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2007年12月31日 (月)

辛さを喜びに変える魔法

一年の最後の日、大晦日が今年もやってきました。

 今年は、検事を辞めたり、TMIで働き始めたり、4人目の子供が生まれたり、個人的なニュースはいくつかあったのですが、特に、「アルファブロガーアワード」と「日経弁護士ランキング3位」は、このブログの読者の皆様の支えがあったからこそ、実現できたものであり、改めて、読者の皆さんに感謝の言葉を申し上げます。
 本当にありがとうございました。

 ランキングというものは、物事の一面から評価するものであり、それを絶対視してはならないことは重々承知しております。
 ただ、私が皆様に評価していただいたことを、妻子が大変喜んでくれた、そして、天国の両親も、きっと涙で顔がくしゃくしゃになるほど喜んでくれている。
 そう思うだけで、これからも、皆様の期待を裏切らないようにがんばろうという意欲が沸いてきますから、そうした評価も大事にしていきたいと思います。

 こうして振り返ると、今年は、どれも良いニュースであり
   「何はともあれ、幸せな一年であった」
 と締めくくれる喜びをかみ締めています。
 
 そして、今、気づいたのですが
 「良いニュース」というのは、自分だけの力では生まれてこないんですね。
 
 TMIで充実した仕事ができたのは、クライアントの皆様と事務所のみんなが支えてくれたからです。
 4人目の子供がすくすく育っているのは、大事に育ててくれている妻と、赤ちゃんをかわいがってくれている子供たちのおかげです。

 良いニュースは、すべて、人の支えによって生まれてくるんだなあ、と実感します。

 振り返れば、人生の中には、とても辛い年もありました。
   親と離れ離れに暮らしていた幼少時代。
  大失恋した大学時代。 
  司法試験のために一人でこもっていた受験時代。
  母親、そして、父親と死別した年。
  両親が経営していた、そして、子供時代からの思い出がつまった会社を売却したとき。
 
 つらい思い出は、人の支えを失ったり、人との関係を絶ったときに生まれてくるようです。

 喜びは人ともにあり、悲しみは孤独の中にある。
 だから、幸せなときは、人に感謝する。
 悲しいときは、自分が人に支えられて生きていることを思い出す。

 すごくシンプルで当たり前のことですが、日々の生活の中では、自分のことで精一杯で、人との関係を見失いがちになってしまいます。
 どんなときでも、「人があるからこそ、自分がある」ということを忘れなければ、悲しみを喜びに変えることもできるのではないでしょうか。

 一年の終わり、そして、もうすぐ一年の始まりですから、受験に苦労している皆さんは、自分がなぜ勉強に専念することができるのか、を思い出してみてはどうでしょう。
 親御さんをはじめ家族の支えがあるから、勉強することができるのではないでしょうか。一人で勉強しているのではなく、家族と一緒に勉強している。
 だから、きっと家族は、皆さんの合格を皆さん以上に喜んでくれるはずです。
 自分ひとりのためだけにする勉強は、どこかで気持ちが折れてしまいそうになるときがあります。目の前の教科書や問題集だけを見ていると、投げ捨てたくなります。
 そんなときは、皆さんを支えてくれている家族のために、家族の笑顔のために勉強するんだと思えば、頑張る力が出てきます。

 辛い仕事をしている皆さん。
 仕事の困難さや小うるさい上司のことばかり考えていると、心のこもらない仕事になりませんか。そんなときは、仕事の向こうにあるお客様のことを考えるのはどうでしょう。山積みの資料の向こうに、自分の仕事を喜んでくれるお客様の笑顔があると思うと、「大変だけど、喜んでもらえるような仕事をしよう」という気力がわいてきます。

 無機質な勉強や仕事の向こうにある「人と人とのつながり」が、辛さを喜びに変える魔法です。
 そして、その魔法を忘れることなく、来年も、人に喜ばれる仕事(家事・育児を含む)をしようと決意した大晦日でした。
 それでは、来年も、よろしくお願い申し上げます。
(質問コーナー)
Q1
前回のA11について → たしかに「論争」の横から出した質問ですが、正面から答えてもらっていません。29条について、立案担当者は、定款で別段の定めができると会社法が書いていない場合には、定款自治は認められないという趣旨である旨の説明をされていたと思います。これって、「立案担当者の狭い常識の中で」しか判断していないのではないでしょうか。会社法で定めていないどのような事態が生ずるか分からないのですから。
A1
2 9条の解釈について、誤解があるのではないでしょうか。 
 これは、以前、このブログで、かなり議論されたところですから、詳しくは、そちらを見ていただきたいのですが、①会社法に規定されている事項については、強行法規性を確保し、かつ、法的安定を図るために、「定款で別段の定め」をすることを文言上許している場合に限り、これを認め、②会社法に規定されていない事項については、定款自治を広く認めるという方針を採っています。
 そして、①のルールを採っていることから、種類株式の内容等について、幅広い内容を法定化する必要があったということもできます。

Q2 
前回のA6について
→ 他人の質問へのお答えですが、茶化した言い方は不愉快です。大変評判の悪い条文です。私は、条文の方式で規定しようと思ったが、できないので、仕方なく省令のような書き振りになったと理解していました。しかし、そうではなくて、省令で全部ひっくり返すことを最初から予定しつつ条文を作ったのであれば、法務省の「奢り」以外の何物でもありませんし、省令の適法性に疑いが生ずると思います。そのうえ、資本金の機能を形式的にのみ残すことを目的として、このような条文にしたのであれば、「ペテン」以外の何物でもありません。
投稿 会社法の任意法規性 | 2007年12月30日 (日) 03時34分
A2
 茶化していると感じられたのならば、申し訳ありませんでした。しかし、茶化しているわけではありません。一事業年度内に何度でも配当してよいというルールや臨時決算の制度等のもとで、分配可能額をできるだけ論理的にすっきりと規定するためには、従来の計算方法ではなかなか難しく、現在の計算省令のようになったのですが、その経緯からすれば、もはや会社法の分配可能額の規定そのものを改正したほうがよいと思うので、そのような回答をしたものです。
 ただ、その場合、「資本金」が法律上の意味をなくしてしまう可能性があるので、資本金を重視する方達は反対するだろうなと思います。

Q3
私自身は、基本的には葉玉先生のお立場に近いのですが、どうしても「安易な法人化を促進ないし許容する法制はいかがなものか」のような政治的批判に応える必要があるのであれば(個人的にはあまり賛同したくないことですが)、最低資本金規制よりも、むしろ最低「純資産額」規制を強化するほうが効果的では、という気がします。
もっとも、法人会計と家計がごっちゃになりがちな小規模同族会社(もちろん、すべての小規模同族会社がそうだと決めつける訳ではありません)に目を向ければ、事実上、現行の配当規制ですら責任財産の保全にほとんど役立っていない、という悲しい現実?はありますけど。
投稿 W.M. | 2007年12月30日 (日) 17時05分
A3
 最低純資産規制もひとつのアイデアであろうと思います。問題なのは、簿価「純資産」が含み益や含み損をすぐに反映するようなものではないことと、最低純資産を割ってしまったときに、その会社をどうするか、という点だと思います。

Q4
会社法100問の76「取締役の報酬」で,監査役の報酬について,退職慰労金支給規程に従って支給するという決議について,「具体的な金額等を取締役会にゆだねている」という理由で,387条1項に違反するものと解されています。
しかし,①会社法施行規則84条2項では,同82条2項(取締役の報酬等に関する議案))とまったく同じく,一定の基準に従い退職慰労金の額を第三者に一任する決議を有効とすることを前提とする規定が存在します。
また,②取締役の報酬に関する記述で挙げられている最判昭和39年12月11日・百選68の事案は,そもそも(常任)監査役の退職慰労金に関する事案で,一定の場合に取締役会の決定に一任することも許されるものとしています。
上記二つの事実からすると,監査役の退職慰労金に関する100問の記述は,会社法と抵触しない限りは最高裁の判例を前提とする,というコンセプトに明らかに反しているように思われるのですが,いかがでしょうか?
現在の会社法及び最高裁の立場からすると,本問の決議も有効と解される可能性が高い,と考えてよろしいでしょうか?
投稿 旧司受験生 | 2007年12月30日 (日) 22時09分
A4
現在では、387条2項がありますから、役会への一任は駄目だと思います。

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2007年12月30日 (日)

雨の六本木交差点

 本日は、法律とは、何の関係もない話をします(質問コーナー、浜辺教授への反論コーナーは、後ろの方にあります)。

 昨日、仕事納めの後、TMIの若い弁護士の皆さんと飲みにいきました。

 2次会のカラオケに行ったところまではよかったのですが、午前2時を回っても、皆さん、一向に解散する気配がない。
 それで、私は、参加者の一人に「何時までやるの」と聞いたところ
  「例年5時までです」
との答え。私は、気が遠くなり、一人でタクシーで帰ろうと、六本木の交差点に出ました。

 ところが、折からの大雨。しかも、空きタクシーはゼロ。六本木アマンド前のタクシー待ちで溢れる人並みを見ているうち
   自分がバブルの幻影の中に佇んでいる
ような錯覚に陥りました。

 ともあれ、雨の中をタクシー待ちはしたくなかったので、六本木ヒルズのタクシー乗り場に戻ったところ、これまた大行列。結局、2時間半ずっと行列に並んで、家に着いたのは、午前5時。
 あのままカラオケ屋にいて、始発を待った方が賢かったと、つくづく後悔。
 しかも、タクシー待ちの間、やることもなくボーッとしていたためか、20年前の悪夢のようなできごとを思い出しました。

 それは、択一試験の日の午前0時。私が、勉強を終えて、「明日に備えて、そろそろ寝よう。」と思っていたところに、ある女の子から電話がかかってきました。

 「葉玉さん、終電がなくなっちゃった。今、六本木のアマンド前にいるんだけど、迎えに来てくれない?」

 その女の子の名前を「A子」(仮名)としましょう。A子は、私が司法試験を目指すきっかけとなった女性ですが、私は、一言で言えば、A子のアッシー君だったのです。

 私は、アッシー君であるとはいえ、13時間後には、択一試験が始まるということもあり、そのときは、さすがに
  「今日は、昼から司法試験だから、無理。」
とお断りしました。A子は、千葉に住んでいたから、車で送るとなると、家に戻ってくるのは、午前2時過ぎになってしまうことが分かっていたのです。

 ところが、A子は、言いました。
 「なに言ってるの。私を家まで送って睡眠不足になっても、試験に合格するのが、葉玉さんらしいじゃん」
と。
 よくよく考えてみると、一体、何が「葉玉さんらしい」のか分かりませんが、そのときの私は、試験前の緊張感のせいか、なんとなく、「葉玉さんらしくしたほうがよいかな」と思ってしまったのです。それで、午前0時15分ころ、車でA子を迎えにいってしまいました。

 世はまだバブルのころ。六本木交差点は、黒服の男達と、ボディコンの女達で溢れかえっていました。
 A子は、私の車が、交差点で止まったとたん、駆け寄ってきて
   ありがとう。助かった。本当にありがとう。
とほほえんでくれました。
 私は、その笑顔を見て
    来てよかったな・・・・
とにんまりしたのですが、その瞬間、A子が
    ねえ、友達も帰れないの。一緒に送っていってくれない。
と言ったのです。
 ふと、A子の後ろを見ると、女の子が3人立っています。
 頭の血管が3本ほど切れる音がしました。

 私の理性は
   急いで送って、寝なければ、まずいぞ。
と叫びました。ところが、その女の子3人が、そろって、可愛い声で
    お願いします。
と頼んできたため、私は、つい
    わかった。みんな送ってあげるから、乗って。
と言ってしまったのです。

 なんということでしょう。時刻は午前1時ころ。択一試験は、12時間後に迫っています。それなのに、それなのに、男の本能(煩悩)が、車のドアを開けたのです。

 一刻を惜しむ私は、最短のルートで行くしかないと思いました。それで、女の子達に
   みんなの家は、どこ?
   近い順に送っていくから。
と聞きました。すると
  私、成城。
  私、横浜
  私、浦和
という声が・・・。
 千葉のA子を加えると、一都三県制覇。

 20年たった今でも、あの時の呆然とした気持ちがよみがえってきます。

 私は、A子に
  なんで、これから関東一周やねん。
と、面白くもないツッコミをいれずにはいられませんでしたが、A子からは
   えーがな。サービスしとき。
と、どうでもよいボケで返されてしまいました。

 とうことで、それから、私は、成城→横浜→浦和→千葉の順に、女の子達を送り届け、杉並のアパートに戻ってきたのは、午前5時。
 その6時間後、私は、択一試験の会場で、夢見心地のまま、試験に臨むことになりました。
 結果的に合格したので、こうしてブログで話すこともできますが、冷静に考えると、私は、バカ以外の何者でもありません。

 さて、こういう話をしたときは、何か教訓めいたことを言ったほうがいいのでょうが、
 「択一試験の日に、アッシー君になるのはやめよう」
というのは、当たり前すぎて、教訓としての価値がありません。

 あえて言えば
 「若い頃には、バカをやれ。、年をとったら、ネタになる。」
です。
 そういう教訓は、およびでないですか?
 そうですよね・・・。
 じゃあ、今日は、この辺で。

(質問コーナー)
Q1
私はいま司法修習中の者です。全部はまだ経験していないのですがJPBそれぞれの実務はとても楽しいもので,どの道に行ってもやりがいがあって充実感があるのだろうなと思っています。そのため,どれか一つに絞り込むことができず,JPBのいずれの道に進むべきか迷っています。
そこで,お聞きしたいのは,JPBそれぞれに合う適性はどのようなものなのでしょうか(好き嫌いでは決めれないので適性で決めようかと)。または,適性以外に,JPBを決める判断基準としてどのようなものがあると先生はお考えでしょうか。
投稿 悩む子羊 | 2007年12月22日 (土) 11時09分
A1
 JPBの間に「適性」というほどの違いがあるとも思えませんが
 裁判官・・・裁判官室で、裁判長を含め複数の人たちと黙々と仕事することを苦痛に感じない人
 検事・・・真実を追究するために、相手が言いたくないことを言わせることを苦痛に感じない人
 弁護士・・・手許にお金がなくても、正義に反するような仕事をしないことを苦痛に感じない人
というところでしょうか。
 就職と結婚はよく似ていて、どれだけ事前に悩んでも、どれだけ理屈を考えても、正解が見えることはありません。
 また、そのときは正解であっても、経験を積むに従って、正解が変わることもあります。

 私が、司法研修所に行かずに、LECの専任講師になったことを、他の司法試験合格者は、私にとってマイナスだと言っていました。しかし、今、振り返れば、専任講師の経験が、法律に対する多面的な理解と、法律を分かりやすく解説する技術の習得に繋がり、検事や弁護士の仕事に大変役立ちました。また、専任講師時代の教え子達が、いろいろなところで私を支えてくれており、あの経験がなければ、今の自分はいないと断言できるほど貴重な経験でした。
 私が検事になったとき、仲間達は「葉玉は、弁護士向きだ」と言っていました。しかし、検事の経験が、隠れた事実の発見や利害対立のある相手方の説得の技術の習得につながり、民事局の仕事や弁護士としての仕事に繋がっています。
 司法修習生として就職について悩むのは当然ですから、悩むなとは言いません。
 しかし、「適性」で決めるのではなく、「やりたい仕事をやる」というのが基本だと考えた方がよい結論になるでしょう。

Q2
葉玉先生、始めまして。最近このブログにたどり着きました。葉玉先生が検事を辞められた理由のひとつに司法試験受験生の力になりたいという事があるとのことですが、また司法試験予備校で講師をされる予定はありますでしょうか。もし先生が講師をされるのであれば是非受講したいと思っております。
投稿 不孤 | 2007年12月22日 (土) 21時43分
A2
残念ながら、予備校の先生になる予定はありません。

Q3
質問なのですが、「自己責任でブランドを調べてください」というよりも、「株式会社という制度自体にブランドなんかありません」というのが会社法の姿勢ということですよね?
一般庶民(法的リテラシーの低い人を含む)からしたら、そういう制度的なブランド力を言うなら、株式会社かどうかよりも、大企業かどうか、1部上場企業かどうか等の方を見ますよね?
投稿 素人 | 2007年12月23日 (日) 01時39分
A3
そのとおりです。
少なくとも、株式会社を、他の会社類型に比べて、良いブランドにしようという意識はないと思います。

Q4
IHIがプラント事業の採算悪化により、決算の過年度修正を行うとのことですが、この場合株主総会における事業報告も修正するひつようがあるのでしょうか。
会社法では、取締役会および監査役会設置会社でそれぞれの承認をうければ事業報告は株主総会での報告で足りるとなっていると思いますが、ぞの前提となる決算内容の修正があった場合には、何らかの措置が会社法上も必要になるのでしょうか。
金商法上では有価証券報告書の訂正になるのかと思いますが。。
投稿 MAX | 2007年12月24日 (月) 21時39分
A4
 事業報告は、何かを決定するものではないので、既に承認済みの過年度の事業報告について内容を修正した上で、再承認する必要はないと思います。
 問題は、今年度の事業報告について、過去分のBS・PL等を過年度修正を反映したものにすることができるかということです。この点、施行規則120条3項は、「当該事業年度における過年度事項が会計方針の変更その他の正当な理由により当該事業年度より前の事業年度に係る定時株主総会において承認又は報告をしたものと異なっているときは、修正後の過年度事項を反映した事項とすることを妨げない。」と規定しています。
 この規定を「正当な理由がある場合には、同項によって、修正後の過年度事項を反映した事項にすることができるが、正当な理由がない場合は、できない」と読むべきではありあません。
 同項は、内容に「誤りのある」BS等を修正することができるのを前提として、内容に「誤りのない」BS等であっても、会計方針の変更等によって過年度修正をすべきときは、その後の事業報告には、かつて承認されたときの数字とは違う数字のものを記載することができることを明らかにしたに過ぎません。
 とすると、結論としては、次の事業報告に、過年度修正後のBS等を記載すれば足りるものと思います。

Q5
会社法には、株式会社と株主との間で、株式の売買が行われる際の価格について記述された条文があり、
・116条1項、469条1項・・・「公正な価格」
・144条3項、177条3項・・・「資産状態その他一切の事情を考慮」
と2通りがありますが、どういう基準で区分けされたものなのでしょうか?
例えば、116条1項一号の公開会社から非公開会社への定款変更であれば、時価純資産での株価評価が妥当だと思われるので、「資産状態その他一切の事情を考慮」の方がしっくりくる様に思えます。
投稿 まろ | 2007年12月25日 (火) 09時37分
A5
 公正な価格は、あるコーポレートアクションについて、意見の対立がある場合に、反対株主が離脱するときの株式の価格です。ですから、株主間の公平、流通性が減少すること、支配プレミアムを多数派株主が取得すること等、あまり数字化できない部分を含めて「公正」と表現しているのだと思います。
 「公正な価格」と「資産状態その他一切の事情を考慮」は、言葉は違いますが、裁判所の判断基準としては、ほとんど同じような場合も多いでしょう。

Q6
私の場合、会社法で、変だと思っている条文は446条です。
446条1号のみを読むと、なんとなく自己株式の帳簿価額まで含めて剰余金として定義したのだと思ってしまいます。ところが1号ホで参照している法務省令である計算書規則177条を読むと天と地がひっくり返ってしまう思いです。
一  法第446条第1号 イ及びロに掲げる額の合計額
二  法第446条第1号 ハ及びニに掲げる額の合計額
ということで、会社法446条1号のイからニが否定されて、残るのは
三  その他資本剰余金の額
四  その他利益剰余金の額
ということになりますから。
自己株式の帳簿価額は446条第1号 ニでありましたので、常識通り剰余金の額には含めず、貸借対照表を安心して読むことができる。
と言うことで、私は、446条については改正すべき条文であると思っています。
投稿 ある経営コンサルタント | 2007年12月25日 (火) 14時13分
A6
 そうですね。446条を改正して、資本金を分配可能額算定の数式から除外するのは、よいことだと思います。
 ただ、そうすると、資本金の機能が、会社法からまた一つ消え去ることになりますから、反対者も沢山出てくるかもしれません。

Q7
葉玉師匠、こんにちは。

Q8
 実定法を研究する者は、改正法について、特定の制度・条文がおかしいという立法論的批判はしても、改正作業がおかしかったという批判は、普通はしません。私もそうありたいと思っています。それを前提として、今回の会社法については、改正のやり方自体に異論が出ていることを、頭が古いなどと拒絶せずに、元立案担当者として謙虚に受け止めるべきです。浜辺教授の議論は、規制緩和=弱者切捨てというもので、このような議論自体は従来からあるものです。論理的に否定しても、そのような議論が世の中からなくなることはありません。規制緩和にそのような側面があることは、否定できないからです。
 その意味で、立法過程に対する批判への反論で、「「権力者の意向が働いていた」などというのは、何を言おうとしているか意味すら理解できません。」ととぼけていらっしゃるのは感心しません。郡谷氏は経産省で「経産商法」を作った人ですし、「会社法は郡谷氏が8割作った」「彼は経産省からの刺客」という発言も良く耳にしました(真実そうだと言っている訳ではありません)。そして、当時の経産大臣は、買収防衛策についても経営者側の発言を繰り返していました。何をもって権力者というかは問題ですが、「意味すら理解できない」なんてことはないでしょう?
投稿 法学徒 | 2007年12月26日 (水) 01時42分
A8
 私は、「改正のやり方自体に異論」があるのならば、どんどん異論を唱えるべきだと思いますし、その異論については、謙虚に耳を傾けているつもりです。端から拒絶しているわけではありません。
 ただし、その「異論」が正しいかどうかは、別の問題です。
 「異論」の内容が不合理であるならば、私は、その異論が不合理であると思う点を指摘し、その異論を唱えるものからの、反論を待ちます。
 「異論=正しい」のではなく、そうした議論のプロセスをたどって、なおかつ、合理性をもって受け止められる「異論」こそが、会社法の本当の誤りを正す良い「異論」であると思います。
 また、私は、「規制緩和=弱者切り捨て」という議論を、世の中からなくすなどという大それたことを考えているわけではありません。しかし、「規制緩和」「弱者」の内容を具体化しないまま、そうした議論をすることの無意味さと危険性を指摘することは、当然だと思います。
 それから、「権力者の意向が働いていた」という意味が、経産省が郡谷さんを派遣したという意味であるのならば、事実をそのまま言っただけのことで、あえて議論するようなことではありません。経産省が、経産省の政策を反映させるために出向させたこと自体は、別段、不思議ではなく、裁判所も、検察庁も、弁護士事務所も、監査法人も、学会も、多かれ少なかれ、一定の影響力を立法に与えたいから、そこに人員を送り込んでいるのでしょう。民事局参事官室は、生粋の法務省職員が少ない外人部隊なので、ほとんどの者が別のバックボーンを持っています。ただ、そのことは、多様な意見を集約するという点では、法務省キャリアだけで何でも決めるより、意見が偏らずによいことなのではないでしょうか。
 法制審議会だって、経済団体、会計士、税理士、学者等が、それぞれの立場から意見を反映させるために参加しているのであって、各界の意見を立法に反映させるという構造は、基本的には同じです。
 多様な意見を吸い上げること自体を批判されているというのならばともかく、その多様な意見の中に、経産省の意見が一部存在することを捉えて「権力者の意向が働いていた」というのは、現実から乖離しすぎていて、意味が分からないのです。
 なお、立場の違いかもしれませんが、霞ヶ関のほとんどの役人は、経産省を「権力者」とは感じていないと思います。それとも、経営者が「権力者」なのですか?本当に意味がよく分かりません。

