有限会社に対する無用の誤解を与えるという点が問題だったと思います。」ここで無用な誤解とは、どういう誤解でしょうか?」
【葉玉】
 有限会社は、すべて小規模会社であるという誤解です。

27 浜辺教授「現実に有限会社的株式会社が多数存在することや、有限会社に対するラベリングに嫌気がさした有限会社がそのままの形で株式会社になりたいという要望が強かったというのが一体化の動機でしょう」と言いますが、その動機が不純なものであれば、それは阻止すべきではなかったのですか?
【葉玉】
 区分立法に合理性が認められないならば、その動機は、不純ではありません。

28 浜辺教授「出来上がったものが、完全無欠であるわけではないでしょう。その辺りの批判を分かりやすくしようとしているわけで、批判をすると何でもかんでも、「的外れ」のレッテルを貼るので、いろいろと反論する必要が生じてしまうのです。」
【葉玉】
 私は、なんでもかんでも「的外れ」と言っているのではありません。合理性のある批判は賛同し、そうでないものは反論し、的外れのものは的外れと言っているだけです。

29 浜辺教授「法制執務は、変える必要はないのですか?それに手をも付けないで、天下りしてきて、大きな顔をされてもなあ、というのが、あるんです。」
【葉玉】
 法制執務を変える必要はあります。正直にいえば、変えたくて変えたくて仕方ありません。しかし、残念ながら、私には、手を付ける権限すら、ありませんでした。
 なお、検事をやめて弁護士になるのを「天下り」と表現することが適切かどうかをご検討ください。

30 浜辺教授「葉玉先生が、(私の)「論理の最大の弱点」(なんだか、こういうのが多いな)として、「格差社会やグローバル競争の中身をはっきりさせない」「平成2年と現在で、どんな点に格差が生じているのか、グローバル化という点でどのように昔と違うのか」などのご質問は、私が説明するまでもないと思います。
 ただ、少し触れれば、弱肉強食の傾向が強くて、中小企業が苦境に陥る中で、小さな企業の起業を促進するために、「最低資本金制度の廃止」によって、「自力で何とかしろ」との政府の政策は、なかなか経済を好転させるまでには至っていない状況にあるのではないかと思います。」
【葉玉】
 すいません。私の理解力不足のためか、論理の展開が、よく分かりません。
 たとえば、最低資本金制度の廃止は、自力で株式会社を設立して起業したい人のための制度であって、自力でできない人に「自力で何とかしろ」という政策ではありません。

31 浜辺教授「個人事業者と実質的にかわりないような株式会社が沢山あるという現実は、分かりきったことです。さて、葉玉先生は、議論の出発点として、「個人事業者では駄目か、とういう問題提起ではなく、「株式会社では駄目か」という問題提起が行われるべきです」と立てますが、私は個人事業者ではダメだとは言っておらず、むしろ逆で、個人事業者でもいいじゃないかと論じているのですよ。」
【葉玉】
 コメントでもご指摘がありましたが、浜辺教授の読み違いです。
 「株式会社で起業することを、なぜ禁止しなければならないのか」という意味で述べています。

32 葉玉先生の認識もかなり誤っており、偏っている面があるのではないでしょうか?自分が唯一正しいという議論の仕方そのものも違っているところがあったのではないかと思います。
【葉玉】
 私は、自分が唯一正しいとは思っていません。私は裁判官でも、試験官でもありません。
 私は、浜辺教授と論争をしている当事者です。
 私が、浜辺教授の論理を「的外れ」「不合理」と言っている部分について、読者が「いや、浜辺教授の方が合理的だ」と思うこともあるでしょう。
 どちらが正しいか、または、両方違うのかは、論争の当事者ではなく、読者がそれぞれ判断すればよいだけのことです。
 また、私は、会社法のすべてが正しいと言っているわけでもありません。
 ただ、浜辺教授が批判している点については、会社法の方が正しいと言っているだけです。

33 私はあくまでもゲストとして、お邪魔しているに過ぎません。平静な、いつもの葉玉ブログに戻りたいから、もう来るな、といわれれば来ませんが。どこまでも、というならば、どこまで行くか分かりませんが、でも、いつものことですけれども、ひとつ、お手わらかにお願いします。
【葉玉】
 私は、浜辺教授との議論を楽しんでいますので、「もう来るな」どころか、「ぜひ、またお越しください」という気持ちです。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。

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コメント

A11
 私は、会社法の基本的な発想を述べたものであり、「どんな場面でも当事者の意思に委ねる」ということではありません。会社法は、必要な規制を行うために強行法規としての側面を持っており、その強行法規性に反する定款の定めは無効とするのが29条の趣旨です。

 → たしかに「論争」の横から出した質問ですが、正面から答えてもらっていません。29条について、立案担当者は、定款で別段の定めができると会社法が書いていない場合には、定款自治は認められないという趣旨である旨の説明をされていたと思います。これって、「立案担当者の狭い常識の中で」しか判断していないのではないでしょうか。会社法で定めていないどのような事態が生ずるか分からないのですから。

A6
 そうですね。446条を改正して、資本金を分配可能額算定の数式から除外するのは、よいことだと思います。
 ただ、そうすると、資本金の機能が、会社法からまた一つ消え去ることになりますから、反対者も沢山出てくるかもしれません。

→ 他人の質問へのお答えですが、茶化した言い方は不愉快です。大変評判の悪い条文です。私は、条文の方式で規定しようと思ったが、できないので、仕方なく省令のような書き振りになったと理解していました。しかし、そうではなくて、省令で全部ひっくり返すことを最初から予定しつつ条文を作ったのであれば、法務省の「奢り」以外の何物でもありませんし、省令の適法性に疑いが生ずると思います。そのうえ、資本金の機能を形式的にのみ残すことを目的として、このような条文にしたのであれば、「ペテン」以外の何物でもありません。

投稿: 会社法の任意法規性 | 2007年12月30日 (日) 03時34分

毎度議論を楽しく拝見させていただいていますが、正直これは壮大なQ&Aになっているんじゃないかという気がしてきました。
もちろん浜辺先生のQに葉玉先生のAです。
これを念頭にもう一度やりとりを見直してみると…。

投稿: 素人 | 2007年12月30日 (日) 04時24分

こんにちは。先日は(といってもずいぶん前ですが)司法書士会主催の研修で大変お世話になりました。また、会場で名刺交換もさせていただき、ありがとうございました(※イニシャルは実名と無関係です)。

私は、葉玉先生と浜辺先生との会社法をめぐるご議論を拝読させていただき、特に最低資本金規制の廃止に関し、先生方の見解の違いがどこからくるのか、を次のように理解しています。

すなわち、葉玉先生は、
「国(政府、あるいは立法者)は、効果が明白でない限り、むやみに国民の足を引っ張るような規制をかけるべきでない。」
という考え方に重点を置いて立論されていますが、浜辺先生は、
「国は、国民(より焦点を絞れば、いわゆる「経済的弱者」と呼ばれる層に属する人や、先生方がおっしゃる「法的リテラシーの低い」人、でしょうか)を守ってあげるため、八方手を尽くさなければならない。」という考え方を前面に出されてのご意見、反論となっているようです。

この理解を前提にして、最低資本金規制に関する先生方のこれまでの議論をかなり大ざっぱに要約させていただくと、葉玉先生の
「最低資本金規制にどれほどの存在価値(規制効果)があるというのか」
という問題提起に対し、浜辺先生は
「最低資本金規制を維持してどれほどの支障(不都合)があるというのか」
と反論されているような印象を受けます。先生方のご意見がずっと平行線をたどったままに見えるのは、この辺り(国あるいは会社法制に対して何をどの程度期待するかという、ある種の「思い入れ」の方向性の違い)に起因するのかな、と思っているのですが…こうした見方の当否について、先生方のご意見、ご反論などいただければ幸いです。

ところで、私自身は、基本的には葉玉先生のお立場に近いのですが、どうしても「安易な法人化を促進ないし許容する法制はいかがなものか」のような政治的批判に応える必要があるのであれば(個人的にはあまり賛同したくないことですが)、最低資本金規制よりも、むしろ最低「純資産額」規制を強化するほうが効果的では、という気がします。
もっとも、法人会計と家計がごっちゃになりがちな小規模同族会社(もちろん、すべての小規模同族会社がそうだと決めつける訳ではありません)に目を向ければ、事実上、現行の配当規制ですら責任財産の保全にほとんど役立っていない、という悲しい現実?はありますけど。

長文、乱筆にて失礼いたしました。

投稿: W.M. | 2007年12月30日 (日) 17時05分

葉玉先生、バブルの頃のエピソード記事、可笑しくて吹きだしてしまいました。午前1時を逃すとタクシーは午前3時まで戻って来れなかった、そんな時代でしたね。昨今の若い人達はよくあの時のバブルを経験したい!と言うけれど、その後の失われた10年、略奪された5年という時代も併せて振り返ると寒気もします。

投稿: fredy | 2007年12月30日 (日) 18時40分

葉玉先生、はじめまして。
いつも参考にさせていただいています。
一点、ご教示ください。

会社法関連の書籍ではみかけませんが、会計関連の書籍では、剰余金の配当に伴い準備金の計上(445条4項)を要する場合は、分配可能額から準備金の要計上額を控除した金額しか配当できないという記述をみかけます。

会社法上、準備金の計上を要する場合には、準備金の要計上額部分は配当できないのでしょうか?
できないとすればそれはなぜなのでしょうか?