Q9
葉玉先生は、三輪芳朗教授の一連の著作、特に「規制緩和は悪夢ですか」を読んでいませんか。もっとも、三輪教授が強調するように、レッテル貼りやあいまいな概念に基づく通念に囚われることなく、証拠に基づいてきちんと考えれば、同じような論旨になるのだとは思いますが。
投稿 驚き | 2007年12月26日 (水) 22時46分
A9
残念ながら、読んでいません。機会があれば、拝読させていただきます。

Q10
「ちなみに、執筆について、書いた本の印税は全部国庫に入れているんですか?」といった、葉玉氏個人に対する追求はきわめて生々しく具体的で、微に入り、細を穿ち、迫真の説得力があると感服いたしました。自分のような無学文盲の輩でも即座に納得させられる、大変結構な論旨の展開で、欣快の至りです。やれやれ、もっとやれ。
投稿 法的リテラシーの低い、いち個人 | 2007年12月26日 (水) 23時06分
A10
 私達が、公務外で書いた本の印税は、私達がもらっています。他方、私達が公務で書いた文書には、印税はありません。
 世の中には、公務員が本を書いて印税をもらうことに対する批判があることは分かっていますが、個人的には、もっとどんどん批判して、「公務員は、本を書いてはならない。雑誌で解説をしてもならない」という法律があればいいなあ、と思います。そうすると、立案担当者は、「プライベートタイムの時間を削って、無茶苦茶手間をかけているのに、非常に実入りの少ない作業」である執筆作業をお断りできるので、楽になると思います。
 もしくは、公務員の数を増やして、執筆作業を公務に格上げするのでもいいです。
 「ホームレス中学生」くらい売れるならば儲かるでしょうが、法律の本の印税がどれだけ少ないか、法律本を出してみるとすぐに分かります。

Q11
葉玉先生:「会社と関係者が、意思表示によって権利義務を設定することは、本来自由なのだから、立案担当者の狭い常識の中で、しかも、立案当時に存在するニーズ以外に対応できないというような規制をすることは、基本法としてふさわしくない。
 将来、どのようなニーズが生じても会社法が対応できるように、不都合が生じない限り、理論的にありうる制度設計をできるかぎり広く許容しよう」
と考えて、立案しています。」 
これは、会社法29条に関する立案担当者の解説と矛盾しないでしょうか。
投稿 会社法の任意法規性 | 2007年12月27日 (木) 01時26分
A11
 私は、会社法の基本的な発想を述べたものであり、「どんな場面でも当事者の意思に委ねる」ということではありません。会社法は、必要な規制を行うために強行法規としての側面を持っており、その強行法規性に反する定款の定めは無効とするのが29条の趣旨です。

Q12
今回の立法に対して多くの評価と同時にこれだけ多くの批判もあることについて、元立法担当官としてもう少し謙虚な姿勢を前面に出していただきたいところです。企業クライアントは少々引いてしまいます。だって相談している弁護士が大物学者から嫌われてしまったら、いざというときに学者の意見書がもらえないじゃないですか。
投稿 見物客 | 2007年12月28日 (金) 01時19分
A12
すいません。根が謙虚ではないので、謙虚な姿勢が前面に出るとわざとらしくなってしまいます。私は、批判を無視するのではなく、批判が批判として成り立つのかを誠実に検証することこそ、本当の意味での「謙虚さ」だと思いますが。
 なお、企業クライアント様に引かれるのは、ちょっと困りますが、「学者の意見書をもらえるのか、もらえないのか」を気にして議論を控えるのは、私らしくないので、ご勘弁ください。

Q13
今回の「論争」は、浜辺憎しではなく稲葉憎しから書いたという発言を伝え聞いたのですが、本当でしょうか?
投稿 非論理的な質問 | 2007年12月29日 (土) 01時35分
A13
 私は、浜辺先生も、稲葉先生も、「憎む」理由はありませんから、稲葉憎しという気持ちは、ありません。むしろ、私は、結構、マゾなので、少々、過激に批判していただいた方が心地よいです。
 そもそも、論争は、「憎い」という感情ではなく、議論を通じて、より合理的なルールを策定するために行うものです。
 稲葉先生による会社法の批判は、正しい点もあれば、間違っている点(もしくは、不合理な点)もあります。会社法の間違いを指摘してくれるのは、ありがたいことであり、間違っていれば、どこかで改正すればよいだけのことです。
 逆に、批判の方が間違っているのならば、立案時の背景や考え方をベースに「その批判は間違ってますよ」と反論すればよいだけで、そこに余計な感情を持ち込む必要は何もありません。

Q14
 法律の中身は別として少なくとも立法過程については多くの問題があった、ということについてはコンセンサスが得られているのではないでしょうか。債権法改正に向けて、有力な学者が中心となって動き出している事実、そして内田先生が法務省へ乗り込んで行った事実は、今回の会社法制定の反省があってのことではないでしょうか?
 葉玉先生をはじめとして立法担当官の方を非難するつもりはまったくなく、むしろ神田先生が仰るように大変な仕事だったと思うのですが、それとは別に、立法のプロセスにもう一度しっかりと考えるべき部分があるように思います。
投稿 年の瀬ですね | 2007年12月29日 (土) 14時56分
A14
 立法過程に多くの問題があったことについて、どの範囲でコンセンサスが得られているのでしょうか。学者の間でコンセンサスが得られているというのであれば、これを機会に、もっと沢山の学者の方が、民事局の中に入っていただければ、これほど素晴らしいことはありません。内田先生が法務省にいらっしゃったことも、民事局構成員の多様性が、一段と増するという点において、画期的なできごとであり、これでよりよい立法が可能になると思います。
 
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ここから先は、浜辺教授との論争の続きなので、興味のある人だけ読んでください。

「葉玉先生に対する反論 第3弾」に対する反論

1 浜辺教授「どのようなニーズが生じても対応できるようにしてほしい」というのは、企業経営者のニーズにほかなりません。」
【葉玉】
 それを企業経営者のニーズというのならば、そのとおりです。
 ただ、そうすると、浜辺教授のいう「ニーズがないのに、立法している」という批判は当たっていないことになりますね。会社法は、「経営者のニーズによって、立法した」ということになりますから。

2 浜辺教授「結局、「ニーズ」を隠して、本当は持っていたという「ポリシー」の妥当性を議論させないような格好になったのではないですか?」
【葉玉】
 立案担当者が、具体的なニーズを想定して立法するのではなく、会社法のユーザーである経営者や株主が自分のニーズに合わせて会社制度を利用することができるようにするという点は、私たちが、ずっと言い続けてきたことです。隠してはいません。

3 浜辺教授「葉玉先生は、「種類株式の設計でも、原則は禁止で、特定のニーズがある場合のみ、これを例外的に認めるという発想」はダメだというようですが、会社法でさえ、種類株式は原則自由で、会社法で禁止している種類株式のみ発行できないという形にはなっていないですね。」
【葉玉】
 会社法の基本的ポリシーと、そのポリシーを実現するために、どのような条文構造をとるべきかという点は、次元の異なる問題です。

4 浜辺教授「(社債か金銭消費貸借かという)形式の違いで区別する考え方の経済的合理性が、いまひとつ理解できません。できれば、その点を教えてくれませんか。」
【葉玉】
 私も、あまり合理性はないと思いますが、経済合理性のないのルールであっても、それが現実に存在する以上、そうした制度を有限会社が使えるようにすることを認めてもよいでしょう。

5 浜辺教授「有限会社の社債発行について、「会社法は、弊害が生じるような場面まで許容するようなことはしていません。」とは、具体的に何を述べているのですか?民法の一般法理で救済するのではなく、会社法で何か小規模閉鎖的で株式会社のように開示も緩やかな特例有限会社について、何かあるのであれば、この際、教えてください。」
【葉玉】
全会の本文で述べているとおり、株式会社と同じ規制がかかり、かつ、それで十分です。

6 有限会社に社債を発行させることにより、将来、いつか何か問題が起きることはあるだろうという予言はできます。
【葉玉】
 有限会社が社債をめぐる不祥事を生じさせたとしても、それが有限会社であるがゆえの不祥事ではなく、株式会社でも同じ不祥事が起こりうるという予言はできます。

7 浜辺教授「「法律実務家は人並み以上に法律の立案ができる」という奢り」などという指摘をするところに、「奢り」があると私は言いたい。
【葉玉】
 私は、法律実務家よりも、霞ヶ関の官僚の方が優秀だと言っているわけではないので、奢りはありません。

8 浜辺教授「税金で育てた優秀な人材が外部に流出してしまうのはもったいないし、残念なことであると。今でも判事一筋、検事一筋で、定年してから、という生き方のほうが清々しいと感じるのは、時代遅れだということで片付けられるのでしょうか? 」
【葉玉】
 判事一筋、検事一筋で、定年してから、という生き方も一つの人生。
 そうじゃないのも、一つの人生。
 どんな人生でも、その人が一生懸命生きていれば、すがすがしいと思います。

9 会社法154条1項で「金銭」について
【葉玉】
 浜辺教授に誤解がないのであれば、私がとやかく言うことではありません。
 申し訳ありませんでした。

10 浜辺教授「どんな法律でも二面性があるから、「批判的に見てみよう」というところが出発点でした。それが、本当に「会社法で遊ぼう」ということになると思います。ですから、「浜辺教授が、そういう偏った目で会社法を読むのを止め」ろ、といっていたのは驚きでした。」
【葉玉】
 批判的に見るのを「偏った」と言っているのではありません。
 「立案担当者が故意に条文を難しくして、自分たちが弁護士となって優位に立とうとしている」という点を「偏った目」と表現しています。

11 浜辺教授「官僚に対しては、在野の立場からすると常に疑惑の目を持って監視しなければならないのです。それとも、葉玉先生は、「監視をやめろ」「一切批判するな」というのでしょうか。」
【葉玉】
 監視はよいことです。批判もどんどんやりましょう。私は、浜辺教授のコメントを削除していませんから「批判するな」と言っているのではないことは明らかです。
 私が、行っているのは、「批判に対する反論」です。
 浜辺教授は、「自分は批判するが、この批判に対する反論は許さない」ということではありませんよね?
 なぜ「批判に対する反論」を「一切批判するな」と受け取るのか、よく分かりません。

12 浜辺教授「今回の会社法は本当に財界寄りじゃなかったと断言できるのですか?この点は、先に触れた倫理の問題も関係しております。」
【葉玉】
 財界の意見も反映していますが、「財界寄り」ではなかったと断言できます。
 
13 私は、「民事局の立法姿勢」ではなくて、会社法の方向性がどこへ行くのかを議論しています。会社法と、金商法の関係その他もろもろありますよね。全部整理ついていないでしょう。
【葉玉】
 私は、民事局の立法姿勢のことを聞かれたのかと思っていました。どうもすいません。
会社法の方向性については「まずければ、改正すればよい。まずくなければ、そのままでよい」と思っています。

14 個人事業から始めさせると、何か芽をつまれてしまう事業があるのでしょうか?また、「個人事業から株式会社に移行するときに、事業用資産の譲渡のために無用なコストを生じさせるという問題」などというのがありますか?
【葉玉】
 規制を原則に考えるため、個人事業から始め「させる」という発想になるのです。
 自由を原則にすれば、「株式会社で起業させてはならないのか」ということを検討し、特に問題がなけれれば、それを認めるという結論になると思います。

15 浜辺教授「最初の資金というのは、ある意味で重要でしょう。旧商法は、その点が形式的に判断しやすいから、それを一つの基準としていたわけでしょう。それは、全部捨てなければいけない理由として十分ですか?日本よりは先進的・合理的ではないかと思われるヨーロッパの国々もそこまで行っていないのでは。」
【葉玉】
 会社法は、国々の企業の実態と密接に結びついているので、他の国の会社法と比較して、「どちらが先進的・合理的か」を論ずるのは、おかしいです。
 特に、「明治は遠くなりにけり」なので、「ヨーロッパの国々の会社法=先進的・合理的」という発想は止めた方がよいと思います。

16 浜辺教授「実質的には、平成2年改正の前に戻るというだけ」というのは、少し言い過ぎで、35万円あるのと、ゼロ円の違いは大きいように思います。35万円の資本金を残すことを考えると、それなりに真面目に考えるチャンスは、ゼロよりはかなりありそうです。」
【葉玉】
 会社法でも、1円の出資金だけで株式会社が作れるわけではないです。定款の認証費用や登記費用などを考えてください。そうすると、「真面目に考えるチャンス」という点では、35万円の差を問題にするほどの違いはありません。

17 浜辺教授「私の理論が「株式会社のみにフォーカスされすぎている」から理論が浅いと、断じておりますが、株式会社の伝統的なイメージを基礎に論じているわけで、「古い理論は浅い」「新しい理論は深い」ということなのでしょうか?どうも、考え方に融通性がないというか、昔の理論は理解する必要もないという立場なのでしょうか。」
【葉玉】
 「古い理論は浅い」「新しい理論は深い」ということを言っているのではありません。
 私は、昔の理論の存在を否定することもありませんし、むしろ、会社法の多くの部分では昔からの理論が生きていると思っています。
 ただ、浜辺教授が、株式会社のみにフォーカスして理由付けをしている部分については、持分会社、特例有限会社、その他の法人法制で、同じ考え方を適用しようとすると、うまく説明できていないところがあるため、それらの法人を意識すれば、理論が深まると言っているだけです。

18 浜辺教授「「最低資本金制度」の主たる根拠であった「区分立法の考え方ももやは維持すべき必要がない」と述べるのですが、大会社とそうでない会社の「区分」はあるわけですね。これも葉玉先生は廃止すべきものが残っているというのでしょうか?」
【葉玉】
 大会社を資本金で区別するのがよいかどうかは、大杉先生も問題提起されたとおり、本当に合理的かどうかは、検討した方がよいと思います。
 もっとも、これは、まさに政治的な問題で、手をつけがたい部分のひとつです。

19 浜辺教授「警察が、こうした問題をどれだけやっているのか。民事不介入の考え方も根強く、限界も大きくて、問題があるのではないかという認識ではあります。葉玉先生は、この点は全く問題がないという見解なのでしょうか?」
【葉玉】
 問題がないとは思いません。ただ、会社法という実体法をどうするかとは、次元が異なる問題です。

20 浜辺教授「今回の会社法でも、株式会社であれば、決算公告の義務があり、100万円の過料の制裁がありますが、この運用はどうなっているのでしょう?」
【葉玉】
 決算公告の調査機関を設けて、裁判所への過料の申立てをさせれば、実効性は高いでしょうが、それが政治的に可能ならば、とっくの昔にやっているはずです。

21 浜辺教授「「病理現象が起こることを前提にどう対処するかが立法のあり方ではある」というのはOK。ただ、「病理現象が起こるという具体的危険」だけではなく、論理的な帰結、人々の心理、社会的文脈、社会的構造、歴史などをも考える必要を主張しているのであって、こうした考え方自体のどこが病理なのでしょうか?」
【葉玉】
 論理的な帰結、人々の心理、社会的文脈、社会的構造、歴史などを踏まえた上で、具体的危険の有無を判断するのです。そうした諸要素を踏まえて具体的危険がないと判断しているのに、規制をするのは、病理です。

22 浜辺教授「昨今の商法の規制緩和が、ライブドア・ショックを起こした後遺症が、今なお、新興市場に残っていることを忘れるべきではないでしょう。あの株式分割を厳しく批判していたのは早稲田の上村先生ですが、その辺はお忘れですか。」
【葉玉】
 上村先生が批判されていたのは、もちろん覚えています。
 ただ、株式分割による株価つり上げは、実務の運用によって起こらなくなりました。
 規制緩和自体が問題であったのか、規制緩和に、従来の実務が十分ついてきていなかったのか、を区別する必要はあります。

23 浜辺教授「個人事業でもやれるような事業を、株式会社でやらなければならないのですか?事業を禁止してはいません。」
【葉玉】
 「個人事業でやれるものでも、必ず株式会社でやれ」と言っているのではありません。「個人でもいいし、株式会社でもいい」でしょうと主張しているのです。

24 浜辺教授「形式・名称レベルの違いからくる問題ですが、葉玉先生は、「「有限会社」は、小規模閉鎖会社というラベルを貼られること自体に不都合があったわけです。有限会社でも資本金が5億円を超えるところもありますし、従業員数も何百人も存在する会社もあります」と述べており、それが是正すべき不都合だというのであれば、なぜ「特例有限会社」がそのままなのでしょうか?」
【葉玉】
 有限会社自体が、有限会社という商号をかえたくないと思っている場合には、そのままの商号でも不都合はありません。むしろ、商号を無理矢理変更すること自体が規制になってしまいます。

25 浜辺教授「今回、新たに設立した会社を「有限会社」と名乗ることを禁止したわけでしょう。これは、冒頭にあった「具体的な規制を行うニーズがある場合に限り、規制することができるという」正しい考え方からして、有限会社という名称を禁止する必要があったのですか?葉玉先生が正しいという、その考え方からして、これをどう説明していただけるんでしょうか?」
【葉玉】
 「有限会社」という名称を禁止するのは、特例有限会社が残っているため、仕方ありません。特例有限会社がなくなれば、商号に「有限会社」とつけてもよくなるのですが。たとえば「株式会社 有限会社会社法であそぼ」とか。

26 浜辺教授「葉玉先生はこう述べます。「無意味なラベリングをすることにより、特に法的リテラシーの低い人に対し、有限会社に対する無用の誤解を与えるという点が問題だったと思います。」ここで無用な誤解とは、どういう誤解でしょうか?」
【葉玉】
 有限会社は、すべて小規模会社であるという誤解です。

27 浜辺教授「現実に有限会社的株式会社が多数存在することや、有限会社に対するラベリングに嫌気がさした有限会社がそのままの形で株式会社になりたいという要望が強かったというのが一体化の動機でしょう」と言いますが、その動機が不純なものであれば、それは阻止すべきではなかったのですか?
【葉玉】
 区分立法に合理性が認められないならば、その動機は、不純ではありません。

28 浜辺教授「出来上がったものが、完全無欠であるわけではないでしょう。その辺りの批判を分かりやすくしようとしているわけで、批判をすると何でもかんでも、「的外れ」のレッテルを貼るので、いろいろと反論する必要が生じてしまうのです。」
【葉玉】
 私は、なんでもかんでも「的外れ」と言っているのではありません。合理性のある批判は賛同し、そうでないものは反論し、的外れのものは的外れと言っているだけです。

29 浜辺教授「法制執務は、変える必要はないのですか?それに手をも付けないで、天下りしてきて、大きな顔をされてもなあ、というのが、あるんです。」
【葉玉】
 法制執務を変える必要はあります。正直にいえば、変えたくて変えたくて仕方ありません。しかし、残念ながら、私には、手を付ける権限すら、ありませんでした。
 なお、検事をやめて弁護士になるのを「天下り」と表現することが適切かどうかをご検討ください。

30 浜辺教授「葉玉先生が、(私の)「論理の最大の弱点」(なんだか、こういうのが多いな)として、「格差社会やグローバル競争の中身をはっきりさせない」「平成2年と現在で、どんな点に格差が生じているのか、グローバル化という点でどのように昔と違うのか」などのご質問は、私が説明するまでもないと思います。
 ただ、少し触れれば、弱肉強食の傾向が強くて、中小企業が苦境に陥る中で、小さな企業の起業を促進するために、「最低資本金制度の廃止」によって、「自力で何とかしろ」との政府の政策は、なかなか経済を好転させるまでには至っていない状況にあるのではないかと思います。」
【葉玉】
 すいません。私の理解力不足のためか、論理の展開が、よく分かりません。
 たとえば、最低資本金制度の廃止は、自力で株式会社を設立して起業したい人のための制度であって、自力でできない人に「自力で何とかしろ」という政策ではありません。

31 浜辺教授「個人事業者と実質的にかわりないような株式会社が沢山あるという現実は、分かりきったことです。さて、葉玉先生は、議論の出発点として、「個人事業者では駄目か、とういう問題提起ではなく、「株式会社では駄目か」という問題提起が行われるべきです」と立てますが、私は個人事業者ではダメだとは言っておらず、むしろ逆で、個人事業者でもいいじゃないかと論じているのですよ。」
【葉玉】
 コメントでもご指摘がありましたが、浜辺教授の読み違いです。
 「株式会社で起業することを、なぜ禁止しなければならないのか」という意味で述べています。