投稿: 迷える羊 | 2007年12月30日 (日) 20時18分

A子さんて今の奥さんなんですよね?
でないと感動できないな。
「えーがな。サービスしとき。」って関西おばちゃん系なのが笑います。

投稿: fuji | 2007年12月30日 (日) 20時30分

第4ラウンドで議論も収束or終息へ

 葉玉先生の30日のコメントは、Q&A方式で、内容もあっさりとしたものでした。そろそろ飽きてきた人も多いみたいですし。こういう状況で、私の方からまた追いかけていって、しつこく議論するのもおとなげないので、私もなるべく、一部を除き、あっさりとコメントしたいと思います。

 細かいことを言い出せばきりがないのですが、かなりグルグルと同じところをやりとりしているところもあり、最初の議論に立ち返れば、葉玉先生の回答は、表面的なお役人的回答にすぎない官僚答弁や、的を外しているものも沢山ありますが、それも今となっては細かい話にすぎません。

 私も年末年始は、子供の受験で自宅に閉じこめられることもあり、この際、滞っているゲラチェックや執筆作業などに没頭する必要があります。例えば「会社法はこれでいいのか」(平凡社新書、本書)181頁でも引用している拙著「執行役員制度第4版」が、当時すぐ出版される予定で、そう書いたのですが、いまだに発刊に至っておらず、そこは読者の方々にも発刊が遅れていることについて謝罪しなければならない状況です(現在のところ来年2月発刊に向けて最終作業中です)。

 しかも、お互いに子育てもあるし、家庭もあります。いつまでも、こんな仕事(というか道楽の議論?)ばかりやっているわけにいきません。むしろ本業の仕事が重要でしょう。その本業においては、お互いに「守るべきもの」があると思います。

 それと誤解のないように、既に述べていることでもありますが、私も、この葉玉ブログ等で、ずいぶんと勉強させて頂いており、立法担当官の考え方をこうして伝えてくれていることは高く評価しており、葉玉先生の自分をさらけ出して、表現する勇気に対しては、本当に尊敬もしております。この点は、くれぐれも誤解のないように、ご理解頂きたいと思います。

 ただ、結論として、葉玉先生は、「会社法のすべてが正しいと言っているわけでもありません」が、「(私が)批判している点については、会社法の方が正しいと言っているだけ」と総括しているので、なお、私もいくつか反論しておく必要があると考えます。

 論点があまりにも多すぎて、読者がついてくることが難しくなってくると、せっかくの論争も、もったいない感じがします。

 そこで、私は、現在の所見を8項目にまとめて申し上げることにしました。「末広がり」ということで、8項目に絞りました。

第1に、私の議論の仕方(品位の問題を含む)について
 葉玉ブログのすばらしいところは、レイザーラモンHGなんかも登場する、ざっくばらんな語り口です。そこで、私も、できるだけ葉玉ブログのテイストに合わせて表現してきました。
また、私も沢山の本を書いてきましたが、法律専門家向けのものは少数です。どちらかといえば、一般人向け、企業人向けなど、啓蒙書、読み物、論説、コメント、その他の方が多いくらいで、その中で一般人向けの新書における表現作法は、法令の正式な表現作法や法律論文の表現のあり方とは大きく異なることもあります。
 今回の論争は、あくまでも葉玉先生の挑発に乗って、新書の著者の私が反撃するという場として、それなりの表現方法でコメントしてきたわけです。

 それに加えて、この論争の口火を切った最初のブログにおいて、葉玉先生から「私は、自分の考え方を批判されるのが大好き」とのお言葉がありましたから、それに甘えて、私もざっくばらんに、ほとんど遠慮なく書かせていただきました(そのため、やっつけ仕事の部分や、かなり雑な表現も混ざっているなとは思っています)。
もっとも、私は、正直にいえば、必ずしも「自分の考え方を批判されるのが大好き」ではありませんが、常に謙虚さを失ってはならないと思うと同時に、常に向上心をもって成長していきたいとも考えており、それでも売られた喧嘩があれば、いくらでも買う勇気は持ち合わせているつもりです(だから、攻撃されて黙って引き下がるわけにはいかないということはありました)。
そこで、葉玉先生は、「活発な議論を通じて、問題点を克服していくプロセスに大きな喜びを感じ」るとのことですから、私もこの際ですから、幅広く、日ごろからちょっとは葉玉先生に聞いてみたいと思っていた事柄を、これを契機に、いろいろとぶつけさせていただいたわけです。
だんだんと葉玉先生の論調が「尻すぼみ的」な表現になっているような、「半分、まじめに回答するに値しない」と思われたかもしれない原因として、私の表現の行き過ぎが葉玉先生のお気持ちを害していると申し訳ないので、先ずこの点から弁明した次第です。