32 葉玉先生の認識もかなり誤っており、偏っている面があるのではないでしょうか?自分が唯一正しいという議論の仕方そのものも違っているところがあったのではないかと思います。
【葉玉】
 私は、自分が唯一正しいとは思っていません。私は裁判官でも、試験官でもありません。
 私は、浜辺教授と論争をしている当事者です。
 私が、浜辺教授の論理を「的外れ」「不合理」と言っている部分について、読者が「いや、浜辺教授の方が合理的だ」と思うこともあるでしょう。
 どちらが正しいか、または、両方違うのかは、論争の当事者ではなく、読者がそれぞれ判断すればよいだけのことです。
 また、私は、会社法のすべてが正しいと言っているわけでもありません。
 ただ、浜辺教授が批判している点については、会社法の方が正しいと言っているだけです。

33 私はあくまでもゲストとして、お邪魔しているに過ぎません。平静な、いつもの葉玉ブログに戻りたいから、もう来るな、といわれれば来ませんが。どこまでも、というならば、どこまで行くか分かりませんが、でも、いつものことですけれども、ひとつ、お手わらかにお願いします。
【葉玉】
 私は、浜辺教授との議論を楽しんでいますので、「もう来るな」どころか、「ぜひ、またお越しください」という気持ちです。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。

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2007年12月25日 (火)

会社法はこれでいいのだ(2)

今日は、クリスマスイブ。
東京タワーもピカピカとクリスマスツリー化していました。

この愛の日に、論争するのもどうか、という気はするものの、浜辺教授から「再々抗弁」も提出されたことですし、「会社法はこれでいいのだ」第2弾をお送りします。
なお、浜辺教授の再々抗弁に対する反論は、長大なので、後ろの方に回しています。興味ある方はご覧ください。また、あまりに長くなりすぎたので、質問コーナーはお休みです。

さて、「会社法は、これでいいのか」は、随所に突っ込みどころがあるのですが、今日は
「立法担当者の責務放棄」について反論しましょう。

同書の36ページ以下で、企業会計という雑誌の郡谷さんと稲葉さんの対談が引用されています。
 この対談は、新会社法と旧商法の哲学の違いをまざまざと見せつけるという点で、非常に面白いものですが、浜辺教授は、この対談中の郡谷さんの
「特定のニーズを思い浮かべて制度をつくるということを、会社法はしていません」
という発言を捉えて

「会社法ほどの重要な法律なのですから、明確なビジョンなりポリシーを持って立法にあたったはずです。そして、誰もがそうなっていると思いこんでいましたが、実は必ずしもそうではないとうことを立法担当者が白状するに至っているのです」

と批判しています。

 しかし、郡谷さんだけでなく、会社法の立案担当者は、「明確なビジョンなりポリシー」を持って
 「稲葉さんをはじめとする従来の立案担当者のように、特定のニーズがある場合に限って、それを認めるという発想は駄目だ。
 会社と関係者が、意思表示によって権利義務を設定することは、本来自由なのだから、立案担当者の狭い常識の中で、しかも、立案当時に存在するニーズ以外に対応できないというような規制をすることは、基本法としてふさわしくない。
 将来、どのようなニーズが生じても会社法が対応できるように、不都合が生じない限り、理論的にありうる制度設計をできるかぎり広く許容しよう」
と考えて、立案しています。

 稲葉教授や浜辺教授の考え方の特徴は
  「規制を原則」
としている点です。たとえば、種類株式の設計でも、原則は禁止で、特定のニーズがある場合のみ、これを例外的に認めるという発想のように見受けられます。

 しかし、ニーズを厳密に想定しなければならないのは、規制を行う場合です。
 すなわち、
   具体的な規制を行うニーズがある場合に限り、規制することができる
という考え方が正しいわけです。
 この命題は、裏を返せば
   具体的な規制を行うニーズがない限り、規制をせず、当事者の意思に委ねる
ということを意味します。
 これが私法の原則であり、当事者の意思に委ねるのに「ニーズ」は必要ではないのです。

 また、浜辺教授は、会社法が社債の発行を持分会社にも認めたことについて
「合名会社や合資会社において社債を発行するということはおよそ考えにくいことです。・・こうした無意味な制度があることで、会社法のセミナーなどでは、あれこれ制度の説明をした挙げ句、「でも、結局これは使えません」というオチになるようなことが、あちこちで起こっています」。
と批判されています。

 セミナーで講師が、そういうオチをつけることは、「弊害」とはいいません。

 私は、浜辺教授は、社債についての理解が十分ではないと思います。確かに、社債は、原則として、社債管理者の選定や金商法の規制等がかかるので、合名会社等が社債を発行することが実務上困難な場合もあるという点では、浜辺教授は正しいです。

 しかし、たとえば、私募等のうち一定のものは、社債管理者の選定も不要であり、金商法の規制もかからず、社債を発行することができますから、手続としては、大変ではありません。
 
 ある地方公共団体では、会社による社債の発行について特別な支援をするような制度がありましたし、金融機関の中には、審査において、証書貸付と社債を別枠で評価するところもあり、証書貸付だけでは難しい融資も、社債と組み合わせることにより、可能になる場合もあります。
 その他、社債という制度を有効活用する道はあるわけで、合名会社等から、そうした有効活用できる手段を奪う必要性がどこにあるのでしょうか。「結局、これは使えません」という狭い考え方だけで、合名会社等の社債発行を禁止するのはおかしいです。

 さらに、浜辺教授は、有限会社の社債発行について、「有限会社の規制の甘さからしますと、株式会社としての体制もない会社に社債発行まで認めるのが妥当なのかは極めて疑問です。」という例をあげ、会社法が「立法事実も考慮されていなければ、どうあるべきかも深く検討してもいないようであり、どのように弊害を防止するかも不十分です」と述べられています。

しかし、先に述べたとおり、会社法は、弊害が生じるような場面まで許容するようなことはしていません。
 たとえば、浜辺教授があげた「社債」の例についても、有限会社に社債を発行させても何の問題もないからこそ、認めているのです。
 浜辺教授は、社債の発行を規制の強弱と関連づけているようですが、一体、どう関係するのか、理解できません。社債は、一種の借金です。株式会社にお金を貸す人もいれば、有限会社にお金を貸す人もいるのであり、有限会社はガバナンスが緩いので、貸したくないというのならば、貸さなければよいだけです。
 また、株式会社だから社債が償還できて、有限会社だから償還できないという因果関係もありませんし、社債が証書貸付などと異なるのは、公衆の保護のために社債管理者や社債権者集会の制度が置かれている部分ですが、これについては、株式会社も有限会社も共通の規律に服します。この点について有限会社や持分会社に対する規制が緩くなっているわけではありません。

 このように浜辺教授の基本的な考え方は妥当ではなく、また、批判の根拠としてあげられている具体例も的外れだと思います。

 なお、18頁以下において、浜辺教授は、会社法の立案に郡谷さんが参画していることについて
 「本来ならば、少なくとも司法研修所を出て、法律事務家として人並みの経験を積んだ後に、会社法の立法に携わるという順序になるべきであるし、そういうものだと一般的には考えられているのではないでしょうか」「そういう人事を行った権力者の意向が働いていたのではないかと推測するほかありません」
と述べられています。

 この文章は、「法律実務家は人並み以上に法律の立案ができる」という奢り以外の何ものでもありませんし、「権力者の意向が働いていた」などというのは、何を言おうとしているか意味すら理解できません。

 法律の立案のほとんどは、法律家以外の公務員が行っていますし、法律実務家だろうと、どんなに優秀な学者であろうと、法律の立案という作業については、無能ということも十分ありえます。
 大事なことは、適材適所です。郡谷さんは、もし彼がいなければ、会社法が平成17年に成立していなかったかもしれないというほど卓越した働きをしています(しかも、会社法の立案をしながら、旧司法試験に合格するという離れ業をやりとげています)。

 浜辺教授も「K氏自身としては、その職務を立派に果たされたと思います」とフォローしているように見せていますが、少なくとも、このあたりの浜辺教授の記述は、この本の品位を著しく落としていると感じます(ちなみに、K氏に続き、H氏として私の紹介もしていただいていますが、この部分は、前後関係からすると、あまり脈略がないので、割愛します。)。

 結局、浜辺教授は、郡谷さんが理系出身者だから、会社法では
  「因数分解的な手法」
が用いられており、それが、「今までの歴史的な経緯や表現の問題においても、ずいぶん多くの問題を含む結果となって」いるというところを主張しようとしているのでしょう。

 そして、その因数分解的な手法に対する批判として、67頁以下に「読めば読むほど分からなくなる会社法」として、いろいろな例を挙げています。

 たとえば、浜辺教授は、転換株式だと分かりやすいが、取得請求権付株式だと、取得請求権付株式に関する条文(会社法108条1項5号)と、「取得するのと引き替えに株主に対して他の株式を交付する」(会社法108条1項5号ロ)という条文を組み合わせることによって、はじめて従来の転換予約権付株式と同種の仕組みが定められていると分かるから、わかりにくい、という趣旨のことを述べられています。
 しかし、この例で、浜辺教授が「わかりにくい」と思うのは、「従来の転換予約権付株式はどこにあるのだろう」と思って探しているからであり、最初から、会社法で勉強し、種類株式の説明を聞いた人には難しくありません。会社法108条1項5号と同号ロをそのまま読めばいいだけの話です。

 また、浜辺教授は、会社法154条1項で「金銭」の二文字ですむところを「金銭等(金銭に限る)」などと表現して、わざと難解にしていると批判しています。
 しかし、会社法154条1項を「金銭」とするのは間違いです。浜辺教授の条文の読み方が間違っています。
 154条1項は、「第百五十一条の金銭等」と規定し、「株式会社が151条各号に掲げる行為をした場合に、当該行為によって当該株式の株主が受けることのできる金銭等」という長たらしい引用を簡略にしているのです。
 その上で、154条1項の対象となるのは、151条の「金銭等」のうちで、「金銭」に限られるので、それをカッコ書きで表現しているのです。
 この場合、第151条1項は、あくまで「金銭等」で定義をしているので、その一部部分を「金銭」で引用することはできません。
 それにもかかわらず、浜辺教授は、自己の誤解をもとに、154条1項の規定ぶりを「笑い話」として批判されていますから、この点は、増刷の際には変更された方がよいように思います。

 その他浜辺教授が具体例としてあげられたことは、それぞれ理由のあって、そのような規定にしているのであり、「わかりにくい」と一括りにしてよいようなことはありません。

 もちろん、私は、会社法が「わかりにくい」という点については、そういう面もあるだろうとは思います。
 分かりやすいところもあれば、わかりにくいところもあるのは、法律ならば当たり前のことだからです。また、法律専門家が従来の常識をもっているがゆえに、わかりにくいところだって沢山あるでしょう。

 しかし、少なくとも法律の専門家を名乗るならば、そういう改正をフォローすべきです。私だって、金商法、独禁法、税法の改正は、わかりにくいけれでも、一生懸命勉強しています。会社法の制定は、平成2年まで続いた規制中心の商法の合理性を徹底的に検証し、数度にわたって自由化の観点から行われた商法改正の総仕上げとして行われたものです。
 平成2年までの常識を絶対視して、会社法を見れば、いつまでたっても分からないのは当然であり、会社法の目指すバランスがどこにあるのかを理解すれば、会社法は分かりやすくなると思います。

 なお、浜辺教授が、「わかりにくい」ということを問題視されているのは、浜辺教授が「立法担当者から大手法律事務所等に転職した人たちであれば、自分だけは会社法の奥の奥まで知っている元立法担当者として優位に立てる」という思いに囚われていることも一因なのかもしれません。
 しかし、もし、私たちが、そんなに優位に立ちたければ、あんなに本を執筆することはなかったでしょうし、このブログで無料で質問に答えたりしないでしょう。ノウハウは、独占した方が得ですから。
 浜辺教授が、そういう偏った目で会社法を読むのを止め、従来の商法の欠点や、会社法に込められた哲学を素直に受け止めたれた上で、会社法を批判されれば、より深い議論ができるでしょう。

<浜辺教授の再々抗弁に対する反論>
>浜辺教授「葉玉先生の引用がかなり恣意的で、都合よく改ざんされておりますので、その改ざんを前提に読まないで頂きたいのです。残念ながら、12月22日の葉玉先生の議論は、いつもと違って少しアンフェアな議論が目立ちます。
葉玉:もし引用が浜辺教授のご趣旨と違うのならば、申し訳ありませんでした。なるべく原文を生かしているつもりですが、いずれにせよ、読者には、原文を読むこともできますので、私の引用が恣意的かどうかは読者の判断にゆだねたいと思います。
 なお、今回の浜辺教授の再々抗弁は非常に長いので、読者のために一部要約することをお許しください。

>浜辺教授「第一に、この議論を通して、最近の立法が一体誰のために、役人たちが、どういう姿勢で法律を作っているかを浮き彫りにできるかもしれないと思うから。
第二に、今後の立法の方向性はどうあるべきか、を考える参考になるかもしれないと思うから、そして、これらの議論を通じて「エリート官僚支配」を打破するための議論のために小さな一石でも投じることができればという思いからです。」

葉玉:第一の点は、最近の立法は、海外からの輸入ではなく、現実にその法律を使っている人たちの声を聞いて、その人たちのために作っています。浜辺教授は、それが「財界エリート」に偏っているように思われているかもしれませんが、今、話題になっている「最低資本金制度の撤廃」などは財界とは全然関係のない中小企業や脱サラの方の声から作られたものであり、たくさんの利害関係者の意見の調整の中からできあがっています。
 役人たちが、どういう姿勢で法律を作っているか、という点については、役所によって、かなり違うでしょう。法務省民事局は、基本的には、行政法ではなく、私法の領域を取り扱っているので、どちらかというと民事局自体が何か目標設定をして改正をやろうとするようなことは少ないです。民間からの改正の声を聞きながら、改正をしているというのが実態でしょう。
第二の点については、今後の立法の方向性は、民事局の立法姿勢については、とりたてて変える必要はないように思います。昔は、人手の問題もあり、法務省というのは、法改正をしたがらない代表的な役所のひとつであり、いつまでも不都合が是正されない時代もありました。今くらいがちょうどいいかなあと思います。ちなみに「エリート官僚支配」というのは、民事局の立法、特に会社法については、荒唐無稽な批判です。会社法は、行政に関連する部分(たとえば、登記義務)は多くなく、しかも、今回の改正では、なるべく行政の関与を少なくしようとするものばかりです。また、会社法の立案担当者グループのうち、行政畑を歩いてきた公務員は経産省からきた郡谷さんだけ、弁護士および公認会計士が5人、検事が2人、裁判官が2人ですから、現実問題として、「エリート官僚支配」とはかなり違うでしょう。弁護士だろうとなんだろうと、法務省に入ったら、もう「エリート官僚」だというのならば、どうしようもありませんが。エリート官僚支配という言葉のもつ意味を明らかにした上で、ご批判されたほうがよいのではないでしょうか。

>浜辺教授:かつては1000万円の資本金を調達するためには、それなりの事業計画を作って、出資者を説得し、はじめて出資を得て事業が開始できるが、その計画が十分ではないために、会社設立が見送られたといったことは、現実にあります。
葉玉:そういうケースもあるでしょう。でも、それは、「会社」の設立が見送られただけではなく、「事業」としても見送られたのではないでしょうか。
  浜辺教授のご批判の最大の難点は、
    ① 事業の成否の問題と株式会社の設立の問題を混同している。
    ② 最低資本金制度の問題と、大規模会社とそれ以外の会社の区分をしようという立法姿勢(区分立法)の問題をあまり区別せずに論じている
という点でしょう。
浜辺教授が、株式会社の最低資本金制度の廃止を批判されるとするならば、個人もしくは合名会社としては「事業が開始できる」が、株式会社としては「事業を開始することができない」という事例を出されるべきでしょう。無理な事業を抑止することと、株式会社の設立を抑止することを同列に取り扱うべきではありません。浜辺教授のおっしゃるように、最低資本金制度の維持は、無理な事業を抑制する具体的な効果がある場合もあるかもしれませんが、そのような事業は、個人事業や合名会社としてはじめようとしても、駄目なのではないでしょうか。
  逆に、個人事業などとして継続できるような事業であるならば、株式会社としても継続することができるでしょう。中小株式会社で、事業計画もなく、出資者は社長一人で株式会社を設立して成功したケースは、沢山あります。それにもかかわらず、最初に1000万円を用意できないというだけで、株式会社の設立を禁止すれば、株式会社を設立して事業を成功させるという芽をつむだけでしょう。また、ある程度事業が成功した後でなければ、株式会社に移行することができないとすれば、個人事業から株式会社に移行するときに、事業用資産の譲渡のために無用なコストを生じさせるという問題も生じます。
  浜辺先生は、区分立法の理由付けとして、事業としての継続性やスクリーニングを持ち出している点に、実態にそぐわない面があると考えますし、事業としての継続性を確保できるかどうかは、出資金だけではなく、事業の収益性・将来性、経営者の信用などに依存するものですから、「事業を営むことが無理かどうか」、さらに、「株式会社として事業を営むことが無理かどうか」を、1000万円の出資金の有無という形式的な要件でスクリーニングしようとすること自体に無理があると思います。
 
>浜辺教授:「既に企業経営をしている人たちからも、「かつては、それなりに苦労して会社を作ったけれども、これからの会社法は安易に会社を設立して心配だ」といった意見を耳にすることが少なからずあります。
葉玉:その苦労というのは出資金1000万円のことでしょうか?また、その人は、平成2年以降に設立した人でしょうか?その「心配」は、会社法施行後、現実になりましたか?私もビジネスに携わっている人から、そのような声を聞いたことがありますが、よくよく聞いてみると、最低資本金制度自体に関する誤解や制度変更に伴う一般的な不安感に基づくものであったと思います。
  また、安易に会社を作れる雰囲気があっても、実際に作るには、すくなくとも数十万円のお金が必要なのですから、本当に「安易に」作る人は少ないでしょう。仮に、安易に作ったとすれば、休眠会社になるかもしれませんが、それだけならば、誰にも迷惑はかけませんから、それを禁止する必要はありません。
こうしたことを、浜辺教授が「善人をも悪人にしてしまう危険性をはらんでいる」と表現することには、強い違和感を覚えます。
  さらに、浜辺教授は、「会社法のような弊害予防・抑制・克服策を備えていない最低資本金の廃止」が問題と指摘されますが、実質的には、平成2年改正の前に戻るというだけであり、そのころの制度に加えて、ことさら弊害を予防・抑制・克服しなければならないような制度を会社法で用意する必要はないように思います。

>浜辺教授「、葉玉先生の<私は、ダミー会社が違法な行為を行うのならば、たった1社であっても、1回の行為であっても、許されないと思いますし、また、「数が少なければいい」などとも思っていません>という、くだりは、元々の、「ダミー会社が沢山設立されていたのでしょうか。」「さらに、会社法が成立した後、そのようなダミー会社が増えたのでしょうか。 おそらく、どれも実証的な研究がされていないため、浜辺教授も私も正確に答えをもっていないというのが現実ではないでしょうか。」という問いかけと、論理的にどのように整合するのでしょうか?これって、論理のすり替えではないのでしょうか。これは役人が国民を騙すために使う常套手段です。
葉玉: 論理のすり替えではありません。私は、違法行為を行うのならば、その違法行為を抑止すべきであって、違法行為の抑止との直接の因果関係がない最低資本金制度による設立制限を廃止することとは、切り離して考えるべきだということで論理は一貫しています。

>浜辺教授「最低資本金制度は、「健全な会社を作っていくため」の制度であって、「違法行為の抑止手段」という目的は、「健全な会社を作るため」という目的よりも小さい位置づけ、ないし副次的目的だったと思います。
葉玉: 最低資本金制度は、「健全な会社を作っていくため」という意味でも、不十分であまり意味もない制度でした。「健全な会社」とはなんでしょうか。設立当初、1000万円の自己資本があることが健全な会社なのでしょうか。とすると、有限会社は300万円だから不健全なのでしょうか。もちろん、そうではありませんよね。また、合同会社や合資会社は、出資金0円なので不健全なのでしょうか。
 繰り返しますが、浜辺教授は、株式会社の設立の問題と、事業の継続性や会社の設立の健全性の問題を混乱されているように思います。浜辺教授が主張されているのは、区分立法の必要性の問題であり、設立の健全性の問題ではないはずです。
 たとえば、間接有限責任のもとで資本金1円でも、代表者が、連帯保証して、会社が借り入れを行えば、事業は継続できます。それでは、不健全なのでしょうか。もし、その形態が「不健全」であるというのならば、合名会社は不健全であるというのに等しいわけです。
 また、実際には、資本金1000万円で1億円の借り入れがあるところはザラであり、そうした会社は金利3%としても年300万円の金利になります。また、社長と従業員一人の給料等だけでも、1年間で数百万円になります。会社の一般管理費を考えると、1000万円・300万円という最低資本金をもとで、設立の健全性を語るのには限界があります。
 私が、浜辺教授の理解がやや浅いと感じるのは、その理論が、株式会社のみにフォーカスされすぎているところに由来するように思います。ダミー会社であるとか、安易な会社設立という問題は、本来、会社全体について語るべき問題です。また、安易な起業というのなら、個人事業を含めて語るべき問題です。浜辺教授は、しきりに「不健全な起業の抑止」とおっしゃいますが、最低資本金制度は、単に株式会社としての起業を抑止しているに過ぎないのであり、起業そのものを抑止しているわけではないのです。それにもかかわらず、それを、株式会社の最低資本金制度の存在意義のように語られるのは、あまり論理的ではないと思います。
  最低資本金制度の目的は、大規模会社と中小規模の会社を区分することにありました。それ以外は、健全な設立という点を含め、付随的な理由です。
  これに対し、会社法は、会社が成長に応じてシームレスに組織を改変することができるように、そのような区分を取り払いました。最低資本金制度の撤廃は、そのひとつのあらわれでもあります。
 私が、最低資本金制度には違法行為抑止の効果はないと主張したのは、浜辺教授が、ダミー会社が増えるという話をされたからであって、『違法行為の抑止オンリー』とは言っておりません。先ほどお話したように、最低資本金制度は、健全な会社の設立という点でも合理性に疑問の残る制度です。また、その主たる根拠であった区分立法の考え方ももやは維持すべき必要がないと考えます。