*そこで、余計なことかもしれませんが、これに関連した付随論点への回答
(29番関連)葉玉先生から、「天下り」という表現の適否についてご指摘がありましたので、これについて念のためコメントします。
検事をやめて弁護士になるのは、すべて「天下り」ではありません。それは当初でも触れましたが、あくまでも中央官庁、立法担当者の高級官僚ないしそれに準じる人たちの話に限定されております。それに準じる人たちとは、名前が表に出て、社会的な責任をもって世の中に出た「公人」(特に葉玉先生のような有名な方に当てはまります)が、民間営利事業のために働く立場に転じた場合のことを問題としているものです。(ちなみに、弁護士業自体が、営利事業か否か、弁護士会の見解は別として、社会的な実態としては、みなさん理解しているとおりで、今、葉玉先生が所属されている事務所は、必ずしも「人権派事務所」ではないと理解しております。)
加えて、検察庁に入る人たちのすべてが重要な立法作業に携わる人たちばかりではないとも理解しております。

第2に、「論理的」か「論理的でないか」の議論について

 よく葉玉先生は、論理的であるとか、ないとか、もっともらしく述べるわけですが、「立法担当者の論理」も絶対的なものではないことは、葉玉先生も認められた通りです。
「立法担当者が考えている論理はコレである。これに適合しないユーザー側の論理は認めない」という立場も、おそらく成り立つ世界があるでしょう。

 しかし、そうした論理には適合しない別の論理もありうるわけで、しばしば、加害者側の論理と被害者の論理、企業側の論理と労働者の論理が、まったく相容れないことがありますが、だからといって、いずれかの論理が絶対的に正しくて、他方が誤りであると断定することはできないこともまた法律専門家の常識です。
また、論理が精緻であるものと、論理が雑であるとか、一部飛躍していても、後者の方が受け入れられてしまうことだって、世の中にはあるわけですが、その場合に論理が精緻な方が常にベターであるとも限りません。
 
 それなりの「論理」が成り立っているかどうかは、論理の許容範囲をどの程度に置くかということとも関係します。

 しかも、私が今回の論争の中で「会社法」を素材として議論しようとした切り口は、
①ただ単に「理論的にどうか」ということだけではなく、
②政治的に見てどうだったか、どういう意味があったのか、
③倫理的な観点から何か問題はないか、なかったか、あるいは隠れていないか
④経済的にどういう影響があったか、マクロで、あるいはミクロで、それぞれどうか
⑤言語学的(あるいはコミュニケーション)において立法担当者とユーザー(一般国民)の関係はどうか、
⑥会社法という実体法をどうするかだけでなく、手続法など、他の法令との関係はどうか、
⑦この新しい法律によって実務はどう変わるのか、どう変えていくべきか、
等などの多角的な議論をしようとしたわけで、それを①だけとか、④だけ、ということでは、会社法をめぐる議論は十分ではないと、思ったわけです。それを「次元が違う」といわれれば、当然ではあるのです。

 上記の問題について、いちおう、葉玉先生の考え方(何を考え、何を考えていないか、何を避けているか、はぐらかしているか、次元が異なるとして片づけているのか等)は、だいたい30日のコメントで分かりました。答えているところ(いないところ)と、その答え方を見て、了解しました。
拙い議論の仕方だったかもしれませんが、上記の問題意識から一人の元立法担当者の意見を引き出せて良かったと思います。

第3に、私の立場について

 何度も述べてきたとおり、私は会社法について文句ばかり言っているのではありません。とりあえず、今回の議論では「反対」という役どころで、「どうだ、答えてみろ、何か言え」といわれれば、「反論すれば、こうなるだろう」といった議論の一例を展開したにすぎない面があります。そういう弁論は、党派的なものですから、必ずしも万人を納得させるとは限りません。
 
 ただ、私の本来の立場は、会社法の評価すべきところは評価し、でも危なさそうなところは、それなりに注意して使うべきであるというものであることに変わりありません。そうした視点から会社法に光を当てた場合に、会社法の陰影が見えてくるだろう、と思って「会社法はこれでいいのか」を書いたわけで、「その光の当て方は間違っている。誤りだ。正しい光の当て方をしろ」などといわれても、それは元々の目的が違うのです。
そして、会社法の評価については、皆さんが浮かれているところであっても、別の角度、裏の話から見たらどうなるか、さかさまから見たら、斜めから見たら、と、いろいろと捏ね繰り回して別の視点を提供すべきではないかと考えてもいました。

 「会社法はこれでいいのか」(平凡社新書)の一般読者の読み方も、決して偏ったものばかりではなく、「会社法をそれなりに評価し、それなりに批判している」本として読まれているようであり、そのことはアマゾン・ドットコムにおける読者のいろいろなコメントにも現れております。

 だから、最低資本金制度廃止だって、結論的にはいい面もあります。しかも、既に施行されているものは、後戻りができません。もしも、「やはり最低資本金を入れる」という話しが出てきたら、それはまたその文脈で別のことを言い出すかもしれません。状況はどんどん変わっているわけですから。この辺りの基本的認識に、葉玉先生と総論にそれほど違いはないことが確認できましたが、当てはめの結論が違うのは、恐らく、そのよっている立場、現代の日本をどうみるか、世界観、その他もろもろの考え方が異なるところによるものだと理解しています。
ただ、「あの改正はどうだったであろうか」という歴史上の事実を検証し、現代的意義を問い直す作業は、永久に可能です。そういう意味では、「どっちだっていい」といってしまえばお終いですが、また機会があれば、会社法を多角的に検証する素材として検討することもあるでしょう。

第4に、株式会社と有限会社の問題
 
 結論から言えば、葉玉先生の有限会社関連の反論は、必ずしも「なるほど、会社法のほうが正しいな」と分からせてくれるものではありませんでした。このポイントについては、30日の葉玉先生のコメントに関連して、いくつか指摘しておきます。

 まず、葉玉先生は、24番で、「有限会社自体が、有限会社という商号をかえたくないと思っている場合には、そのままの商号でも不都合はありません。むしろ、商号を無理矢理変更すること自体が規制になってしまいます」といいますが、それであれば、「有限会社という商号を使いたいという場合には、有限会社という商号も認め、特例有限会社などという制度を導入する必要もないという考え方はできなかったのですか。できてしまった法律を前提に反論されているようですが、当方は「どういう制度をデザインすべきだったか」を議論しておりました。

 しかも葉玉先生は、(25番)で、「有限会社」という名称を禁止するのは、特例有限会社が残っているため、仕方ないと開き直っているのですが、本書でも解説している通り、有限会社は希少価値が生じているので、これから人々が自主的に「特例有限会社」を返上していく件数は減っていくことでしょう。
結局、こうした中途半端で、奇妙なことにしかならないのであれば、当初の制度デザインがおかしかったのではないか、という点が問題の趣旨でした。

 また、(27番関連)で「現実に有限会社的株式会社が多数存在することや、有限会社に対するラベリングに嫌気がさした有限会社がそのままの形で株式会社になりたいという要望が強かったというのが一体化の動機」が不純かどうかは、について葉玉先生は「区分立法に合理性が認められるか否か」という問題に帰結するとしております。
 これには、本当にそう一括りにできるかという問題もありますが、その合理性の有無については、繰り返しません(水掛け論ですから)。

 ただ、有限会社と株式会社という2種類の会社があった旧法と、合同会社と株式会社という2種類の会社が認められる会社法と、どちらが優れているかは、今後も問われていくことでしょう。

 (17番関連)葉玉先生の指摘には、私の理論が「株式会社のみにフォーカスされすぎている」から理論が浅いと断じるなど、持分会社や特例有限会社の存在を忘れているのではないかという趣旨の指摘があったわけですが、私の基本的なスタンスは、過去の有限会社、株式会社、そして会社法の下であれば、持分会社、特例有限会社、その他の法人法制を、その性質に応じて議論する必要から論じていたので、株式会社の議論で、株式会社にフォーカスするのは当然のことでありました。

 これに関連して、葉玉先生が「むしろ、会社法の多くの部分では昔からの理論が生きていると思っています」というのは、その通りで、ある種の先祖帰りをしているという評価があります。つまり、せっかく進歩発展してきたものを元に戻してしまって、それでいいのか、ということが問題でした。

 なお、(5番関連)私の質問である<「有限会社の社債発行について、「会社法は、弊害が生じるような場面まで許容するようなことはしていません。」とは、具体的に何を述べているのですか?民法の一般法理で救済するのではなく、会社法で何か小規模閉鎖的で株式会社のように開示も緩やかな特例有限会社について、何かあるのであれば、この際、教えてください。」>という点について、葉玉先生は、「有限会社も、株式会社と同じ規制がかかり、かつ、それで十分です」との回答でしたが、私の理解によれば、特例有限会社は株式会社のように決算公告が義務づけられないので、特例有限会社には株式会社と同じ規制がかかっているわけではないものと思います。
 