>浜辺教授「ダミー会社の問題は、会社法という枠組みだけではなく、刑法や警察行政との連携によって解決されるべき問題である」というのは、その通りですが、その辺は他の役所にお任せで「俺は知らん」というのも、ちょっと無責任ではないか、という感じがします。(お役所の縦割りですか)
葉玉:私は、「俺は知らん」といっているわけではありません。むしろ、私は、民事局のあと特捜部にいって、ダミー会社を使った刑事事件を捜査していましたから、わが身のことでもあったわけです。また、会社法に限っても、規制の強化・罰則の強化が図られている部分もあります。会社法立案担当者は、「俺は知らん」とか、縦割り行政とかと、もっとも縁遠い人たちであり、おそらく、刑事局の当時の担当者や他省庁の人が、浜辺教授のその批判を聞いたら、唖然とするでしょう。

浜辺教授「葉玉先生は「現在、社会的に必要な弱者保護や不公正の是正などのため実には社会保険庁の問題をはじめとして各種偽装問題でも露見してきたように、日本には不公正がまかり通るものだったのではないのですか?各種の社会問題やら、病理現象に目をつぶった、お気楽な、世間を知らないエリート官僚の意見のように聞こえました。「憲法上の要請」まで持ち出して、程度不明な「具体的な効果」を基準にして、制度の採否を決めるのは、やはり役人的な発想にすぎません。」
葉玉:この一文は、浜辺教授のジョークだろうと思いますので、まじめに反論するのもどうかと思いますが、①どのような規制をするかということと、②規制を破る人がいること、③規制が破られたときに、どう実効的に対処するかということは、まったく次元の異なる問題です。それとも、浜辺教授に万能の立法権限を与えれば、社会保険庁の問題も、偽装問題も、その他の各種社会問題も、何も起こらなくなるのでしょうか。それは、違いますよね。
 病理現象が起こることを前提にどう対処するかが立法のあり方ではあると思いますが、「病理現象が起こるという具体的危険がないのに、人の権利を制限する」という発想は、それ自体が病理です。そのような発想は、公務員が絶対にとってはならない立案姿勢であると思いいます。

浜辺教授「最低資本金制度そのものが、経済社会の現実にあわなかった」のではなく、現実には、少しでも多くの起業を図ろうという狙いでした。論理よりも、経済的・政治的な要請によるものだったのではないですか? つまり、日本の企業社会ではなじみのある株式会社と有限会社というのは、経済社会の現実をある意味では反映していて、適合していた面もありました。ところが、無計画でも、何でも良いから、とりあえず設立される「株式会社」を増やして経済が良くなったように見える数字を偽装でもしようと思ったのか、さまざまな思惑の人たちの圧力があって、官僚が「最低資本金制度」の立法趣旨などを無視して、安易に飛び乗ったというのが、実際なのではないですか?」
葉玉:株式会社が増えても、経済がよくなったように見える数字は偽装できません。正直なところ、浜辺教授の言っていることは、ナンセンスです。
  また、株式会社と有限会社は、経済社会の現実をある意味では反映していたかもしれませんが、株式会社の中に、有限会社的なものが沢山存在していたことを忘れてはなりません。今回の株式会社と有限会社の一体化の本質は、有限会社的株式会社を、どこに位置づけるかという問題なのです。浜辺教授ならば、そのような有限会社的株式会社をどうされますか?その問題を無視して、株式会社と有限会社の区別をすることは無意味です。

浜辺教授「今回の会社法は、要するに「規制される側」の要望ばかりを聞いて、「規制によって守られる人たち」の意見をどれだけ聞いたのか極めて疑問です。」
葉玉:浜辺教授のいう「規制によって守られる人たち」の具体的な姿が見えません。会社法施行1年半たって、その人たちの利益は害されたのでしょうか?害されていないはずです。浜辺教授の論理がおかしいのは、具体的な姿を描くことなく、「利益団体」(=規制される側)と「取引先、消費者」(規制によって守られる人たち)というラベリングをしていることに起因しているのではないでしょうか。
 利益団体は、経団連にしろ、中小企業団体にしろ、会社の要望を集約する組織です。そして、会社の取引先の多くは、やはり会社であり、特に「健全な設立」に関係しているのは、売掛金や融資等により株式会社の債権者になる会社が主であり、現金現物取引の多い消費者ではありません(もちろん、NOVAのように消費者が債権者になる場合もありますが)。
 したがって、利益団体は、規制される側と規制によって守られる人たちの双方の利益を集約しているのであり、浜辺教授がご自身のラベリングの中身をもう少し検討すれば、より説得的かつ合理的な論理を構築できるのではないかと思います。

浜辺教授「まず理解すべきは、事業を行うためには、何も会社を設立する必要はない点です。多くは個人事業者として、できるビジネスはいくらでもあるのです。しかし、あるレベルになると、会社形態が必要となったり、会社にしたいという場合があり、多くの人々は有限責任の会社を選択します。その場合には、それなりのルールが必要だから、会社法があるのでしょう。」
葉玉:個人事業でもやれるような事業を、株式会社でやってはいけないのですか?別に禁止する必要はないと思います。最初から株式会社にしておいた方が、あとで株式会社になるよりも、無用なコスト(たとえば、事業用資産の登記登録、免許の移転など)を節約することができます。浜辺教授のように遠回りをさせる根拠は何もないはずです。

浜辺教授「伝統的な「株式会社」の歴史的意義とか、現代における社会的重要性、社会的責任、公共性なんて、もうここに書くまでもないでしょう。」
葉玉:株式会社に限らず、事業を行うものは、それぞれに社会的重要性、社会的責任、公共性を持ちます。そのような抽象的な命題から、何か具体的な立法論を導くのは、あまり賛成できません。

浜辺教授:「「本来、出資者は、会社債権者に対しても、責任を負うべきだが
、一定の基礎があった場合には、有限責任を認めてあげよう」という思想は、間違っているのでしょうか?「会社は、法的な意味でも、実態としても、出資者とは切り離された存在である」というのは、それを切り離すべき根拠が必要であるはずで、むやみに切り離すのはおかしいと思います。」
葉玉:私は、合名会社・合資会社・合同会社も含め、「会社」と呼んでいますので、そういう前提で、私の発言をお読みください。法人というのは、それを設立した自然人とは別個の人格なので、法人なのです。これは、会社法という狭い世界だけをみずに、各種法人法制をみれば、法律上、当然の事理であると思います。

浜辺教授:「会社に対する権利を取得することは意思表示の内容となっていますが、その契約に名前もでてこないような背後の出資者の財産を当てにする意思は見受けられません」と葉玉先生は述べますが、これは誤りです。公開会社ならば別ですが、小さな会社は、誰がオーナーの会社であるのかは大問題で、彼の会社ならば、信頼して取引するというのが実態です。」
葉玉:浜辺教授は、意思表示理論の基礎について誤解があるようです。私の発言は、意思表示理論をそのまま述べているだけであり、誤りではありえません。
  小さな株式会社で、誰がオーナーの会社であるのかが大問題であるのは、当然ですが、そのような場合に、オーナーに対して責任追及をしたいのならば、会社の債務に連帯保証を求めるのが原則です。そうでなければ、オーナーが違法行為をやった場合に429条の責任や不法行為責任を問うか、法人格否認の法理(有限責任否認の法理ではありません)を用いるかなどを模索することになります。「法人格を認める」ということと、有限責任は別の次元ですが、「法人格=有限責任」が原則であり、例外が、合名会社や合資会社において、明文で認められた直接無限責任なのです。これは、他の法人法制をみれば、法人の設立者や運営に携わる理事について、有限責任の規定を置いていないところからも明らかです。

浜辺教授「当局も、会社法によって法人格の濫用が増えるだろうということは認めているのです。すなわち、平成18年税制改正で、税務専門家の間で評判が悪かった同族会社の行為計算否認の制度の適用範囲が逆に拡大されました。
当局の説明によれば、「・・・その背景として、会社法の下では従前よりも会社が設立しやすくない、会社形態の濫用が増える懸念があるからということがあります。」
葉玉:同族会社の行為計算否認は、株式会社にのみ適用されるものではありません。持分会社にも当然適用されます。浜辺教授が批判していたのは、最低資本金制度の廃止によるダミー会社等の設立の問題ですよね?論点がずれているような気がします。
  また、私は、最低資本金制度のように設立自体を困難にするのは合理的ではない、設立を認めた上で、違法行為を抑止すればよいし、会社法だけではなく、その他の法律でトータルで抑止するように配慮しているとお話してきました。浜辺教授のご指摘になったのは、まさに会社法以外で個別の違法行為(濫用行為)を抑止するための改正です。

浜辺教授「このように、「法人格を認める」ということと、有限責任は別の次元ではありますが、葉玉先生が混同したように、「法人格=有限責任」という捉え方をされることもあり、とりわけ税務当局は上記のような説明で、運用上は問題のあった制度を拡大しているわけです。このように見ると、葉玉先生の議論は「黒を白と言いくるめる」類の議論であって、また、当局さえ認めてきたことを隠して民間人を批判する、極めてアンフェアなものだと思います。」
葉玉:すいません。浜辺教授のおっしゃっていることの意味が分かりません。ただ、私は、論理的にお話をしているだけで「黒を白といいくるめる」ような議論はしていないと思います。

浜辺教授「「株式会社」は、株式を発行し、将来的には公開会社を目指せるような器であって、それに対して有限会社は小規模閉鎖会社というブランドであったという両者の区別があったことを前提にしたものであって、十分に整合的な議論です。恐らく、ここは、「有限会社廃止ありき」でしか考えていないことによる読み間違いの批判と思われます。どうして全部「株式会社」にしてくれ、という話になっているのでしょうか?株式会社と有限会社とあることで、不都合がありましたか?」
葉玉:旧商法でも、有限会社は、組織変更で株式会社となり、公開会社を目指すことはできました。もちろん、譲渡制限株式会社も、譲渡制限を撤廃することにより、公開会社をめざすこともできました。この2つは何が違うのでしょうか?
 浜辺教授は、現在の多くの株式会社が、譲渡制限会社で実質は有限会社とあまり変わらないという現実について、どう対処すればよかったのか、という点について答えてくれません。今回の改正のポイントは、そこなのです。
 なお、株式会社と有限会社とあることで不都合はあったかという点については、まさに浜辺教授のように「有限会社」は、小規模閉鎖会社というラベルを貼られること自体に不都合があったわけです。有限会社でも資本金が5億円を超えるところもありますし、従業員数も何百人も存在する会社もあります。会社を分類するのならば、株式会社と有限会社の「法的最低ライン」を見比べることによりラベリングするのではなく、個々の会社の出資金、従業員数、売上、利益などを見るべきです。
 浜辺教授の区分立法の考え方は、無意味なラベリングをすることにより、特に法的リテラシーの低い人に対し、有限会社に対する無用の誤解を与えるという点が問題だったと思います。

浜辺教授「どうも節操もなく、「株式会社」を解放して、いったいどういう
意味があるのか、その辺りが立法政策として問題があり、結局、論理よりも、経済政策・政治的妥協にすぎないものを、葉玉先生が一部利益団体のために理論武装をされているだけのことのように思います。従って、そうした利益団体から支持を受けるのは当然ですよね。もっとも、官界から民間に天下りしても、官界での経験を利用して「活躍」している分だけ、何もしないで金だけ取っている天下りと同列にする趣旨ではなく、葉玉先生は立派であり、貴重な存在です。」
葉玉:浜辺教授の発想が間違っています。まずは、株式会社を開放した場合にどんな弊害があるかを考えるべきです。浜辺教授の発想の根底には、区分立法があると思います。むしろ、私は、浜辺教授に、なぜそんな区分をしなければならないのかを教えてもらいたいところです。誰のために区分しなければならないのか、なぜ会社の実態ではなく、最低資本金で区分しなければならないのか、正直、なんの合理性も見出すことができません。
 また、一部利益団体のための理論武装というのも、浜辺教授の幻想です。

浜辺教授:「どうして「有限会社」がなくならなければならないのでしょうか?「有限会社」は、廃止しなければならないような悪い制度だったのでしょうか?有限会社を株式会社にする必要性が、本当にあったのでしょうか?選択肢としては、有限会社のみ最低資本金を廃止して、利用者からみて、有限会社は資本的裏付けがない会社、株式会社は少なくともある程度の資金的裏付けからスタートして、それなりの企業を目指す会社といった棲み分けを志向するということは、そんなに悪いことでしょうか?」
葉玉:有限会社がなくなったのは、株式会社の設立や機関を簡素化した結果、有限会社という形態を株式会社と別に残存させておく意味がなくなったからです。
  また、現実に有限会社的株式会社が多数存在することや、有限会社に対するラベリングに嫌気がさした有限会社がそのままの形で株式会社になりたいという要望が強かったというのが一体化の動機でしょう。
  浜辺教授は、有限会社は「資本的裏づけのない会社」とおっしゃいますが、資本的裏づけが株式会社よりも大きい有限会社もありますし、資本金の最高限度額が定められているわけでもありません。浜辺教授自身が、まさにラベリングの罠にひっかかっています。また、「それなりの企業をめざす」のは株式会社だけの専売特許ではありません。持分会社も有限会社も、株式会社をこえる事業をやることを目指してもいいのではありませんか?売上高や利益の額が、会社の類型によって規制されるということもありません。
  浜辺教授の区分立法は、お上が企業の大小を決めて、ラベルを貼ってやるという考え方であり、会社の実態と異なるところで、ラベルを貼ることの問題点を見つめなおすべきです。
  浜辺教授のように「棲み分けを志向する」考え方は立法論として十分ありえますが、「日本国の会社法制の歴史」の中で、資本欠損時の解散義務を廃止したことや、株式譲渡制限を認めたことで、そうした会社が多数を占めるようになり、もはや有限会社と株式会社での「棲み分け」というのは、法的にも実質的にも、困難になっており、また、その棲み分けが何かに役に立つようなこともないと思います。

浜辺教授「法制度を改正せず放置するという選択肢をとれば、実質的違法状態(活動しない取締役や監査役がいる状態)を放置することになる」などといいますが立法趣旨が正しければ、違法状態は是正する方向で、いろいろと調整したり、新しい知恵を出したりすべきなのであって、それを単に放り出して、全部「株式会社にするしかない」というのは、あまりに短絡的です。」
葉玉:「棲み分け」の論理に合理性と実効性があれば、よいのですが、残念ながら、そうした考えで行われた旧商法の改正が、日本の実体にそぐわなかったのが現実です。すなわち、「立法趣旨が正しくなかった」のです。ですから、現在では、「放り出す」こと自体に価値があります。

浜辺教授「結局、「株式会社と有限会社の一体化の問題は、法制審議会における最大のテーマのひとつとして活発に議論し、整理された」と、ここでも「お上の権威」を持ち出しますが、結局「特例有限会社」は残っている、上記の疑問について、どう考えているのか明らかではない、とにかく起業促進という目的のために理論が政治に負けただけのことではなかったのか、という疑問が残ります。つまり、最低資本金廃止が株式会社全体に及んで、その株式会社はいろいろなタイプがあって、それぞれの使い方は、民間に丸投げで「自由にどうぞ」という形で、ソフトロー的な規律自体は良い面もありますが、方向性はもう少し明らかにする必要があったのではないかということなのです。まあ、法制審議会が決めたから「仕方ないじゃないか」というのであれば、それこそ仕方ありませんが。」
葉玉:法制審議会は、構成メンバーを見ていただければわかるとおり、「お上」とは違います。また、法制審議会が決めたから「仕方がない」というのもおかしい話であり、民間の委員を中心として真摯に議論し、合理的な結論になったと思います。さらに、会社法の示す方向性は、株式会社を設立する際のハードルを下げるという点で非常に明快であると思います。
 なお、「政治に負けた」の意味がわかりません。むしろ会社法の立案担当者は、タフネゴシエーターで、自分の好き勝手に作っているという悪評が立つほどで、あまり「負ける」ような仕事はしていなかったと思います。浜辺教授が、会社法の立案プロセスを実際に体験すれば、その批判が的外れであることが分かっていただけるのですが。

浜辺教授「有限会社と株式会社という二つの分かりやすい区別がなくなって、会社法では、基本的なところから見えにくくしてしまったのです。今回の会社法は、明らかに強者に有利なのであって、弱者のためのことを考えたとは思えません。それは今後取り上げられる論点にもなってくるでしょうが、「むしろ「株式会社」という認識すらなく、取引をしているのが実態なのではないでしょうか」などというのは、庶民を愚弄するものではないでしょうか。」
葉玉:浜辺教授のおっしゃる「法的リテラシーの低い人」とは誰なのでしょうか。検事としての経験からすれば、詐欺集団が、消費者相手に詐欺をしているとき、株式会社という形態を使っていないことは沢山あります。誰だって、有限会社と株式会社の区別くらいは、つきますが、具体的にどう違うのかを言える人は、少ないのではないでしょうか?「強者弱者」「庶民」という言葉は、具体的な中身を伴わないと何の説得力も持ちません。

浜辺教授「私が主張しているのは、もっと分かりやすい法律を作れということであり、徒に難しい法律を作ったことに対する批判もあるのです。
 昔も分からなかったから、分かりにくくても良いのだということにもなりません。葉玉先生、「分かりやすい法律を作ろうという意識はなかった」くらいは自白してもらえませんかね。」
葉玉:自白というと、何か悪いことをしたような感じですが(笑)、まず「分かりやすい法律」の定義を浜辺教授にお聞きしたいと思います。それが、法律の知識も、会社の知識もない人でも、簡単に分かるという意味であるならば、会社法でそれを実現するのは、不可能です。
 また、浜辺教授は、立法プロセスとそれの持つ意味をより理解されるべきでしょう。
  私たちは、現代の法制執務に則って、法律を作らなければなりません。そこでは、主語述語を明確にしなければならない、他の条文との関係を明確にしなければならない、準用したら読み替え規定を置かなければならないなど旧商法が制定されたころとは比べものにならない細かいルールがあります。この細かいルールは、すべての法律に共通の「読み方」「解釈の仕方」を設定することで、法制度全般の明確性や理解しやすさを助けるためのものです。
  また、会社法が基本法であり、他の法律から多数準用されるということからくる制約もあります。会社法の表現が他の法律に影響を与える以上、会社法の表現自体を他の法律で準用しやすくする必要があります。
 さらに、会社法は、これまで特別法とされていたものを含めて、一本の法律にまとめあげるという難しさもありました。
 私たちは、そうした制約の中で「普通の法律」を作ることを目指したものであり、できるだけ分かりやすくする努力はしているつもりです。
  その結果、浜辺教授は「分かりにくい」と思ったのならば、それはそれで仕方がないです。いいわけをするようなことでも、謝ることでもありません。「分かりやすいと思え」と強制することはありません。浜辺教授には、分かりにくかった。それ以上でもそれ以下でもありません(できれば浜辺教授が、金商法や税法を分かりやすいと見るかどうかを聞かせていただきたいと思います)

浜辺教授「ブランドとは、他の銘柄と異なる明確な差別性があることとか、ある銘柄に対して社会や消費者が抱いている印象」であって、株式会社のブランドと、有限会社のブランドとがあったところ、「株式会社のブランド価値とは、最低資本金制度導入前から形作られてきた規制を受けている総体であって、もともと公開会社のイメージの「株式会社」ブランドです」と説明しておりました。葉玉先生のこの辺りの論理操作は正しくなく、結論として「旧商法の株式会社よりも会社法の株式会社の方がブランド価値が高いということになる」ことはなく、私の議論では、会社法の株式会社にはブランド価値がなくなったため、当然のことながら、旧商法の株式会社、有限会社よりもブランド価値が低くなったということになります。これを図式化すると、こうなります。」
葉玉:分かりました。ようするに区分立法をなくしたこと自体をブランド価値がなくなったと表現しているということですね。区分すること=ブランドならば、有限会社は、今も区分されているからブランドですから、確かに浜辺教授の論理には矛盾はありません。
  ただし、区分立法の考え方を尊重していること自体、私は、政策的に誤りであると思います。

浜辺教授「「会社法の位置づけ」について、「実際に、具体的な法的弱者の救済を行う制度は、刑法や各種消費者保護立法によって用意されています」と葉玉先生は主張します。しかし、それで本当に十分な状態になっている前提で言っているのでしょうか、また、会社法でやることが本当になかったのか、ということです。私は、会社法では会社の最低限度の健全性を確保するくらいのことや、不祥事が発生した場合に、いたずらに一般法理に頼るのではなく、会社法に、株式会社の健全性確保のための十分な具体的方策(まあ、これは内部統制が一部ある点は評価しています)やら、救済方法をビルトインしておくべきだったのではないかということです。」
葉玉:健全性の考え方自体に違いがあるので、救済措置の十分性についても意見の相違があるということでしょう。十分か不十分かは、最低資本金制度がなくなったことにより、どのような不都合が生じるかによって、今後、浜辺教授が正しいのか、私が正しいのかが自然とわかることでしょう。
 浜辺教授は、民間の行為に規制を及ぼすことが好きなようですが、私は、基本的には、嫌いです。また、今のところ、会社法による規制緩和によって、不都合が生じていることはないという自信があります。

浜辺教授:「「民法」は、一般法ですから、最後の砦で、まったく「弱者切捨て」ではなく、他の法律で救えなかったものをフォローするものですから、葉玉先生のこの辺の説明は、民法の位置づけも誤解させるような記載になっています。それを、まるで、私が誤解しているように書いているので、始末が悪い書き方で、これまたアンフェアな記載です。」
葉玉:アンフェアだと受け取られたとすれば、申し訳ありません。ところで、会社法は、民法以上に他の法律に準用されている基本法だということは、どのように評価されているのでしょうか。

浜辺教授「第二の的外れ」として、今回の規制緩和立法を「弱者切捨て」につなげている点だとして、いろいろと論じております。この点は、規制緩和が各種の弱者切り捨てをしている一般論を確認した上で、葉玉先生の理由付けを見てみましょう。「最低資本金制度の導入の前までは、35万円あれば会社が設立できていたわけですが、そのときは弱者切捨て状態だったのでしょうか?」この点についてはその時代は、格差社会でもなく、グローバル競争も今ほどではなかったのです。社会が構造的に変化して、弱者切り捨ての風潮を後押しする形になっているということです。」
葉玉:この部分は、浜辺先生の論理の最大の弱点です。格差社会やグローバル競争の中身をはっきりさせないまま、それを弱者切捨てと断定し、さらに、その風潮を会社法が後押ししているという論理は、申し訳ありませんが、私の理解を超えています。
 平成2年と現在で、どんな点に格差が生じているのか、グローバル化という点でどのように昔と違うのか、また、その差異が、現実に存在した最低資本金制度の廃止とどのような関係に立つか、を明確にされてください。
  私は、誰もが納得するような明確化は不可能であると確信しています。

浜辺教授「規制緩和前には、いまほど弱者と強者の格差が社会問題化するほどではない社会だったわけですから、「ダミー会社として、どんどん使われ、弱者切捨てがされていた」わけがありません。それに、「ダミー会社の問題」副次的な問題なのですが、論理的帰結として、ダミー会社を作るコストが安くなることは間違いないわけです。つまり、違法行為がするのが楽になるわけで、違法行為に手を貸すような話であるという側面があることを指摘しているのです。」
葉玉:すいませんが、格差社会とダミー会社による弱者切捨てとの関係が、どうしても分かりません。具体的には、どんな事象を念頭に置かれているのかを明らかにされてください。

浜辺教授「本来の資本金制度は「健全な企業」のために、事業計画と資金繰りなどをきちんと考えてこそ「会社」であって、個人商店とは区別すべきだというのが、一次的な議論です。」
葉玉:個人商店でも事業計画と資金繰りは考えるべきです。事業継続の問題を株式会社の問題に矮小化するのはおかしいと思います。

浜辺教授「最低資本金制度のために、株式会社や有限会社を作るのに苦労している」という現実はご存じのようですが、その場合に、きちんとした事業計画なり、成功しそうなビジネスであれば、出資者が現れたり、借金をしたりできるのです。それを「見せ金」で無理している人もいるわけで、そんな株式会社も本当に認めなければならないものですか?個人事業者ではだめなのでしょうか?とにかく「株式会社」にしないと、ビジネスできないというのであれば、それはむしろ、そういう資金くらい集めるべきだという要請があったからではないですか。」
葉玉:経営者以外の出資者がいるような株式会社が全体のどの程度あるかをご存知でしょうか。その割合が著しく少ないことを認識された上で、論じられなければ、理由として貧弱です。また、個人事業者では駄目かと問う前に、個人事業者と実質的にかわりないような株式会社が沢山あるという現実を見てください。
  浜辺教授は、そうした株式会社を個人事業者に戻せというのでしょうか?そうではありませんよね。
 そこが、議論の出発点です。
 個人事業者では駄目か、とういう問題提起ではなく、「株式会社では駄目か」という問題提起が行われるべきです。

浜辺教授「これからは、この辺りが、何だかワケが分からない世界になり、それこそ企業社会における秩序が分かりにくくなってしまうのです。過去の最低資本金規制の下で会社を設立した、まじめな経営者は、みな「苦労を強いる」最低資本金は悪い制度だったという評価なのでしょうか?また、「違法行為を誘発する」というのは、どういう違法行為を想定しているかが問題で、会社法のほうが、より大きな違法行為を誘発する構造になってはいないか、という趣旨のことは前に述べたので繰り返しません。」
葉玉:まじめな経営者に「最低資本金はどんな役に立っているのか」を聞いていただければ、ほとんどの人が、答えられないと思います。なお、違法行為とは「見せ金」のことであり、実際に代表者の借り入れによって出資金を調達した会社は沢山あります。なお、会社法は、より大きな違法行為を誘発する構造にはなっていません。

浜辺教授「とはいえ、「最低資本金制度の廃止」そのものだけを批判しているわけではなく、中小企業の実態だけでいえば、経営者とすれば「有限会社のみの最低資本金規制廃止」という選択肢もありえたはずで、ここで「弱者切捨て」とは、前の反論でも説明していた通り、その取引先、消費者など、会社と取引する「法的弱者」であって、「中小企業経営者が株式会社を手に入れやすくなった」ことは当然の前提にして論じているからで、読解不足か、故意の歪曲か定かではありませんが、ちょっと納得できない断じ方です。」
葉玉:この記述を見る限り、浜辺教授は、株式会社を実体以上に高く評価し、有限会社を必要以上に貶めすぎているような気がします。たとえば、資本金1000万円の株式会社と資本金10億円の有限会社は、浜辺理論では、どちらが信頼できる会社なのでしょうか。最低ラインだけで「ブランド」を決めるのがよい法制でしょうか?
 また、「株式会社」というブランドを信じて取引する取引先や消費者がどれだけいるのかどうか、よく分かりませんが、少なくとも、最低資本金制度というのは、そういう人を保護するための制度ではなかったと思います。

浜辺教授「「最低資本金制度」の意義は、これまで述べてきたところから明らかだと思います。別にこれが積極的に「弱者救済のため」に役に立たなくても、せめて健全な企業社会になる方向で考えて欲しかったということなのです。
つまり、現行法の最低資本金制度廃止は、
①有限会社と株式会社の区別がなくなり
②病理現象、弊害があった場合のフォローが会社法に乏しく、他の法律(
民法の一般法理などに丸投げ)、ない
③健全化を図る機能が弱まった
等の問題があったように思います。」
葉玉:これまで述べてきたとおり、浜辺教授のおっしゃる病理現象や弊害は、現実のものではありません。ゼロとはいいませんが、それで、最低資本金制度を維持しなければならないほどのものとは考えがたいです。

浜辺教授「立法担当者だったけれども、民間人になったのですから、もう少し正直に、自分に不利な事情も開示して、深い議論を展開してくれればとまで期待するのは無理ですかね。」
葉玉:私は、公務員か、民間人かにかかわらず、常に客観的に物事を議論しているつもりです。自分に不利な事情があれば開示するのはやぶさかではありませんが、有利不利は、どうだっていいことであり、真実かどうか、現実的な懸念なのかどうか、理論的かどうかが重要です。
  残念ながら、浜辺教授は、誤った事実認識をもとに批判されているように思います。また、浜辺教授の最大の問題点は、現実に実施されていた最低資本金制度の効用を高く評価しすぎている点にもあると思います。
  そのために、その廃止に伴うメリットとデメリットの利益考量が(少なくとも私にとっては)まったく説得力を持たないのです。
  さらに、株式会社と有限会社の区分について、昭和25年改正当時ならば、浜辺教授の考えも、「これから、がんばりましょう」ということで支持できたのかもしれませんが、平成17年会社法成立前の株式会社と有限会社の現状からすれば、そのような区分を維持する合理性はもはや失われたというほかありません。
  浜辺教授がより「深い議論」を展開していただければ、私はどこまでもついていく所存ですので、以上の反論を前提に、「なるほど。」と思うことを指摘をしていただければと思います。
 

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2007年12月22日 (土)

浜辺先生に対する再反論

うれしいことに「会社法はこれでいいのだ(1)」に対し
  浜辺陽一郎先生
が、反論してくださいました。
題して、「会社法は、やっぱりダメだこりゃ(1)」。
 当方は天才バカボン、浜辺先生はドリフの大爆笑というところが、なんとなく世代を感じさせますが、本当にありがとうございます。

では、さっそく反論に対する再反論といきましょう。

>浜辺先生 「相手方敵地に乗り込む「遠征」みたいなものになりますので、あんまり気持ちの良いものではありません。」
葉玉: お気持ちは、お察しいたします。もっとも、浜辺先生の書き込みを削除したり、変更したりすることはありませんので、その点はご安心ください。ブログ読者に双方の言い分を存分に見ていただき判断してもらいましょう。
 もちろん、浜辺先生が、私を、早稲田の授業に呼んでいただければ、喜んで、参上いたします。

>浜辺先生:(ダミー会社が)「増えていなければ良い」という話ではありません。私が指摘したかったのは、「そういう設立が可能になり、より容易になる」「だから皆さん、注意しましょう」と言いたかったのが一つ。」
葉玉: この点は、「株式会社のブランド価値」さんが、コメントで反対意見を述べられていますが、私も、「ダミー会社の設立が可能になり、より容易になる」という抽象的な危険性は、最低資本金を維持する理由にはなりえないと思います。最低資本金制度の維持がダミー会社の設立を抑制する具体的な効果がないのに、それを維持する必要はありません。

>浜辺先生「むしろ根本的に問題なのは、会社法全体を通して問題なのは、「多数派がよければそれで良し」という少数者、弱者切捨ての論理です。つまり、「そんなダミー会社が沢山できたら、問題だが、数が少なければいいじゃないか」という発想です。」
葉玉: この浜辺先生の反論は、論理的ではありません。私は、ダミー会社が違法な行為を行うのならば、たった1社であっても、1回の行為であっても、許されないと思いますし、また、「数が少なければいい」などとも思っていません。
 私は、その違法行為の抑止手段として、最低資本金制度を用いるのは間違っているといっているだけです。それは、最低資本金制度は、ダミー会社を抑止する実質的な効果はないからです。
 そもそも、浜辺先生の論理は、「会社の設立」という基礎的行為と、「会社を用いた違法行為」という具体的な行為を同列に取り扱っている点に難点があります。もし、本当に、会社を用いた違法行為を完全に0にしなければならないというのならば、「会社」という制度自体を否定する以外方法はありません。
 こういうと、おそらく「そんな極端なことは言っていない」と反論されるかもしれませんが、それはすなわち、浜辺先生は、会社によって「不都合な事態が起きたり、場合によっては不正がまかり通ったり、許されたり、野放しになったり、被害にあう人」は、出現することを一定数は許容しているということになります。要するに、浜辺先生と私の考え方は、程度の差でしかなく、質的な差はありません。
 
真に考えなければならないのは、そうした違法行為をどのような手段で抑止するかという点です。私は、最低資本金制度という効果のない制度で抑止するのはナンセンスであると思いますし、ダミー会社の問題は、会社法という枠組みだけではなく、刑法や警察行政との連携によって解決されるべき問題であると思います。

>浜辺先生:「「規制」は、具体的な効果を得られない限り、行うべきではない、との主張ですが、こんな方針でしか立法できないとなれば、社会的に必要な規制(とりわけ弱者保護とか、不公正の是正といった問題を克服するための政策課題)はいつまでたってもできないという弊害が生じるだろう」
葉玉: 現在、社会的に必要な弱者保護や不公正の是正などのための規制が沢山ありますが、どれも、具体的な効果があるという前提で立法されているはずです。
 実際に規制を実施してみて、具体的な効果が得られないものもあるでしょうが、具体的な効果が得られないことが明らかになれば、基本的には廃止するのが、(おおげさですが)憲法上の要請なのではないでしょうか。

>浜辺先生「かつての最低資本金制度が中途半端なものであったかどうかは難しい問題ですが、どんな規制もどこかで線引きする妥協が必要なことはあるわけで、それが経済社会の現実であったということは考慮する必要があるでしょう。」
葉玉: 立法に妥協が必要なのは、当然です。ただ、その論理を使えば、最低資本金制度そのものが、経済社会の現実にあわなかったため、今回の会社法改正で、これを維持したいという考え方をもつ人も、廃止について妥協せざるをえなかったというしかありません。

>浜辺先生「株式会社を名乗って、有限責任のメリットを享受するための基礎としてのあるべき姿として、何が必要なのかが明らかにされる必要はないのでしょうか。」
葉玉:この記述には、いくつかの問題があります。
 まず第一に、「有限責任のメリットを享受するための基礎」という考え方自体に違和感を覚えます。この考え方の基礎には、「会社は、出資者の道具に過ぎず、本来、出資者は、会社債権者に対しても、責任を負うべきだが、一定の基礎があった場合には、有限責任を認めてあげよう」という思想があるように思うのです。
 私は、会社は、法的な意味でも、実態としても、出資者とは切り離された存在であると思っています。出資者の責任が問題となるのは、主として
① 会社が適法な契約に基づいて負担した債務
② 会社の出資者が、会社の行為のひとつとして違法行為を行ったことによって生じた債務
の2つですが、②については、間接有限責任かどうかという問題ではなく、むしろ出資者が直接の不法行為者として責任を負う場面です。
 間接有限責任は、①の場合です。この場合、相手方は「会社」という法人と契約しているのですから、会社に対する権利を取得することは意思表示の内容となっていますが、その契約に名前もでてこないような背後の出資者の財産を当てにする意思は見受けられません。
 ですから、論理的には
 法人格を認めるということ=原則として、それ以外の者への責任追及はしないこと
なのです(このことは、合名会社と合資会社は母法では、組合と考えられていたのに、日本でうっかり法人として規定されたというエピソードからも読み取れるところです)。
その意味でいえば、「有限責任のメリットを享受するための基礎」というのは、「法人格を認めるための基礎」という以上の意味はあまりありません。

 もし、浜辺先生のおっしゃっているのが、「法人格を認めるための基礎」という意味であれば、それは、会社法そのものが強行法規であること、そして、取締役等の行為規制や責任、BSの公告、さらには、罰則を定めていることなど各種規制が存在していることが、その基礎となっています。これらの基礎を前提に株式会社とすることについては、株式会社と有限会社の一体化の議論の中で、法制審議会でも認められているところです。

第2に、「株式会社を名乗って・・」という部分について、反論いたします。
 浜辺先生は、「法令を遵守するのは大変であるし、株式会社を名乗りながら、現実に法令をクリアーしていない人々は後ろめたさもあったわけです。ところが、今回の会社法は、もう恥も外聞もなく、「どうだ、立派な株式会社だ。もう文句はないだろう」と誰でも言えるようになってしまって、「法人成り」を追認する立法でした。」と書かれていますが、この記述は、それ自体、あまり意味のない反論であると同時に、浜辺先生がブランド価値について「有限会社との間で逆転現象が生じて」いるという部分と論理的に整合していないと思います。

 旧商法の株式会社と、会社法の株式会社の主たる違いは、取締役1人でも株式会社と名乗れるようになったことや、配当制限について、いままでは1000万円の資本金がベースになっていたのが、純資産300万円というベースになったこと等です。
 このうち、配当制限は、法人成りを追認するという点とはあまり関係がないので、浜辺先生がおっしゃりたいのは、「旧商法の下では、取締役3人、監査役1人が必要で、登記はしているけど、実態としては、取締役1人しか経営にタッチしておらず、名前だけ借りているような状態でうしろめたさがあった。それを、会社法は、1人でも株式会社を適法に作れるようになり、恥も外聞もなく、立派な株式会社といえるようになった」ということなのでしょう。

 ところで、この法人成りの「株式会社」を追認することが本当に悪いことなのでしょうか?
 会社法成立前の時点ですら、日本の株式会社の99%以上は、実態としては、代表取締役が一人で切り盛りしているような会社だったと思います。このような立法事実がある場合に
① 株式会社というブランドを上場企業・大企業に限定し、弱者の株式会社に対する信頼を守るため、既存の99%の株式会社を有限会社にする法制度を採用する
② 実態に法制度を合わせる
のどちらかを選択するしかありません。もし法制度を改正せず放置するという選択肢をとれば、実質的違法状態(活動しない取締役や監査役がいる状態)を放置することになるからです。

 浜辺先生は「相対立する要請を、どのように調整をするのかが、本来、立法担当者が整理すべき作業であったのではなかったのではないのか。それをしないで、拙速にとりあえず何か壊して、何も残っていないじゃないか」と反論されていますが、株式会社と有限会社の一体化の問題は、法制審議会における最大のテーマのひとつとして活発に議論し、整理された問題です。
 浜辺先生は、「法的リテラシーの低い人」のことを考えよとおっしゃっていますが、今回の会社法の整理は、実態に法制度をあわせただけですから、法的リテラシーの高低にかかわらず、株式会社の内部者や株式会社と取引をする人を混乱させることはないと思います(そもそも、法的リテラシーの低い人が、取締役が3人以上であるとか、監査役がいることを重視して、株式会社と取引しているとは思えません。むしろ「株式会社」という認識すらなく、取引をしているのが実態なのではないでしょうか)。
 
また、浜辺先生は、ブランド価値について「有限会社との間での逆転現象」があるとおっしゃっていますが、ここでいうブランド価値は、浜辺先生がそれまで話題にしていた「規制によってもたらされるブランド価値」とは違っています。有限会社の方が、有限会社型株式会社よりも、基本的には規制が緩いので使いやすいという意味です。その意味では、有限会社にブランド価値がありますが、それならば、旧商法の株式会社よりも会社法の株式会社の方がブランド価値が高いということになるでしょう。

>浜辺先生「そうした悪い人間の餌食になる「法的弱者」が会社法の犠牲者となるわけですが、「お上の法律には間違いはない」という、(もちろん、そんなことは誤りなのですが)、現実にはそういうナイーブな考えの人たちも多いことを為政者は十分に踏まえて規制を構築していくことが必要だと思うのです。・・・そうした意味において、「そもそも、そのようなものを議論すること自体、意味がない」というのは、結局、エリート官僚による「弱者切り捨て」の横暴な論理にほかならない、というのが私の考えです。」
葉玉:レトリックとしては、面白いのですが、的外れな批判です。
 まず、浜辺先生が的を外している1点目は、会社法の位置づけです。
 会社法は、会社に関する基本法です。会社法だけで、会社を用いた違法行為を防止することができないのは当然ですし、実際に、具体的な法的弱者の救済を行う制度は、刑法や各種消費者保護立法によって用意されています。基本法で弱者救済をすべてまかなわなければならないというのならば、会社法ではなく、「民法」が一番「弱者切捨て」の横暴な法律ということになるでしょう。すべての法制度のバランスの中で会社法の果たす役割を考えた上で「弱者切捨て」なのかどうかを考えるべきです。そういう視点からみれば、会社法の改正においては、「ナイーブな考えの人たち」のことを配慮しながら作られています。
 
 浜辺先生の第二の的外れは、実効性のない最低資本金制度を廃止したり、取締役一人でも株式会社を設立するという実態を反映した立法をしたことを、「弱者切捨て」につなげているところです。
 最低資本金制度の導入の前までは、35万円あれば会社が設立できていたわけですが、そのときは弱者切捨て状態だったのでしょうか?
 昔から、有限会社という規制の緩い有限責任形態の会社も存在していたわけですが、それは、ダミー会社として、どんどん使われ、弱者切捨てがされていたのでしょうか?
 逆に、法的リテラシーの低い人は、「この会社は有限会社だから、だまされないようにしよう」と考えていたのでしょうか?
 
 どのテーマを切り取っても、私には、 NO という答えしか思い浮かびません。
 
 他方で、最低資本金制度のために、株式会社や有限会社を作るのに苦労し、見せ金で設立している会社も多数あるというのが現実です。そうした苦労を強いること、または、違法行為を誘発することを許容してまで守るべきものが、かつての最低資本金制度にはあったのでしょうか。私は、なかったと断言します。
 私には、浜辺先生が最低資本金制度の廃止を批判されること自体、中小企業の実態を見ない、弱者切捨ての論理にうつります。
 
 私は、最低資本金制度の廃止の悪影響について「そのようなものを議論すること自体、意味がない」とは、まったく思いませんし、実際に議論されてきました。しかし、法制審議会の議論やパブコメでも、多数の方が最低資本金制度の廃止を支持されていたという現実もあります。
 ですから、私は、むしろ、浜辺先生から「最低資本金制度は、こんなに意味があった。弱者救済のためにこんなに役にたっていた」という反論をお聞きしたいくらいです。
 議論は大いに行うべきであり、もし最低資本金制度に意味があるのならば、私も一市井人として、次の会社法改正のテーマに取り上げてもらえるよう陳情したいくらいです。
 ただ、今のところ、私には、平成2年の最低資本金制度は、百害あって一利なしの中途半端なものだったとしか、思えません。

 以上縷々再反論を試みましたが、次回は、浜辺先生の著書の別の部分について、批判をしたいと思います。
 浜辺先生は、お忙しいようですので、すぐに反論をしていただかなくても結構ですし、もちろん、私の言うことなど無視されてもかまわないのですが、お時間が許せば、また有益な議論をさせていただけたら、幸いです。

(質問コーナー)
Q1
森淳二朗・上村達男編「会社法における主要論点の評価」(日本経済社)などにおける上村達男教授の会社法に対するご批判にも反論なされることを期待しております。
投稿 rd | 2007年12月20日 (木) 05時30分
A1
もう2回ほど、浜辺先生の本について反論したいことがありますので、その後、読んでみます。

Q2
葉玉師匠、こんにちは。
「活躍した弁護士ランキング」へのランクイン、ホントにおめでとうございます。
師匠の熱気や活力(イキミ)をもらって、自分の仕事にも勉強にも「ハズミ」がつきます!
3年といわず、何10年でも是非続けてください。
いろんな先生方と、師匠との勝負の行方は・・・気になっております(笑)
投稿 至誠丸 | 2007年12月20日 (木) 11時15分
A2

ありがとうございます。もっとも、勝負をしているのではなく、議論をしているのですから、行方はよく分かりません。お互いの見解の弱点が分かれば、プラスと考えます。

Q3
一つ目は、葉玉先生が考えるローに入るまでにしておいた方がよい勉強はどのようなものでしょうか。要件事実を勉強すべきと漠然とした話は聞くのですが、具体的に何をすればよいのかうまく把握できなく困っています。
二つ目は、私は司法試験の受験経験が去年の一回のみで、加えてあまり勉強せずに受験しているので司法試験の勉強の仕方の知識の貯蔵がありません。
そこで、葉玉先生が考える新司法試験合格のための勉強方法・約二年間のタイムスケジュールを教えていただけないでしょうか。
以上二点、受験生へのお年玉代わりにでも答えていただければ幸いです。
長くなり申し訳ありません。
投稿 ブルー | 2007年12月21日 (金) 10時43分
A3
要件事実というのは、法律の要件となる事実という意味なので、民法などを普通に勉強すれば身につくはずですが、若干、技術的な側面があるため、要件事実第1巻とかを読んでみるのもひとつでしょう。
司法試験は実務家になるための試験ですから、その勉強の基本は、演習をして実際に答案を書くことです。また、択一試験の問題を解くことです。それが、試験のための勉強であると同時に、実務家としての能力を高めるための勉強でもあります(中教審の報告も、答練そのものが悪いのではなく、受験技術に焦点を合わせた指導がよくないと言っているだけです)。
 とにかく、自分の考え方を書くことによって整理するというのが法曹にもっとも必要とされる技術だと思います。