 このように、新規有限会社の廃止および特例有限会社の制度というのは、考えれば考えるほど、立法担当者への疑惑の膨らむような制度のように思います。

第5に、会社法の「わかりにくさ」に関する問題。

 (10番)で、葉玉先生が、「立案担当者が故意に条文を難しくして、自分たちが弁護士となって優位に立とうとしている」という点を「偏った目」と表現しているとのことですので、立法担当者が「故意に条文を難しくしたか否か」の点について、議論したいと思います。

 もちろん、故意に条文を難しくしたという点について、葉玉先生は否認しており、せいぜい「過失」であったということであれば、そういうことで謝っていただくということになります。用語の定義のことだけでも、会社法第2条以外の場所で定義されている理由について全部議論する余裕はありませんから、既に議論となった「金銭等」を題材にしてみましょう。

 この疑惑に関する問題として、(9番関係)での会社法2条、151条、154条をめぐる「金銭等」の表現のあり方に関する私の質問について、30日には葉玉先生から何もコメントがありませんでした。そこで、この点はしつこいようですが、安心できないので、元立法担当者の考えをお聞かせ頂きたいと思います。
 私の推理は、既に述べた通りですが、ただ、あくまでも推測にすぎないことを留保しておりまして、次のような質問を残しておりました。

 (抄)「本来は、「金銭等」は、会社法第2条に定めるべきものであった。しかし、それをしないで、分かりにくく、それこそ立法担当者は罠をしかけるように、この定義を会社法第151条に埋め込んだ。(中略)きちんと全体を工夫をすれば、「金銭」ですますことができるのを、わざと難しい構造と表現を用いて、「金銭」とだけして引用することはできなくしたということでしょう。ただし、この裏には、さらなるアッというカラクリを葉玉先生から出される恐れもあるので、その場合には、次に予備的主張を使いますので、どうか、これはそういう構造でなければならなかった理由、例えば2条で定義できなかった理由とか、そのカラクリがあったら、教えてください。お待ちしています。」

 この点について、「それぞれ理由のあって、そのような規定にしている」(葉玉先生)とすると、一体どういうことなのか?例えば、「第2条で沢山の用語を定義しすぎるのはいかがかと思った」などと、そんな非論理的な理由のはずはない。それでは一体何か?「言葉の定義の仕方という極めて単純な作業さえ怠けて杜撰な法律を作ったのではないのか?」というのも、多分そんな不真面目な人たちではないから、これでもない。

 会社法151条の前に「金銭」が登場する場面はいくつかありますが、例えば会社法34条1項に「その出資に係る金銭の全額を払い込み、又はその出資に係る金銭以外の財産の全部を給付しなければならない。」とあるのでも、第2条で「金銭等」を定義しておけば、「その出資に係る金銭等の全部を払い込み、又は給付しなければならない」とでも、短くできたかもしれないのに、そういうことができなかった理由には何か隠された理由があるのでしょうか?

 今回の会社法の現代化は、「現代語化というだけにとどまらない」といった説明がされ、その「現代語化」をする目的は、当然のことながら、会社法を誰にでも分かりやすく、読みやすいものにする目的であったはずです。そのために、会社法では無駄な表現を省き、意味のある整理をしたという説明もありました。
とするならば、あの言葉の使い方にはまだ何か裏があるのか、あるのであれば、どういうものなのか、その辺りを聞いていたわけです。私の問題の指摘に対して、単なる否認と、「答えない」ということだけですと、遡って「故意」によるものではないか、などという疑惑も持ちたくもなるわけで、それを「偏った目」と言われても、「何だかなあ」という感じがします。

 被疑者がいくら「偏った目でみるな」と言っていても、果敢に攻めないと、それこそ犯罪捜査では本当に悪いヤツをつかまえることはできなかったでしょう?
重箱の隅をつつくようですが、これに類する言葉の問題が多くあるので、代表して、「金銭等」または他の適切な部分を素材にして教えてくれればと思います。

第6に、「個人事業」の捉え方です。

 小規模零細企業に関して個人事業方式を引き合いに出す私の議論に対して、葉玉先生は、「規制を原則に考えるため、個人事業から始め「させる」という発想になるのです。自由を原則にすれば、「株式会社で起業させてはならないのか」ということを検討し、特に問題がなけれれば、それを認めるという結論になると思います。」とのご指摘なのですが、個人事業から始めることには、何らのネガディブなことはないという基本が、葉玉先生と私とは異なっているようです。
もともと私は、一般の事業経営において、会社が過大評価されているところを、企業社会全体でも考え直したほうがいいのではないかと思います。
というのは、結局、会社が設立されると、その設立費用やら税金やらを考えると、国は儲かるけれども、ビジネスにどれだけ実質的なプラスがあるのか、大いに疑問であるわけです。