Q4
年明けから択一までの学習計画を見直すにあたり、時間配分について悩んでいます。憲民刑に重心を移しつつも、知識状態を保つため、また商訴から離れていないという安心感を持つため、商訴の記憶喚起の時間をあらかじめ組み込んでしまいたいのです。習熟度や毎日の学習時間等で違ってくるとは思いますが、商訴への時間配分について、スパンや一日に振り分ける割合等の目安がもしあれば、アドバイスを頂けませんでしょうか(ちなみに択一合格経験なし、一日10時間前後の学習時間です)。どうぞよろしくお願い致します。
投稿 つき | 2007年12月21日 (金) 13時53分
A4
今、択一の過去問を解いてみて、何点取れるかによって、違います。
あまり取れないならば、商訴は1日1時間ですね。
8割確実に取れるならば、3時間くらいかな。

Q5
権利株についての質問なのですが、発起設立の場合は、35条と52条2項で、払込によって引受人となる地位と、成立時に株主となる地位のそれぞれについて規定があるのですが、募集設立の場合には、63条2項の払込によって引受人となる地位についての規定しかないと思うのですが、これは募集設立については、払込後はその地位を譲渡してもよいという趣旨でしょうか?そうであれば、その理由を教えていただきたいと思います。
投稿 ロースクール生 | 2007年12月21日 (金) 14時40分
A5
頻出論点ですが、譲渡不可です。

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2007年12月19日 (水)

【御礼】日経弁護士ランキング3位

本日、日本経済新聞で
「2007年に活躍した弁護士ランキング」
が発表され、なんと
     3位
にランクインされておりました。

 このランキングは、弁護士へのアンケートと、企業の法務担当者などへのアンケートの集計でランクが決まるそうで、きら星のごとき先輩弁護士が並ぶ中、私のような新米弁護士にこれほど投票していただいたのは、「感激」の一語につきます。

 得票数を見ても、企業からの得票が18票と、中村直人先生に続く2位となっており、どう考えても、このブログを見ていただいている皆様の中に清き一票を入れていただいたとしか思えません。

 本当に、本当に、本当に、皆様ありがとうございました。

 ブログというコミュニケーションツールが、インターネットを超えたところで、人と人とのつながりをもたらすということをつくづく感じました。先々週のアルファブロガーアワードで1年はやめられないと思いましたが、この日経弁護士ランキング3位で、あと3年はやめられなくなりました。

 もちろん、今回の3位という結果は、実力以上の評価であることは自覚しております。
 自分自身、弁護士になって約8ヶ月間、慣れない環境、慣れない仕事の中で、がむしゃらに頑張ってきましたが、たくさんの心温かいクライアント様に恵まれ、また、直接お会いしていない方からも、こうしたアンケートでご支持をいただき、1年の疲れがすべて吹っ飛びました。
 これからも、がむしゃらさを忘れずに、皆様にお役に立てるように精進していきたいと思います。

(質問コーナー)
QA1(インラインでお答えします)
会社法弁護士:最低資本金は債権者保護に不十分だ!
ワーキングプア:欧州諸国のように最低資本金+最低資産維持(300万円ではなく最低資本金の1/2とか)もありますけど・・・・・・
会社法弁護士:外国がやっているからって、何でもまねするようなバカウヨ思想はやめよう。かつての商法改正で、最低資産維持を削って、資本金制度の内実を失ったという歴史をみよう。そもそも、欧州も最低資本金の引き下げに動いているし・・・

会社法弁護士:従来の最低資本金制度は無意味だ!
ワーキングプア:撤廃と充実のどちらが適切であるかを議論してください。ああ、ごめんなさい、バカウヨアメリカ会社法の資本金軽視の方向性しか、当局に選択肢がなかったのですよね・・・・・・・
会社法弁護士:資本金制度を充実させて、誰に何のメリットがあるかを議論してください。ああ、ごめんなさい、バカウヨアメリカ会社法の資本金軽視の方向性しか、当局に選択肢がなかったという妄想の世界でしか批判できなかったのですよね、ぷぷぷ。

会社法弁護士:破産配当率に差はない!
ワーキングプア:昭和50年代まで50%程度だったのが、最近は10%未満です。会社法と関係が薄いというよりも、原因が先にあって、最近の会社法改正はその影響を受けていると理解できます。
会社法弁護士:破産配当率が低いことは、会社法の議論の中では出ませんでしたが、どこかで影響を受けていたのかな?

会社法弁護士:1000万円ではダメで、1億円ならいい!
ワーキングプア:かなり実証的な根拠の乏しい議論ですよね。
会社法弁護士:では、1億円用意してみてください。

会社法弁護士:株式会社にブランド価値は不要だ!
ワーキングプア:ブランド価値の問題は、ビジネス弁護士間だけの矮小瑣末な議論です。会社の債務超過時点における、事業継続性(=雇用安定に多少は貢献)と債権者保護をどう考えるかを、ご検討願います。
会社法弁護士:そのとおりブランド価値の問題は矮小些末な議論です。ところで、資本金がどれだけ大きくても、債務超過時点になったら、資本金は関係ないですよね・・。それとも、資産維持義務を課すのですが。多くの株式会社は解散に追い込まれ、雇用は失われますね。労働者にとっては、配当率より、雇用の継続では?

投稿 間違いだったのは誰でしょうか? <- 私じゃなさそうです。

Q2
自分のブログで小ネタとして書こうと思っていたのですが、ちょうど良い機会ですので、質問させて下さい。
浜辺弁護士の本に、最近の法改正で資本金の減少が簡単にできるようになったため、大会社の法規制を免れようとして、資本減少を行う会社が出てきている、との問題提起があったと思います(82頁)。今後の立法論として、大会社の定義を資本金によってではなく他の基準(たとえば資産総額など)によって行うべきかと思いますが、いかがでしょうか?

投稿 大杉謙一 | 2007年12月18日 (火) 14時28分
A2
 配当制限だけを考えれば、資本金という概念は不要です。
 「資本金」制度を存続させているのは、極論すれば
 ①登録免許税
 ②会計監査人の義務付け
 ③指名競争入札等で資本金を基準に要件を課している実務
等にあると思います。
 誰かが、「会社法は、資本金を軽視しているのに、資本金を登記するのはおかしい」と言っていたような気がしますが、そもそも決算公告を見れば資本金が分かるのに、あえて登記させる意味は、登録免許税の基準となっていることがとてつもなく大きいです。
 また、資本金5億円という基準は、会計監査人を義務付ける基準として非常に明確で、そこを上げ下げするのは、政治的には大変難しい。
 ということで、大会社の定義を資本金によってではなく、他の基準によって行うことは、理論的には、ありえますが、実際上は、大変困難です。
 その困難を乗り切ってまで、あえて改正するほどの実が得られないと思います。
Q3
 定款変更についてお聞きしてよろしいでしょうか。
 会社法には、いくつか「変更後の定款に規定があるものとみなされる」規定があるかと思います。
(取締役会・監査役設置とか、監査役の権限限定とか)
 大々的に見直しをした場合は、こういった規定は盛り込むべきと思いますし、抜けていればそういった規定は削除したものと考えてよいと思います。
 が、定款のうちほんの一部だけ手直しをしたような場合(事業年度を変更するとか)に、こういったみなし規定を盛り込まなかった場合、今までみなされていた規定は一律削除されたものと考えられてしまうのでしょうか。
 くだらないことですが、ご教授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
投稿 うめKITTY | 2007年12月19日 (水) 14時09分
A3
 ちょっと具体例がないと分かりにくいですが、みなされていた規定は、積極的に削除しない限り、なくならないと思います。

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2007年12月18日 (火)

会社法はこれでいいのだ(1)

 会社法も施行から1年半を経て、実務もかなり落ち着いてきたように思います。

 法律を具体的な問題に適用する限り、疑問がなくなることはないので、このブログの質問コーナーには、あいかわらず沢山の質問が寄せられますが、会社の日常業務の範囲内での解釈問題は、ほぼ実務の運用が固まってきたかなという印象です。

 会社法は、旧商法と比べて、条文の構造や表現もかなり変わりましたし、一見、同じような条文でも、解釈が大きく変わったところもあります(たとえば、ストック・オプションの決議要件とか)。

 会社法の条文や会社法立案担当者が示した解釈についての批判や反対説もようやく文献として目にすることができるようになってきました。

 中には、単に「昔は良かった。」という非論理的で懐古趣味のみのものもありますし、論争するに値すると思われる鋭い考え方もあります。
 また、会社法の単純ミスを指摘してもらい、他の法律の改正のときの整備でちょこちょこ修正することができ、助かったものもあります。法律的には等価であると思って改正したが、他の法律のことを考えると、等価ではなかったという面を指摘していただいたこともあります。

 私は、自分の考え方を批判されるのが大好きであり、批判してくれた方に対しては反論して、活発な議論を通じて、問題点を克服していくプロセスに大きな喜びを感じます。
 また、会社法の成立を機会に、従来「常識」とされ根拠なく信じられていた論点を含めて、もう一度の解釈論の構築がされることを大いに期待しています。

 そういう期待を込めて、今日は
 浜辺陽一郎教授の
 「会社法はこれでいいのか」(平凡社新書)
という本をご紹介したいと思います。

 この本の中には、沢山の会社法や立案担当者に対する批判が書かれていますが、これから、そのいくつかについて、反論を試みようと思います。

 題して「会社法は、これでいいのだ」。

 今日は、「地に落ちる株式会社のブランド価値」論の正当性を検証します。

 この本の中で、浜辺教授は、
①会社法において最低資本金規制がなくなっり、非常に気軽で浅はかな考えで、十分な財産的裏付けも計画性もないまま会社が設立されるようになる
②ダミーの会社が設立しやすくなり、それが犯罪や執行妨害に利用されるような恐れも高まる
③これまで株式会社には規制があったゆえに、株式会社にブランド価値があったが、これからは株式会社といっても、それを裏付けるブランド価値は会社法からは導かれない
という主張をされています。

 これは、本当でしょうか。

 私は、間違いであると思います。

 浜辺教授が前提としている「最低資本金制度」は平成2年商法改正で導入され、それが完全に実施されていたのは、平成8年から、新事業創出促進法が改正される平成15年までの約7年間しかありません。

 たとえば、昭和56年改正商法のもとでは、7人の発起人が5万円ずつ出資すれば、会社が設立できていたわけですが、その時代に「十分な財産的裏付けも計画性もないまま会社が設立」されていたのでしょうか。ダミー会社が沢山設立されていたのでしょうか。

 逆に最低資本金制度が採用された後に、そうした会社が設立されていなかったのでしょうか。そのようなダミー会社を作る意思がある人は、見せ金をすることにより、会社を設立するため、最低資本金制度はあまり役に立たなかったのではないでしょうか。

 さらに、会社法が成立した後、そのようなダミー会社が増えたのでしょうか。

 おそらく、どれも実証的な研究がされていないため、浜辺教授も私も正確に答えをもっていないというのが現実ではないでしょうか。

 たとえば、会社の倒産件数は、平成2年時点と比べると、むしろ、それ以降の方が増加し、最低資本金制度を完全に導入した平成8年移行は、飛躍的に倒産が増えています。当然のことながら、倒産と最低資本金制度は無関係です。
 また、最低資本金制度の導入により、破産時の配当率が高まったということもありません。

 私は、最低資本金制度を導入するのならば、最低1億円以上の出資金で、見せ金をできない厳密な手続きを用意するとともに、資本の欠損が3年以上続いた場合には、解散もしくは別の会社類型(たとえば、有限会社とか)にする等の措置を講じるべきだと思います。個人が、3000万円くらいまでは借りられても、1億円も借りるのは、なかなか難しいですから、1億円にすれば、設立時にスクリーニングができます。また、最低資本金というからには、設立時にハードルを設けるだけではなく、それを維持してこそ、意味があるはずです。

 これに対し、300万円とか1000万円とかいう金額の最低資本金制度(しかも、資本の欠損が生じても、解散はさせない)というのは、ハードルとして低すぎて、見せ金によるハードル超えを誘発するだけであり、効果がほとんどないにもかかわらず、理念だけが先走った制度であったと言われても仕方がないと思います。

 最低資本金制度の撤廃により、資本金を0円とすることが可能になったことについて、「出資をしたのに、0円というのは理論的におかしい。出資をした以上、必ず出資の足跡が残るはずだ」という趣旨の批判もありますが、旧商法のもとでも、株式の数を減らさないまま減資をすることは認められていましたから、資本金を永続する「出資の足跡」と考えること自体、おかしいわけであり、的外れな批判です。

 「規制」は、具体的な効果を得られない限り、行うべきではありません。平成2年当時の立案担当者は、政治的な調整が必要であったため、当初の目標とかなり違ったものになってしまったと反論するかもしれませんが、政治的な妥協で中途半端で効果のない(少なくとも実証されない)規制になったのならば、本来、その規制を設けるべきではありません。

 「これだけ議論し、努力してきたのだから、今更止められない」「俺は、俺の理想である株式会社制度を作りたい」という気持ちは分からないではないもの、それが中小企業にとってどれだけ負担になるのかを考えれば、最低資本金制度の導入を見送る勇気をもつべきでした。

しかし、その勇気無く、中途半端な最低資本金制度ができたそのため、結局は、最低資本金制度は、会社法で撤廃されてしまいました。

以上のように、私は、従来の「最低資本金制度」には、設立のハードルを中途半端に上げるだけで、実際上の効果はなく、撤廃して当然であると思いますし、その撤廃による悪影響などないと考えます。

また、会社法によって「株式会社のブランド価値」が下がるという点もおかしいです。

 ブランド価値という以上、世間の人が「株式会社」「有限会社」についてどのようなイメージを持つかということだと思います。

浜辺教授が、旧商法時代にあった株式会社のブランド価値を高めていたという「規制」が何かは、明示されていませんが、それが最低資本金制度だとするならば、それは明らかにおかしいでしょう。株式会社のブランド価値は、最低資本金制度導入前から形作られてきたものです。

また、その規制が「取締役会の設置義務」だというのなら、それもおかしい。有限会社は、法律上、取締役会を設置することはできませんでしたが、定款の中には、取締役会をうたっているところも多く、また、一般人は、そのような違いがあることすら、知らないことが多く、その点でブランド価値に違いが生じたとはいえません。

私は、「株式会社というブランド」は、上場企業や大企業が株式会社であるという事実によって成り立っているだけであり、法制度がどのようなものかは、大して影響を与えないと思います。もし法制度によるブランド化を図りたいならば、それに見合う高い設立及び維持のハードルを設けなければ意味がないのです。

他方、私は、そもそも、株式会社をブランド化すること自体には、何の法的意味も見いだせません。上場企業だって倒産するし、株主を害するようなことをやる会社もあります。中小企業だってコンプライアンスのしっかりした安定的企業もあります。会社の大小、まして、資本金の大小によって、ブランド化しようとする法制は、国民に誤ったラッテルを示す「偽装表示」みたいなものです。

結局、「株式会社のブランド価値」が会社法によって落ちるとは思わないとは思いませんし、そもそも、そのようなものを議論すること自体、意味がないというのが私の考えです。

今日のところは、この辺にして続きは次回に。

(質問コーナー)
Q1
いつも楽しく拝見しています。組織再編の債権者保護手続において異議の申出があった場合の債権者を害するおそれがないときとはいかなる判断基準によるのかご教示ください。
投稿 企業戦士 | 2007年12月 1日 (土) 11時41分
A1
判断基準というのは、特にないと思います。すべての債権者に支払いをすることができるならば、害するおそれはないということになります。

Q2
三角合併の際の1株に満たない端数の処理について質問です。
234条では、「次の各号に掲げる行為に際して当該各号に定める者に当該株式会社の株式を交付する場合において、・・・」とされていますが、三角合併の場合は当該株式会社の親会社の株式を交付することから、234条に定める端数に応じて金銭を交付する処理はできないのでしょうか。
ご教示ください。
投稿 凸凹 | 2007年12月 1日 (土) 23時38分
A2
234条によっては、できませんが、三角合併契約における対価の内容として、端数についての処理を定めることはできるでしょう。

Q3
いわゆる人的分割(758条8号等)を行う場合,分割会社側で簡易分割の要件を充たす場合は,分割会社の株主総会の承認を省略することができるのでしょうか。改正前商法は物的分割の場合にだけ,分割会社側で簡易が許されたように理解しております。
投稿 悩める49歳 | 2007年12月 2日 (日) 11時30分
A3
簡易分割の要件を満たせば、できます。

Q4
業務執行取締役について質問させてください
会社法363条1項2号の「代表取締役以外の取締役であって、取締役会の決議によって取締役会設置会社の業務を執行する取締役として選定されたもの」は代表行為はできるのですか?
ここに述べられている業務執行行為の範囲が対内的なものに限られているのか対外的なものを含んでいるのかがわからないのですが…
ご教示ください
投稿 かいけいし受験生 | 2007年12月 2日 (日) 23時39分
A4
代表権がなければ、代表行為はできません。
業務執行と代表は、次元の異なる概念です。

Q5
会社法100問297頁の,「議題提出権等の継続保有要件は,いつまで充足していなければならないか」という論点に関する記述についての質問です。
297頁の記載には,「議題提出権は議決権行使のための権利であり,基準日後に株式を売却しても議決権を失うことはないから,株主総会終結時まで保有を強制するのは合理的ではない」とあります。しかし,会社法124条4項は基準日後の売却であっても,譲渡人が承諾している場合には適用される以上,「基準日後に株式を売却しても『譲渡人が承諾をしない限り』議決権を失うことはない(124条4項ただし書参照)」と記載するのが正確ではないでしょうか?
投稿 春夏秋冬 | 2007年12月 3日 (月) 11時10分
A5
単に譲渡人承諾するだけではなく、会社も議決権行使を認めなければならないので、本当に正確に書こうすると面倒くさいですね。

Q6
基準日後・総会前に株式を取得した株主の買取請求について、
ご教示願います。
2007年12月1日 A3
> 合併承認総会の基準日の時点では、適時開示がされているはずで、
> 合併承認がされる可能性があることを知って買った株主に、買取
> 保証をしてあげる必要性はないと思いますので、基準日後の買取
> 請求権の行使については、私は、反対です。

形式的には785条2項1号ロに該当するかと思うのですが、
請求権行使を認めない法律構成はどうお考えでしょうか?

権利濫用とするか、同号の「株主」を基準日現在の株主と解釈するか、
などと考えてみたのですが…。

それから、基準日株主が、基準日後にさらに買い増した場合、
同じ理屈で買い増し部分について買取請求権を認めるべきではない、
と考えてよいのでしょうか?
投稿 msm | 2007年12月 3日 (月) 13時45分
A6
「議決権を行使することができない株主」の解釈問題だと思います。
総会を開催する場合の基準日は、単に議決権の基準日ではなく、株式買取請求権の基準日と解釈すれば、基準日後の株主が、権利を行使することをできないことは説明することができます。
逆に、簡易合併等のように総会を開催しない場合には、基準日が設定されませんので、効力発生日の前日の株主ならば誰でも行使することができます。

Q7
会社法第176条の相続人等に対する売渡しの請求について質問があります。
当該請求の効力発生について、会社法第126条は適用されますでしょうか。126条は、到達主義(民法第97条)の実質的な例外として株主に対する通知・催告といった準法律行為に適用されるものかと思いますが、相続人等に対する売渡しの請求についても適用されるものでしょうか。
また、相続人等は、あくまでも株主ではないということで、直接適用はないとしても、類推適用がなされ、会社法第126条が規定される、若しくは、発信主義がとられると考えられるのでしょうか。
私としては、規定上、明確に発信主義がとられる旨規定されていない以上は、126条の適用、類推適用、発信主義の適用はないと考えております。
投稿 やすーーん | 2007年12月 3日 (月) 17時59分
A7
相続人は、名義書換をすることなく、株主であることを会社に対抗することができます。その反面で、会社から相続人である株主に通知する場合には、126条が適用されます。

Q8
『新・会社法100問』4問目の出資の履行確保のための制度について質問です。
100問では,出資の履行確保を会社債権者保護のためではなく,会社の事業活動と社員間の公正な利益分配の前提となっているという視点を打ち出しておられます。
しかし,設立時における出資の履行の確保について,直接責任を負う場合には,「会社の債権者は,直接社員にその責任を追及すればよいのだから,出資の履行時期は社員や会社の判断に委ねられている。」とされており,なぜか会社債権者保護の視点が導入されており,代わりに社員間の利益分配の前提という視点が欠落しているように思います。
また,間接責任にいたっては,会社の事業活動と社員間の公正な利益分配の前提という視点とはまったく異なった観点から(株式会社の制度設計という視点から?)説明されているような気がします。
会社の事業活動と社員間の公正な利益分配の前提となっているという視点から一貫した説明をすると,どのような説明になるのでしょうか?
特に後者の視点については,具体的なイメージがまったくわきません。それなのに,具体的な解釈にいかされているわけではないので,非常に混乱してしまいます。ご説明を加えていただけませんでしょうか。
投稿 ame | 2007年12月 4日 (火) 08時39分
A8
 会社債権者にとっては、有限責任か、無限責任かは、大きな違いですが、直接責任か、間接責任かは、大した問題ではありません。
 出資の履行というのは、間接責任を実現するための正当化要素であるという点では、社員の責任と関係していますが(これは、株式会社でも合同会社でも同じです)、会社債権者の保護を強化するという意味はありません。
 詳しくは、また機会を改めてお話ししますが、とりあえず、そういう目で読んでください。

Q9
募集株式の発行を第三者割当でする場合、無償で発行するということは可能なのでしょうか。また、株式無償割当において、特定の株主にのみ割当てるというのは可能なのでしょうか。種類株式発行会社の場合とそうでない場合について教えて頂けるとありがたく存じます。
投稿 guavatea | 2007年12月 4日 (火) 09時41分
A9
無償の第三者発行はできません。
株式無償割当も、特定の株主にのみ割り当てることはできません。
特定の種類株式の株主にのみ割り当てることはできます。

Q10
100問のComprehension Test Q1116において、事業の全部譲受けの場合には、合併手続の潜脱防止のため、株主総会の決議及び株式買取請求権の保障が必要とされている、とありますが、他方で、事業の一部の譲受けの場合には、分割手続の潜脱防止のための手続は設けられていないようです。
これはなぜなのでしょうか?
神田先生曰く「会社法が事業の譲受けについては、譲渡の場合と異なり、全部の場合だけを規定し重要な一部の場合を規定していないのは不均衡であるが、むしろ立法論としては、主要諸外国と同様に、事業の譲受けについては総会決議は不要とすべきであろう。」とのことですが、私も、素人考えに、合併手続の潜脱防止というのなら分割手続の潜脱防止も考えるべき(=事業の重要な一部の譲受けの場合にも総会決議を必要とすべき)だし、事業譲受けと吸収分割の差異をいうのなら事業譲受けと吸収合併の差異もいえる(=事業の譲受けについて全面的に総会決議を不要とすべき)ように思います。
何か事業の全部を譲り受ける場合と一部を譲り受ける場合で、異なる規制はありましたでしょうか?
投稿 会社法勉強中 | 2007年12月 4日 (火) 11時37分
A10
 事業の全部の譲り受けに、総会決議を要求していること自体がおかしいのですが、伝統というのも侮れない力を持っていると言うことです。

Q11
新株発行差止請求に関して質問させてください。
募集株式の発行に際し、一部の株主に対する招集通知を欠いた株主総会による決議を経ていた場合、差止請求訴訟の前に(あるいは同時に)831条1項1号の株主総会決議取消しの訴えを提起する必要はあるのでしょうか?
それとも、かかる招集手続違反自体が210条1号の法令違反にあたるとして、差止請求だけで足りるのでしょうか?
投稿 taro | 2007年12月 4日 (火) 18時08分
A11
 決議取消しの訴えを提起しなくても、差し止めの仮処分を申し立てることはできます。

Q12
新・会社法100問(第2版)の13.預合いについて質問させてください。
この部分を読めば読むほど、なるほど、預合いについては有効説しかないな、という気になってきます。94条2項によって第三者を保護する法律構成も納得です。質問というのは、この94条2項についてなのですが、①「善意の第三者(他の発起人、会社、当該預金債権を差し押さえた善意の債権者等)との関係では」とありますが、他の発起人、会社についても、善意の第三者足りうるのでしょうか。
確かに、ある発起人が勝手に約束をして、他の発起人が迷惑をこうむるということは考えうると思いますが、差押債権者のように、請求権行使場面が想定できません。
 まず、会社は預金債権を有しますので、それを直接行使するということが当然に考えられますが、当該会社の債権を行使するのに、「第三者」足りうるのでしょうか?(民法の議論では、代理人が虚偽表示をした場合、本人は「第三者」足りえないとされていると思います。)
 また、他の発起人が行使するとすると、代表者として会社の債権を行使することになると思うのですが、この代表者が「第三者」足りうるのでしょうか?(民法上、代理人は「第三者」足りえないと思います。)
 また、②94条2項適用という法律構成を用いた場合、基本的に債権者は保護されると考えていいでしょうか?
 100問では、会社債権者が当該預金債権を行使することは困難、というような記述が散見されますが、基本的に会社債権者は虚偽の附款について善意であることを考えると、主張・立証の面でそれほど困難ではないように思うのですが。
投稿 旧司法試験受験生の生き残り | 2007年12月 6日 (木) 15時41分
A12
 会社債権者が、会社の債権を差し押さえた場合には、第三者に該当すると思います。

Q13
反対株主に対する通知についてお聞きしたいのですが、会社法第785条第3項及び797条第3項において「その株主」とありますが、これは反対株主を指すのでしょうか?例えば、合併の承認の株主総会があり、この株主総会において反対した株主が存在しない場合(議決権を行使できない株主はいない場合)においても総会後、効力発生日の20前までに株主に全員に対して通知を送る必要があるのでしょうか?
投稿 サブマリン | 2007年12月 7日 (金) 15時07分
A13
 反対株主ではなく、全株主です。確かに反対株主が存在しない場合には無駄なようにも思いますが、法律上、例外が置かれていないので、通知はせざるをえません。

Q14
合併についての株券提供公告について質問です。
219条では合併の際に株券提供公告をしなければならない旨規定されていますが,これは消滅会社が存続会社の完全子会社でもしなければならないのでしょうか?
なんだかとても無意味な公告をしなければいけないような気がします・・・
通知で足りると思うのですが,かかる公告は必要でしょうか?
また,仮に公告するとして,この公告は債権者保護手続の公告と同時に行うのはアリでしょうか?
投稿 匿名な人 | 2007年12月 7日 (金) 17時20分
A14
株券発行会社である以上、株券提供公告はやむをえないですね。
公告を兼ねることは可能でしょう。

Q15
会計監査人の解任請求が株主提案権の行使によりなされた場合についてお伺いします。
通常、取締役が会計監査人の解任請求をした場合は、監査役の同意を得ることが必要ですが(会社法334条1項2号)、株主提案権の行使(303条1項)によりなされた場合にも、やはり監査役の同意がなければ解任を株主総会の目的とすることはできないのでしょうか。334条1項2号の趣旨が取締役から監査部門の独立性を守ることであるとすれば、株主提案による場合には監査役の同意は必要ないとも思えますが、条文の文言上からは、やはり同意が必要であるようにも思えます。
この点について判断がつかず、株主提案権の行使による会計監査人の解任請求を株主総会招集通知に記載すべきか迷っています。ご教示いただければ幸いです。
投稿 rm | 2007年12月 7日 (金) 17時28分
A15
 あまり考えたことのない問題ですが、議題にせざるをえないのではないでしょうか。

Q16
「違法な剰余金配当の効力」の有効説に対する批判について質問します。
有効説に対する弥永先生の批判として、
「自己株式の取得が有効であるとすれば、譲渡人である株主が会社に対して株式の交付を請求する自然な法的構成が考えにくくなり問題が残る」とあります。
この意味が全く理解できません。どういうシチュエーションが想定されているのでしょうか?
 あと、葉玉先生の「会社法100」問を問題集として学習しているのですが、
たちかえる基本書としては、どれが、一番使いやすいのかをご教示ください。
投稿 新司受験生 | 2007年12月 9日 (日) 14時10分
A16
 株主が会社に対して代金相当額を返還した場合に、株式を返してもらう根拠があるかということでしょう。私は、代位という自然な法的構成があると思いますが。
 基本書は、なんでもよいのではないでしょうか。

Q17
さて,会社法上の仮処分の実効性について質問させていただきたく思います。

会社法上の差止請求権として,①取締役の違法行為差止請求権(360条)と②新株発行差止請求権(210条)等があります。この差止仮処分違反の行為の効力として,②については,最高裁平成5年12月16日判決が無効説をとることを明らかにし,実務的にも無効説が確立したものとされているようです。
<Question1>では,①取締役の違法行為差止仮処分違反の行為の効力についても,②と同様,仮処分の実効性を図るために無効と考えられているのでしょうか?

ある文献では,①については,民事保全法58条1項が不動産の登記請求権保全のための処分禁止の仮処分つき,当該仮処分の登記がなされた場合に限って,これに抵触する限度で後になされた行為は債権者に対抗することができないとしていること等から,不作為を命じる仮処分について登記等による公示がなされない限り,原則として第三者には対抗することができないものとしています。(同文献では,②については,最高裁の無効説を承認しています。)

しかし,②について無効説をとるのであれば,①についても無効説をとるのが素直かと思いますが,
<Question2>両者で,制度上,扱いを異にしてよい合理的差異というものは存在しますか?
投稿 めんも | 2007年12月 9日 (日) 22時10分
A17
① 取締役の違法行為差し止め仮処分に違反しても、その行為は、有効です。100問にも記載があります。

② 名宛人が違います。取締役を名宛人としていうのに、会社の行為を無効にするのは困難です。

Q18
設立中の会社の権利能力を認めるのに民訴29条を適用する理論に関して先生の肯否とご意見あればお伺いしたいと思います。
抽象的ですが宜しくお願いします。
投稿 七誌のゼミ生 | 2007年12月11日 (火) 14時44分
A18
設立中の会社には、権利能力はありません。これは、明らかです。

Q19
剰余金分配請求についての質問です。
仮に、出資にあたって剰余金分配を望まない者がいるとします。この場合、この意向を反映させる手段として属人的種類株式(会社法109条2項)が考えらると思いますが、会社法108条1項1号の種類株式としても発行は可能なのでしょうか?通常、教科書などで同条同号で発行することができる例として、優先株又は劣後株が挙げられているのですが、無配当株についての記述を見たことがありません。しかし、会社法105条2項も踏まえ考えれば、条文上は可能だと思うのですが、間違いでしょうか?
投稿 受験生です。 | 2007年12月11日 (火) 21時30分
A19
無配当株式も設計可能です。

Q20
役員退職慰労金についてのご質問です。
解散決議をおこない清算業務中の会社において、株主総会で決議をすれば、元取締役の役員退職慰労金の名目で支払いは可能でしょうか?
またその法的根拠は、会社法361条(取締役の報酬等)482条ということになるのでしょうか。
解散決議の際に、退職慰労金に関する決議をするのが普通という話を社内の関連部署から聞いたので、お伺いする次第です。
投稿 ちょろまつ | 2007年12月11日 (火) 23時55分
A20
可能でしょう。

Q21
私は来年からロースクールの既習に進学する予定なのですが、現状のレベルからして、三振のリスクを考えても、来年旧試験にチャレンジする価値は高いのではないかと考えています。
来年から合格者200人と減少する旧試験に挑むことは無謀でしょうか?それともリスクをとっても挑む価値のあるものでしょうか?
葉玉先生の意見を聞かせてください。
投稿 ヨムヨム君 | 2007年12月12日 (水) 00時54分
A21
 200人も通るなら、受けていいんじゃないでしょうか。

Q22
新株予約権の取得条項について質問させてください。
たとえば「退職したときは無償で新株予約権を取得することができる」との取得条項がある場合、これは236条1項7号のイ・ロのどちらの定めとみるべきでしょうか?
会社法の施行に伴い、「消却できる」という消却事由を「取得できる」という取得事由に引き直して登記がされている例が多く見られますが、このような「取得できる」という定めは会社法が予定している取得事由の定め方ではないように思います。
そのため、このような「できる」条項については、会社法の規定に則して、その性質を決定する作業が必要になると考えます。
私見では、「できる」条項は、236条1項7号ロ(及び規定振りによってはハ)の定めをしたものと解すべきであり、これに基づく取得は、273条の規定に従って行うことになると考えますが、いかがでしょうか?
旧法では、消却には常に取締役会の決議が必要であったわけですから、これを「取得できる」と引きなおした場合でも、取締役会の決議がなければ取得できないと解するのが自然であると考えますし、仮に「できる」条項が236条1項7号イの定めと解すると、取得事由が生じた場合には自動的に取得されることとなり、多くの場合、そのような条項を設けた会社の意思に反するような気がします。
なお、以上のことは、会社法施行後に発行された新株予約権に「できる」条項が付されている場合にも同様に妥当すると考えますが、いかがでしょうか?
投稿 water | 2007年12月12日 (水) 13時19分
A22
解釈問題ですが、そのような解釈でいいと思います。

Q23

会社法100問(第2版)、61問について質問があり、メールさせていただきました。
61問目347p小問(1)1販売行為の差し止めについて(一)で、
解答例では、「委任契約の内容として、取締役は競業避止義務を負っており、取締役がこの義務に違反する場合には、会社に損害が発生するおそれがあるか否かにかかわらず、会社は、当該委任契約上の義務の履行として当該取締役に対して、競業行為の差止を求めることができる。」とされています。
そこで、質問なのですが、
①この場合に会社を代表して差し止めを求めることができるのは、誰なのでしょうか。この場合も、386条、408条と同じく(353条・364条については省略します)、監査役設置会社は、監査役、委員会設置会社は監査委員、それ以外の会社は代表取締役(353条・364条については省略します)なのでしょうか?
②仮に、386条、408条と同じだとした場合に、たとえば、監査役が、競業行為の差止を求める場合(385条)との関係は、どうなるのでしょうか?
③①に関連しますが、ここにいう「それ以外の会社」は、委員会設置会社でない取締役会で、かつ、公開会社でない会計参与設置会社だけではないでしょうか?理由は、解答例が、取締役会設置会社であることを前提にかかれていること、327条2項です。
④③に関連しますが、この問題は、「株式会社A」としか書かれていないので、厳密に言えば、解答例のように取締役会設置会社に限定せず、非取締役会設置会社の場合についても、考えたほうがよいのでしょうか?
以上よろしくお願いします。
投稿 ロー生、T。 | 2007年12月14日 (金) 12時22分
A23
① 監査役等でしょう。
② 385条は、どんな法律に違反する場合も含む一般的規定です。委任契約に基づくものは、委任契約で定めたものだけです。
③④ そうですね。

Q24
譲渡制限のついた株式の譲渡担保設定の効力について質問させてください。
譲渡制限株式を譲渡担保に供する場合も取締役会の承認を要するのか,という論点について,従来は不要説が有力であったようです。これに対し,最判昭和48年6月14日は,譲渡担保設定は株式の譲渡にあたると解すべきとしています。

株券発行会社においては,会社の承認を得なくても第三者対抗要件を具備できるわけですから,譲渡担保を実行するまでは会社の承認を得る必要はない以上,譲渡担保設定を株式の譲渡にあたると解しても当事者間の目的は達成できたのだと思います。

しかし,会社法下の株券不発行会社においては,名義書換え及びその前提として会社の承認を得なければ,第三者対抗要件も具備することができません。
そうだとすると,譲渡担保を設定しても,その後第三者に譲渡され会社の承認がなされた場合には,譲渡担保権者は譲渡担保を設定した意味がなくなるため,目的を達成しえなくなると思います(損害賠償請求権は,担保権を実行するにいたった譲渡担保権設定者との関係においては無力)。

とすると,会社法下では,株式の譲渡担保はどのように行われることが想定されているのでしょうか。
譲渡担保に際して設定者に会社の承認を得ることを要求しているのでしょうか。
それとも,譲渡担保自体が廃れてしまったのでしょうか。
それとも,何か理解に誤りがあるのでしょうか。
投稿 旧司法試験受験生 | 2007年12月14日 (金) 12時56分
A24
 会社法というより、株券不発行会社における譲渡担保ということですよね。
 その場合は、登録譲渡担保でなければ、第三者に対抗できないので、事実上、譲渡担保は使いにくいでしょう。また、会社側が「譲渡担保」であると言われたからといって、承諾なしに名義書換に応じることはできません。議決権を行使することができるようになるので。結局、「譲渡担保に承諾は不要」という結論自体は、あまり意味がないのです。

Q25
百問の第29問で,847条で株主に継続保有要件を課しているのは,事後株付け防止の観点からと説明されていますが,株主代表訴訟は,行為時に株主でなくても提起されていると解されており(最高裁平成5年9月9日第一小法廷判決参照),また株主総会決議取消の訴えのように期間制限もないため,6か月の継続保有要件を課したところで,6か月経過後に訴えを提起すればよいため,実際に事後株付け防止策になっていないのではないでしょうか。
それとも,無策よりはまし,という感覚なのでしょうか。
投稿 旧司法試験受験生 | 2007年12月14日 (金) 17時28分
A25
無策よりはましで。

Q26
妻子持ち社会人旧試験受験生です。
合併と名板貸しのあいのこのような事例で質問させてください。
吸収合併後(登記後)、引き続き消滅会社の名前で行われた行為について、取引の相手方は存続会社に対し責任を問うことができるのでしょうか?できるとしてその法律構成をどのように整理すべきでしょうか?
それとも、合併登記後は、消滅した会社の名称を使用してなされた取引自体が7条に反し無効となるのでしょうか?
例、A社がB社に吸収合併された後、①消滅会社A社の代取甲が引続きA社代取甲としてC社に注文を出していた場合、存続会社B社はその代金支払債務を否認できるか。
②合併前のA社の債務の代金を、C社がA社代取甲名義の銀行口座に対して支払った場合、B社はその弁済を否認することができるか。

①Bが商品を受領していれば、甲に旧商号の使用を許諾していたと看做し、会社法9条を類推して、自己の(吸収した旧会社Aの)商号を使用して事業を行うことを甲に許諾したBは、自己と誤認して取引した相手方C社に対し、甲と連帯して債務を弁済する責任を負うと解して宜しいでしょうか?
Bが商品を受領していなければ、民法113条の無権代理としてBの追認がない限り無効と解すべきでしょうか?
②の場合については、合併の効果としてAの預金口座は全てBに当然承継されている(会社法2条)はずなので、BはCの弁済を否認することはできないと解して宜しいでしょうか?
以上、机上の空論のようなレベルの低い質問で恐縮ですが、ご教示いただけますようお願い申し上げます。
投稿 おとうちゃん | 2007年12月15日 (土) 00時22分
A26
①「A社」という表示がB社のために行うことを示しているのならば、単なる無権代表の問題です。B社が商品を受領すれば、追認でしょう。
 「A社」という表示が消滅したA社のため、ということを示しているのならば、B社は責任を負わないでしょう。A社の消滅を対抗できますし。
② そうでしょう。

Q27
受賞おめでとうございます。と素直に言いたいのですが、入門編(100問の解説)の更新もお願いできませんでしょうか。11月5日以降ストップしていると思います。お忙しくて出来ないようであればその旨も発表していただければと。
投稿 熟読者 | 2007年12月16日 (日) 02時43分
A27
入門編のご希望があることは承知していますし、やろうという意思もあるのですが、申し訳ありません。

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2007年12月 7日 (金)

【御礼】アルファブロガー受賞

速報でございます。
パンパカパーン。パンパンパ、パンパカパーン
なんと、この「会社法であそぼ。」が
 アルファブロガー・アワード2007
 <<< トップ3 >>>
のひとつに選ばれました。
http://alphabloggers.com/

 これもひとえに読者の皆様の清き1票のおかげでございます。
 会社法の、しかも、本にも書かれていないようなマニアックな記事を書き続けて2年。
 医学、経済、芸術など、いろなジャンルの素晴らしいブログが沢山ある中で、このブログが、まさか、こんなにも得票を集めるとは・・・。

 授賞式は、TMIのある六本木ヒルズから歩いて1分の場所。
 ここ3日間ほど、都内某所において軟禁状態でミーティングをしていた私にとっては、法律と全く無関係の人が集う熱気溢れる空間に自分がいることで、すでに涅槃の境地。

 しかも、今回、ソニーのFLO:Q(http://floq.jp/top)さんがスポンサーについていただいたおかげで、512MBのメモリーカードをもれなくプレゼントという大判振る舞い。
 
 ずっと会いたかった信託おばちゃん(http://shintaku-obachan.cocolog-nifty.com/)にもお会いできたし、木村先生(http://kimutax.livedoor.biz/)ともお話させていただきましたし、このブログのデザインに関わられた方ともお話しできて、大変有意義な会でございました。

 ちなみに、授賞式に出るまで、受賞したことは知らされていないので、最初にトップ3が発表されたときには、唖然。

 舞い上がったままで、壇上に呼ばれインタビューを受けため、ついつい、言ってはならないネタで場を盛り上げてしまいました。
 きっと、どこかのサイトで動画が見れるようになると思いますが、見た人は、見なかったことにしてください。

ちなみに舞い上がっている中年男の写真を見たい方は、毎日新聞のニュースサイトへどうぞ。

http://mainichi.jp/feature/blog/20071207mog00m300051000c.html

 さて、この受賞ではじめて、このブログを訪れる方もいらっしゃると思うので、とりあえず会社法を何も知らない人でも面白そうな記事をいくつか紹介しておきます(その人たちが、いきなり「引受担保責任の廃止」などというハードコアな記事にぶつかるとかわいそうなので)。
危機管理 http://kaishahou.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_83a6.html
インサイダー取引 http://kaishahou.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_4d10.html
食品に関する虚偽表示 http://kaishahou.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_2585.html

それから、ブログではありませんが、
脱時空勉強術 http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20070524/125477/
も読んでいただければ幸いです(全部読むためには日経ビジネスオンラインの無料登録が必要です)。

感激のあまり、勢いで書き込みをしましたので、今日はいつにもまして、乱文乱筆で申し訳ありません。

特に賞品とかトロフィーとかありませんが(ねだっているわけではありません)、皆さんが、このブログに一票を投じるという手間をかけてくださったこと自体が無性にうれしく、涙が出そうです(泣いているわけではありません)。

この感謝の気持ちをモチベーションにして今後もがんばります。

これで、あと1年はやめられなくなったかな・・という感じです。

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2007年12月 1日 (土)

再チャレンジ(引受担保責任)

 「アルファブロガーアワード2007」の締め切りである12月2日が迫ってきました。
 最近、仕事で企業の方とお会いするたび、「清き一票を入れさせていただきました」と頂き、嬉しく思います。

 土曜日曜は、アクセス数が減る傾向にありますが、土日にこのブログをご覧になった方は
https://www.sixapart.jp/inquiry/alphablogger/alpha_vote.html
にアクセスしていただき、ぜひ「会社法であそぼ。」に一票を投じていただければ幸いです。

さて、引受担保責任についての私のチャレンジ
http://kaishahou.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_0736.html
について、大杉先生からご回答をいただきました。
http://blog.livedoor.jp/leonhardt/archives/50444027.html#comments

勝手に勝負をいどんで、回答していただけると、本当に嬉しいです。
ありがとうございます。
そこで、感謝の気持ちを込めて、本日は、そのご回答を分析したいと思います。

私は、この論争の基本的部分は、立法論であり、どういう結論が、合目的的かということにつきると考えております。

 大杉先生も
「上場会社であるA社が多額の債務超過に陥って、上場廃止や取引先からの取引停止の通告を受けそうだという状況で、債務超過という事態を避けるために、見せ金による新株発行を企てる場合を考えます。これを企画・推進するのが代表取締役のBで、株式を引き受ける(が実質的な出資は行わない)のがCだとしましょう。」
という具体例をベースに、Bに
 ①公正証書原本等不実記載罪
 ②金商法上の民事責任・刑事責任
 ③虚偽の計算書類等を信じて会社と取引して損害を蒙った第三者に対する責任
 ④A社に対する民事責任
が生ずることを指摘されています(これは、私と同じ)。