 ところが、「会社が安くできますよ」というふれこみで、会社を作ることに踊らされる人がいるのは、いくらその人たちが会社の設立を希望しているといっても、「そんなことしなくてもいいのに」と思うことがしばしばあります。

 それなのに、まるでバーゲンセールのように、「安く会社ができる」「確認制度もないから、手続もカンタン」などといわれて、乗せられると、結局、登録免許税だとかを取られ、個人レベルとは別に法人レベルでも課税されて、まあ国家の「悪徳商法」とまではいわないにしても、「何とか商法」に乗せられているような気味悪さがあるのです。

 ちなみに、(30番関係)では、「小さな企業の起業を促進するために、「最低資本金制度の廃止」によって、小規模零細企業も会社ができるようになる」という論理は成り立たないということを、逆説的に述べていました。

 これは法理論の問題ではなく、経済へのインパクトとして、最低資本金制度を廃止しても、経済的には、ほとんどプラスの意味はないはずですね。ところが、立法担当者の深い考えは別として、巷では、起業ブームが起きて、景気がよくなるような幻想を抱いた人たちもいたようです。でも、最低資本金制度を廃止しても、実は起業促進ではなく、踊らされるべきではないよ、というのが本書の元々の意味だったわけです。

 一つの立法は、国民に大きなメッセージを送ります(たとえば、「公益通報者保護法」などを題材に、よくコンプライアンスの講演でも話をするのですが、この法律のメッセージを私は評価しています。異論は多いことも承知していますが)。その立法一つによって人々の考え方に大きな影響をあたえるわけで、今回の会社法が人々に与えたメッセージには、良かった部分もありますが、「最低資本金廃止」は残念ながら、あまり良いメッセージを送ったものではないという印象です。

第7に、会社法の規制緩和について
 
 私も「規制緩和」全部に反対するものではなく、東大がしているようなソフトローの研究についても、大いに関心があります。むしろ、私もいろいろな改革について、自分の意見を本に書いたりもしてきました(拙著「司法改革」(文春新書)、同「アメリカ司法戦略」(毎日新聞社)、同「名誉毀損裁判」(平凡社新書)、同「弁護士という人びと」(三省堂)等々)。

 そういう意味では、今回は少し誤解されやすい議論をしてしまったところは認めますが、私自身は、もっとより良い規制改革が必要だろうと考えています。
すなわち、単純な規制緩和には弊害もあるので、それを規律する何らかの方策と併せて検討していくべきであって、その中には、規制緩和が実務にどういう影響を与えるのかをにらみながら検討すべきは当然で、会社法は特にそういう検討が重要な領域であったはずです。

 これについて葉玉先生からは、「規制緩和に、従来の実務が十分ついてきていなかったのか、を区別する必要はあります」というコメントだけでした。
 それを区別して、きちんと検討していればいいのですが、立法作業では、それを区別して検討対象から外していたとしたら、それは問題があったのではないかと思います。

第8に、「会社法の本当の誤り」とは?
 
 葉玉先生が期待しているような「会社法の本当の誤り」というのは、技術的なミスとか、論理矛盾とか、そういうものだけには限らないはずですよね。
 できるだけ、広い視野から、問題はどこにあるのかを探しながら、議論をすることが有意義だと思います。

 しかし、「会社法の本当の誤り」とは何かをみつけるのは、容易なことではないでしょう。ちなみに、本書は、新書という性質の本でもあり、あくまでも、それを考える素材や「きっかけ」になれば、という程度にすぎません。本書では、私なりに、問題提起したつもりですが、葉玉先生がいう「会社法の本当の誤り」とはこういうものだ、というのがあるとしたら、それはどういうものなんでしょうか?もし、何か既に気がついているものがあれば、それを教えてくれれば幸いです。
その問題が分かれば、私の提起した問題と、どれだけの質的な違いがあるのか、あるいは、どういう視点の違いがあるのか、それを示してくれれば、また両者の違い(とともに、その優劣あるいは問題意識の違い)がはっきりと出てくるかもしれません。

それでは、今年もまだ論議する機会があるか、来年になるかは流動的ですが、機会があれば、また。今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿: 浜辺陽一郎 | 2007年12月30日 (日) 20時56分