 そして、議論の焦点は、④について、「取締役が、仮装払込によって、会社に株式発行費用等について損害を生じさせたとすれば、会社に対して損害賠償責任を負う」にすぎないため、
「引受担保責任という追加的なサンクションを与える意味がどれだけあるか」
というところに帰着するという分析をされています。

 この点については、私は
 ① 引受担保責任は、「サンクション」として機能しないのではないか。
 ② 逆に引受担保責任の存在により、「サンクション」としての機能が弱まるのではないか。
 ③ サンクションとしての側面があるとして、それを合理的に説明できるか。

という3点から検討します(前回の記述と重なる部分がある点、ご容赦ください)。

まず、①の点ですが、代表取締役Bが引受担保責任を履行した場合、株式を取得することができ、理論的には財産的損害を被るわけではないので、それ自体は、あまりサンクションとはならないように思います。
 もちろん、Bが
 「自分が払込みをして株式を取得するようなことをしてまで、債務超過の事態を回避しようとは絶対思わない。」
こともあるでしょうが、説例のような行動を取るBは、多くの場合
 「見せ金ということは、誰にもばれないはずだ。」
と思っているからこそ、新株発行をしているのであり、そうだとすれば、引受担保責任があっても
 「どうせ引受担保責任を追及されることはない」
と思うはずです(もともと、引受担保責任という制度自体を知らない可能性もあります)。
 逆に、Bが、もし
 「ばれるかもしれない。」
と思ったら、引受担保責任がなかったとしても、新株発行をしないでしょう。
 Bが、法的な責任として、どういうものが生じるかを具体的に知らなくても
    「ばれたら、大変なことになる」
という認識は分かるでしょうから。

 要するに、Bが見せ金をやるか、やらないかは、主として
 「ばれると思うか、ばれないと思うか。」
との間に因果関係があるだけで、引受担保責任の有無によって左右されるものではないと思うのです。

次に、②の「引受担保責任の存在により、「サンクション」としての機能が弱まるのではないか。」という点について、検討します。

 大杉先生は
「引受担保責任・・を存続させたときに、「登記は真実だから公正証書原本等不実記載罪が成立しない」「払込がなくても払込担保責任があること自体によって株式が発行される」との結論が必然的に導かれるかどうか」
を気にしていらっしゃいます。

 私は、従来の商法のように資本金が発行価額をベースに算出される法制の場合において、引受担保責任により株式が発行されてしまうと、資本金の点でも、発行済み株式総数の点でも、「不実の記載」にはならないのではないか、という疑問が生ずるだろうとは思っていますが、引受担保責任が登記を要件として発生する責任である以上(=理論的には、登記が先に行われる)、実行行為の時点では、不実の記載に該当すると考えるべきであると思います。
 とすると、旧商法時代から、見せ金による増資は、公正証書原本等不実記載罪が適用されており、引受担保責任の有無は、当該犯罪の成否に直接の影響はないと思います。

 もっとも、有価証券報告書は、登記後に作成されますから、その作成時点で、引受担保責任により株式が発行されているとなると、増資後の資本金・発行済み株式総数等を記載しても虚偽記載とはならない可能性はありますね。
 そうすると、旧商法的な発想を前提として引受担保責任を生じさせると、金商法上の民事責任・刑事責任が生じず、サンクションとしての機能は弱まるかもしれません。

 この点について、大杉先生は、公正証書原本等不実記載罪についてではありますが
「新会社法が採用したように、払い込みがあった額についてのみ資本金が増加するという立場を取り、かつ、新株発行に関してのみ関与した取締役に(無過失責任、または立証責任を転換した過失責任として)引受担保責任を負わせるという立法も可能」
とされています。
 私も、このような立法は可能だと思いますので、引受担保責任を存続させても、サンクションとしての機能を弱めないような立法は可能だと思います。

 とすると、②の点については、実質的な争いはないということですね。

 次に、③の合理性についてですが、前々回、このブログでお話ししたとおり、少なくとも、「旧商法の引受担保責任の趣旨」を前提にする限り、当該責任は、会社法の資本の考え方とは相容れません。

 ですから、大杉先生が
「増資を登記すればそれに見合う払い込みが必要」ルールから「払い込んだ分だけ資本が増加する」ルールへの変更は合理的であり、しかし、そのことは必ずしも引受担保責任の廃止につながるわけでもなかろうと考えている次第です。」
と書かれているのは、要するに
 「旧商法とは、全く別の趣旨で引受担保責任を規定すればよい」
というご示唆だろうと思います。

 だからこそ、①②で「仮装払込を防止する」という政策目的のために、引受担保責任という方法を採るのが合理的かという議論をしてきたわけですが、私には、どうもその方法が合理的とは思えないというのは、これまで述べてきたとおりです。

 それは、仮装払込の防止は誰のために行うのか、という問題につきます。

 まず、「債権者のため」という発想ならば、資本金の虚偽表示等について取締役の責任を認めれば十分であり、引受担保責任を認める必要はありません。

 では、「他の株主のため」に引受担保責任を認めるべきでしょうか。

 これは、実は、仮装払込によって、発行された株式の効力に関係します。

 すなわち、株式が不存在であるならば、他の株主の株式の価値に影響ありませんが、株式が有効(無効事由が存在する場合も含む)であるとすれば、他の株主の株式の経済的価値が低下するおそれがあるからです(払込みがないのに、発行済み株式総数が増えるから。)

 この点について、まず、私の立場を確認させていただきます。
 大杉先生は、
 「見せ金による新株発行が実際になされたとき、新会社法では払い込みがないので株式が発行されないという葉玉先生の説明を、本当に裁判所が受け入れてくれるのかどうか」
を述べられ、私が、「新株発行の不存在」と考えていると誤解されているようです。

 しかし、私は、新株発行の手続きが採られ、株券が発行され、登記もされている場合には、払込みが全くなくても(当然、仮装払込みでも)、「不存在」にはならないと考えています。

 払込みがないにもかかわらず、新株を発行した以上、無効事由にはなりますが、「不存在」ではないため、新株発行の無効の訴えの判決が確定するまで、当該株式は有効と扱うことになります。

 ただし、説例のCは、払込みをしていないため(仮装払込であるため)、出資の履行により募集株式の株主となる権利を失っています。

 とすれば、Cが交付を受けた株式自体は、とりあえず有効だとしても、Cには、その株式の交付を受ける正当な理由はなく、会社は、Cに対して、当該株式を不当利得として返還請求することができると考えます。

 また、もし、Cが当該株式を売却した場合には、会社は、Cに対して、当該株式の時価相当額の金銭を不当利得して返還請求することができます。

 それから、議決権の行使については、Cは、「株主ではないが、株主名簿に氏名が記載されているもの」として取り扱われます。
 これは株主名簿の効力の論点にかかわってきますが、説例の場合、会社は、Cが無権利であることについて悪意であり、それを立証する証拠もあるので、Cに議決権行使をさせることはできないと考えるべきでしょう。

 以上のように、新株発行の有効無効の問題と、その新株の帰属の問題を分けて論じる方が、妥当な結論になると思っています。

 大杉先生が「新株発行は不存在」としたいという気持ちは分からないわけではないのですが、株券の電子化後は、一旦、新規記録がされた以上、新株発行にかかる株式が何かを特定することができなくなり、新株発行の不存在確認の訴えも、無効の訴えも、機能しにくくなります(百問第二版156ページ。なお、当該訴えは、Cの口座に記録されている間は、機能します)。

 そのような法制のもとで、仮装払込の問題を解決を図るためには、有効性と帰属の問題を切り離し、不当利得法理で解決するという方法が、現実的で合理性があると考えます。

 さて、このように「新株発行は不存在ではない」と考えた場合に
 「他の株主の保護のために、引受担保責任を規定した方がよいか」
を考えます。

 この場合、Cに十分な資力があれば、会社は、Cに対して不当利得返還請求権を行使することにより、株式又は金銭の交付を求めることができるので、他の株主の株式の経済的価値は低下しません。

 Cに資力がない場合には、Bに引受担保責任を負わせた方が、Bの財産から払込みを受けることができて、会社の財産が増え、他の株主のためになりそうに見えます。

 しかし、Cが株式を売却し、かつ、資力がないため、会社が不当利得返還請求権を行使しても意味がないような場合には、会社に損害が生じるわけですから、Bは、当該損害について266条により損害賠償責任を負います。

 ということは、引受担保責任の要件を266条の責任よりも重くして、無過失責任にしない限り、引受担保責任を規定する実質的意味はないということになります。

 しかも、無過失責任にしたいとうだけであれば、引受担保責任という形を取る必要はなく、単に無過失の損害賠償責任を規定すれば十分ではないでしょうか(私自身は、無過失責任を認めるべきではないと思います)。

 とすると、単なる無過失の損害賠償責任ではなく、あえて引受担保責任という形態を取るということは、大杉先生が「不合理」とされている
 「取締役が責任を履行することが予定されているから、新株発行は不存在ではない」(しかも、無効ですらない)
という目的とする以外考えられないように思います。

 夜中にもうろうとして書いているため、大杉先生のおっしゃることを十分理解できていない可能性はありますが、とりあえず再反論を試みてみました。

 

(質問コーナー)
Q1
いつも楽しみに読ませていただいております。
また、先日の株券電子化セミナーでは大変お世話になりました。
早速ですが、インサイダー取引に関して質問させてください。
先生が文中で書かれていた「(不平・不満を持つものへの)代償措置」と
しては、どのようなものが考えられるのでしょうか?
なかなかイメージが浮かびません。どうかご教示ください。
投稿 青島。 | 2007年11月23日 (金) 20時09分

A1
それは、葉玉式インサイダー予防策のキモにあたる部分で、企業秘密です(笑)。
ヒントは、株式を売り買いせずに、株式を売り買いしたのと同一の経済的効果を持つ行為を行います。。

Q2
>私は、会社法に限らず、どのような不合理な条文であろうとも、「合点がいかないから、無視していい」とは思いません。
>あらゆる法律において、そういう理由付けで、条文を実質的に無力化する解釈というのは、あまり聞いたことがありません
>ミスを訂正するということであれば、まさに立法論です。
・為替手形ノ占有者ガ裏書ノ連続ニ依リ其ノ権利ヲ証明スルトキハ之ヲ適法ノ所持人ト看做ス
・ttp://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column056.htm
・平成16年改正前民法第513条第2項後段
投稿 クッキー | 2007年11月24日 (土) 13時23分
A2
 ご指摘の条文は、いずれも私が指摘したものとは、別次元の話です。

Q3
反対株主の株式買取請求権についての質問です。
吸収合併の承認のための株主総会の基準日以降に株式を取得し、株主総会前に、名義書換をすれば、株式買取請求権を行使できるのではないでしょうか。かりに総会基準日10月30日、剰余金の配当基準日12月31日、臨時株主総会翌年1月25日の場合11月1日以降12月31日までに取得の場合であれば実質株主名簿に記載されるので(議決権を行使できない株主)として株式買取請求権を行使できると思います。また、上記の場合だけでなく翌年1月24日までに名義書換(取得だけでは会社に対する譲渡の対抗要件にならない)を完了すれば、これも(議決権を行使できない株主)として株式買取請求権を行使できると思います。実際に私は上記で配当だけもらった株を買取請求し、会社も適格株式として価格の協議をしました。某地裁で決定し確定もしております。
投稿 さすらいのギャンブラー | 2007年11月24日 (土) 22時19分
A3
 基準日以後に取得した株式についての反対株主の買取請求権の問題は、実務でも揺れているところです。
 地裁は、価格決定のみを行いますので、会社が適格株式として、その点を争わないと、価格を決めてしまう可能性が高いと思います。会社側がその点を争った事例でなければ、先例としての価値はないものと思います。
 問題なのは、会社が、要件を満たさない株式買取請求権に応じると、違法な自己株式の取得になってしまうということです。
 この論点については、いろいろな見解があることは、承知しておりますが、実務的には、基準日後の取得株式について、買取請求権を認めると様々な問題が生じるので、避けるべきであると思います(詳しくは、最新版T&Aマスターのサミーズカフェで書きました)。
 もしその請求を認めると、会社側は、いくら買取資金を用意しなければ分からなくなりますし、極端な話、賛成した株主でも、一度、売って買い戻せば、買取請求をすることができるということになり、すべての株式が買取請求の対象になってしまいます。
 そうした事態を避けるために、合併の効力発生要件として、株式買取請求権が行使される株式数が一定数以下であることを付せばよいという考え方もあるかもしれませんが、効力発生日の前日になるまで、買取請求権の株式数が確定できませんから、前日の夜12時になって、急に「中止」と言われても、保振や証券会社その他関係者は対応できないのではないでしょうか。株価の波乱要因にもなります。
 もともと、合併承認総会の基準日の時点では、適時開示がされているはずで、合併承認がされる可能性があることを知って買った株主に、買取保証をしてあげる必要性はないと思いますので、基準日後の買取請求権の行使については、私は、反対です。

Q4
先のブルドッグソース事件では、当該事例での最高裁の判断基準が示されましたが、仮にその余の必要性(発行目的の正当性、現実的具体的危険性など)及び相当性(適正価額の交付など)を基礎づける事実に関する条件は同一であるとして、当該新株予約権の内容だけが、非適格者の議決権行使のみを制限する種類株式の趣旨のものであった場合に、会社法あるいは取引所ルールでは、どのような問題が生じていたのでしょうか?
(補足すると、従来の普通株式に加えて、株主全員に行使条件付きの無議決権株式の新株予約権を無償割り当てして、種類株式の新株予約権者のうち非適格者はその行使又は取得に当たり他の新株予約権者とは異なる取扱いを受ける旨の条件、すなわち、行使または取得後は、一部議案について、適格者の無議決権は当然に解除されるが、非適格者の無議決権は解除されないという趣旨のプランです。)
そもそもそのような内容の種類株式の新株予約権は発行できないのでしょうか?仮に発行可能として、普通決議で足りると解釈する余地はありますでしょうか?
(補足すると、種類株式の新株予約権無償割当てに関する事項を株主総会の普通決議事項とすることを内容とする定款変更議案が特別決議により可決されていることを、質問の前提とさせて頂いております。)
投稿 rove | 2007年11月25日 (日) 11時12分

A4
 まず、当該種類株式の適法性については争いありますが、私は、そのような内容の議決権行使条件付株式を発行することは可能であると考えます(というか、私が言い出しっぺです。)。
 それを前提にご指摘のプランを実行する場合には、定款変更が必要ですので、当然、特別決議が必要で。
 そして、株主は、非上場種類株式を取得することになる(そのような議決権行使条件付株式は、現在、上場できない)ため、一般株主に事実上大きな負担をかけることになるため、現実的ではないと思います。

Q5
先生の書籍についてです。
今年の旧新司法試験も終わりましたので、100問の改訂予定は近いでしょうか?
また、upload内容について補遺のようなものをこのブログにて
だされるとありがたいのですが>>
投稿 jack | 2007年11月26日 (月) 21時27分
A5
100問の改訂予定は、今のところ、ありません。第3版は、再来年くらいかなあ。
upload内容をブログで出すと、本が売れなくなるから、ダイヤモンド社が許してくれないのではないでしょうか(笑)。

Q6
現在リート市場はインサイダー規制の対象外となっているかと思います。
この理由をご存知でしたら教えていただけますでしょうか。
投稿 健太 | 2007年11月26日 (月) 22時36分
A6
分かりません。なんとなく想像はできますが。

Q7
 臨時株主総会で会社側提案として合併について議案が出され、それに反対する大株主がそのようなことを考える経営陣は許さないと言うことで取締役解任と取締役選任を株主総会の目的とし、かつ議案を提出したいと考えた場合、株主総会6週間前に基準日公告が出され、そのときに事実上、会社側議案が判明したとしても、「8週間前」の壁に阻まれて当該大株主が出したいと思った議題(議案)は臨時株主総会の目的事項とすることはできないと言う理解でよいのでしょうか。
 条文を素直に読めばそのように解すべきと思いますが、物理的に無理であるにも拘わらず、株主の議題提案を認めないというのも株主権軽視の解釈と非難されそうですが。
投稿 デラシネの法務 | 2007年11月27日 (火) 01時19分
A7
 それは、そうですね。
 そういう場合には、株主が臨時株主総会の招集請求権を行使するということでしょうね。

Q8
略式合併で質問です。
委員会非設置会社、取締役1人でかつ100%子会社の会社とその親会社を合併する場合に、略式合併の規定を適用して取締役1人のみに意思決定を委任できるのでしょうか?それとも原則どおり株主総会を開催すべきなのでしょうか?
投稿 k | 2007年11月27日 (火) 13時01分
A8
 子会社が100%子会社ならば、略式合併の規程の適用があるので、子会社の株主総会は不要です。
 ところで、「取締役1人のみに意思決定を委任」の意味が分かりにくいのですが、子会社の取締役は1人なんですよね。その取締役だけが業務執行の意思決定権を持っているので、「委任」いう問題は生じないように思うのですが?もしかして、前提事実を理解していなかったら教えてください。

Q9
株券電子化に関する質問です。
先日のセミナーで、ホフリに預託することにより、株主権の行使要件である継続保有が途切れる場合がある、というお話がございましたが、どのような場合でしょうか。
そして、証券会社が準備している「事前確認スキーム」がその問題を解消できるのは、なぜでしょうか。
継続保有要件は(実質)株主名簿ベースで判断され、影響がないと考えてしまっているため、お聞きする次第です。
投稿 モモタロス | 2007年11月28日 (水) 11時47分
A8
 たとえば、3月決算会社で、葉玉が株主名簿に名前が載っているとします。
 葉玉が11月に株券を保振に預託すると、保振は、会社に名義書換を請求し、会社の株主名簿は、葉玉から保振名義に書き換えられます。
 他方、実質株主名簿は、3月末現在の実質株主について実質株主通知がされるまで、アップデートされません。
 ということは、葉玉は、口座に株式は記録されているものの、11月から3月末まで、株主名簿にも、実質株主名簿にも記載されていないことになります。
 これが空白期間が生じる理由です。

 事前確認スキームでこれが防止できるのは、簡単にいうと、保振は、預託を受けた後も、しばらく名義書換をせず(すなわち、株主名簿は葉玉のまま)、施行日の直前に名義書換請求をするという技を使うからです。

Q9
 会社法234条に関して質問です。
【前提:端数株式の合計が101株/発行会社(上場会社)の単元株式数は100株(未満株券は原則不発行)】
 端数株式の合計全部を会社自身が買い取りたい場合、単元未満の1株については、会社法234条4項と同192条のどちらに基づいて買い取ってもよいという理解でよいのでしょうか?
 234条に基づくのであれば101株の取得決議、192条に基づくのであれば100株の取得決議を取締役会で行うことになると考えております。
 また、会社法234条4項に基づく場合の買取り価格ですが、会社法施行規則50条の価格が適用されるのでしょうか?適用されるとすると、売却日の終値ということになるわけで、取締役会の決議は市場が閉まった15時以降にやらざるを得ないのでしょうか?それとも、○月○日の終値×株数という形で事前に決議してもよいのでしょうか?
投稿 悩みすぎの総務マン | 2007年11月28日 (水) 18時31分
A9
 前提がよく分からないのですが、端数の合計額は101株でも、個々の元株主に帰属するのは、端数であり、その元株主は単元未満株主ではないですよね?
 とすると、192条は適用されないのではないでしょうか。
 4項は、2項で売る株式を会社が買い取るという規定ですから、買取価格は、施行規則50条が適用されます。
 その場合の取締役会の決議は、総額が特定できればよいので、事前に決議することも可能だと思います。

Q10
新株予約権について質問です。
まず、新株予約権に譲渡制限を設ける場合は、新株予約権の内容として定めることになっていますが(236条6号)、株式のように(107条2項1号、108条2項4号)定款にその旨を規定する必要はないのでしょうか。条文上、新株予約権の譲渡制限を定款事項とする条文はないので、定款の定めは必要ないように思うのですが、その理由が分かりません。
次に、新株予約権原簿について、250条1項、4項によると、証券発行新株予約権者は原簿記載事項についての書面の交付請求をできないことになると考えたのですが、それは証券発行新株予約権者には交付請求を認める必要がないということなのでしょうか。
いろいろと文献にあたってみたのですが、判然としないので、教えてください。
投稿 受験生です | 2007年11月29日 (木) 21時17分
A10
 新株予約権は、単なる債権に過ぎませんし、株式の内容さえ、定款の記載事項にしておけば、株主の予測可能性は担保できますから、その内容を定款に記載する必要はありません。
 原簿記載事項についての証明書面の交付請求は、証券不発行新株予約権者が、自己の権利を証明するものが何もないと困るので、認められたものです。証券発行新株予約権であれば、証券という証拠があるので、特に証明書面の交付請求を認める必要がありません。

Q11
少数株主による臨時株主総会を開催した場合、総会にかかわる費用(招集通知作成、発送、会場費等)は、少数株主OR株式会社のどちらの負担になるのでしょうか?
投稿 senchan | 2007年11月30日 (金) 13時39分
A11
最終的には、株式会社でしょう。

Q12
自分は旧試受験生です。
前から気になっていたのですが、もしかして、葉玉先生は「伝説の合格者」さんでしょうか。
だいぶ前になりますが、どこかの掲示板ですごく似た文体の方が、熱心に受験指導を上記名でされていました。
私は書込みをプリントアウトして、今でも読むようにしています。
去年の択一前に、すごくそれによって救われました(合格は出来ませんでしたが)。
もし、先生が伝説さんなら、本当にありがとうございましたと申し上げたいです。
本当に救われました。
違っていたなら、、、笑 一体何の書込みなんでしょうね。笑
投稿 kuma | 2007年11月30日 (金) 21時14分
A12
残念ながら、私は単なる合格者で、「伝説の合格者」ではありません。

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