著名な先生同士の議論というのは,かなり難しい面があると思います。

刑法でも大谷先生VS前田先生という鼎談ものが企画されたことがありましたが,面と向かっての議論でも,お互い浅薄な知識の「誤り」というものは存在しないため,議論が空中戦になりがちですし,さまざまな理由から相手の発言をそのまま是とすることもできないという事情もあるのだと思います。

ましてや,こういう準書面を通じてのやり取りですと,1意見を出すと,それに対する反論が2以上なされ,それに対する再反論が4以上ということになると,際限なく広がっていくことになると思います。(そういう点で,民訴の「口頭主義」の大切さを実感した次第です。)
また,基本的にどちらかを打ち負かそうという目的でなされる議論ではないことが多い(今回もそうだと思います)ため,傍目からは,「結局どっちなん?」ということがわかりにくいという結果になりがちです。

そんな中,葉玉先生は,ご自身のブログのテイストを存分に発揮された記事を冒頭に,Q&Aをその次に,浜辺先生への反論を最後に書かれるという非常に見事な配置で各方面への配慮をなされていると思います。正直,「このまま議論がずっと続いていくと面白くなくなるなあ。」と思っていたところでしたので,すごく素敵だと思いました。
他方,浜辺先生も議論の収束を図っておられるようで,こちらも大人の対応だと思いました。

両先生の大人の対応は,是非今後の参考にさせていただきたいと思います。
(決して嫌味ではありません。念のため。)


さて,いつもどおり,会社法の質問をさせてください。

会社法100問の76「取締役の報酬」で,監査役の報酬について,退職慰労金支給規程に従って支給するという決議について,「具体的な金額等を取締役会にゆだねている」という理由で,387条1項に違反するものと解されています。

しかし,①会社法施行規則84条2項では,同82条2項(取締役の報酬等に関する議案))とまったく同じく,一定の基準に従い退職慰労金の額を第三者に一任する決議を有効とすることを前提とする規定が存在します。
また,②取締役の報酬に関する記述で挙げられている最判昭和39年12月11日・百選68の事案は,そもそも(常任)監査役の退職慰労金に関する事案で,一定の場合に取締役会の決定に一任することも許されるものとしています。

上記二つの事実からすると,監査役の退職慰労金に関する100問の記述は,会社法と抵触しない限りは最高裁の判例を前提とする,というコンセプトに明らかに反しているように思われるのですが,いかがでしょうか?


現在の会社法及び最高裁の立場からすると,本問の決議も有効と解される可能性が高い,と考えてよろしいでしょうか?

投稿: 旧司受験生 | 2007年12月30日 (日) 22時09分

葉玉先生、こんにちは。

自分が仕事として関わる企業として、年末のこの時期から、確定申告にかけて特に多くなるのが、個人事業主です。
いままで、「記帳指導」をするために事業主の自宅や事務所にうかがって、説明しても納得してもらうのが非常に難しかったのが、「資本の概念」だったのです。

実際に記帳を担当している「(事業主の)奥さん」に聞かれて、制度を説明しても納得してもらえなかったのに・・・子供達に、「資本ってナンですか~」なとと聞かれて、納得してもらえるハズが無かったのです。
会社を巡る事件や事象が、「今のよう」に頻繁に報道されている現状では、子供や女性に、「資本に関わる出来事」に対して興味を持つなという方が無理で不自然ですし、「(簡単であっても)ちゃんとした(本質的な)理解」をしておく必要があると思いますし。

子供達が、小学校の高学年になったら、複式簿記の「ふ」ぐらいはかじっておくべきだと自分は思うのです。
その時に、今の資本制度であれば、『子供達が一生使える知識』として説明が可能ですし、それが「新会社法」によって、やっと可能になったのです!

ヤッパリ、今の会社法は、非常に良い制度です~♪

PS.
葉玉範士のように、自分には「そこまでのアッシー」は出来ません!(笑)
葉玉先生は、もしかしたら・・・「女性好き」と言うよりも・・・「オトコには強い」けれど、「オンナに弱い」のかもしれませんが・・・(>_<)

投稿: 至誠丸 | 2007年12月31日 (月) 09時49分

葉玉先生はじめまして。
今日(というかさっき)、名古屋で先生のセミナーを拝聴しました。
どちらかというと中央三井さんのセミナーはつまらないことが多いのですが、今回はとても楽しかったです。

実は、司法書士をしている父親に、「会社法であそぼ。」がおもしろいから見てみろとずっと前から勧められていたのですが、私には敷居が高い気がして今まで遊びに来たことがありませんでした。

今回お話を聞いて、弁護士先生という人たちに対して持っていたイメージが覆りました。今後は敬遠せずにお邪魔しようと思います。

投稿: ちづる | 2008年2月13日 (水) 16時53分

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